2011年05月08日

【 写真アップ 】 湘南の夜

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【 ミック、奥さんと友達 】

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【 Breakfast 】


 ◎ ◎ ◎ 連載記事 「 インスピレーションの夜 − 天才肌と学校秀才 」 のカテゴリーからご覧下さい ◎ ◎ ◎ 

 昨夜は遠方に住む友人と湘南、藤沢にあるミックの家に泊まった。ミックとは、このブログでも何度か登場する元上司、ゴールドマンサックス証券時代の最初の上司だ。

 長身で、堀の深くてハンサムな風貌なミックは、日本人である。

 いつも朝5時半に起きて、湘南から早朝の東海道本線に乗り、7時半には当時、赤坂アークヒルズにあったゴールドマンの、マホガニー色の荘厳な木目調にしつらえたオフィスに出勤したミックは、VPルーム ( ヴアイス・プレジデント用の個室 ) で仕事をしていた。

 英語の書類も日本語の書類も、それこそ機関銃のような速さでPCに打ち込み、当時、拡張の一途をたどっていたゴールドマン東京支店のロジスティックス・グループを率いていた。

 夜になると取引先などとの社交に出掛け、その間もロンドン時間やニューヨーク時間になると公衆電話からカンファレンスコール ( 国際電話会議 ) に参加する。

 そして夜遅く湘南に帰宅すると、作詞、作曲、小説を書いたり、俳句や日記を書いて、深夜まで創作活動に没頭し、四時間の睡眠を取ってから、また翌朝7時半にはオフィスに出社しては、猛烈な勢いで働いているのである。

 その進歩的で創造性に富んだ発想から、

 「 ミックは日本人じゃない。外人だ。 」 と、外国人の社員から言われていたくらいである。

 今は残念ながら閉鎖してしまったが、2007年までミックが書いていたホームページ " Seventh Heaven " には、ミックが作曲したフォークソングやオリジナル小説、会社の出張であちこち旅をした欧州、米国、豪州、京都や軽井沢の紀行シリーズが載っていて、豊かな感性に、見る者を楽しませてくれた。

 " A Life goes on " と名付けられた日記のページには、これだけ多忙な生活を送っているにも拘わらず、道端に咲く雑草の花や小鳥のさえずりが背景描写に出てきて、文章力の秀逸さを余すところなく見せてくれた。

 会社のPCの隣には、個人用のソニーのチビ・Vaio が置かれており、仕事のかたわらにも友人からのメールを忙しくやり取りしていた。

 惜しむべくは、ホームページが有名になってしまい、デメリットの方が増えてしまったので、せっかくの力作を閉じてしまったのである。

 許可をもらったので、以前に " A life goes on " に載っていた日記の一部を、次回転載しよう。

 さて、昨夜は、藤沢駅前にある老舗の居酒屋に集まり、近所の常連であふれる店内で、ミックと奥さん、友人を交えて四人で飲んだ。 奥さんはミックより10歳も年下の美人だ。

 その後、藤沢の高台にある瀟洒なマンションにお邪魔し、広々としたバルコニーから江の島方面を見下ろすエレガントなお家でお酒を飲みなおした。南仏プロバンス風のモチーフで、カーテンからテーブルクロスまで、ローラアシュレイなど、あちらの雰囲気がぷんぷんした演出を凝らしている。
 
 スコッチウイスキー、マッカランの30年ものをバカラのグラスに水割りで注いでくれたミックは、周囲を暗くし、バルコニーに13ものランタンを付けて、春の夜風に吹かれる湘南の夜を演出してくれる。BGMはボサノバのFINOだ。

 茅ケ崎のインテリアショップで売っているという、海岸でとれた貝殻やサンゴなどをモチーフとしたランタンの数々は、とてもセンスが良く、いかにもミックのマイホームである。。。

 作曲部屋にも案内してもらい、シンセサイザーに組み込んだ作曲用ソフトから、ミックの作った曲も聞かせてもらう。

 夜も更けたころ、バルコニーのランタンの灯を消して眠りにつくが、寝室にもサンゴをちりばめたランタンで灯を取っており、隅々まで演出が凝っていた。

 朝は、豆から挽いたコーヒーで始まり、奥さん手作りの料理をごちそうになる。

 朝食後、仕事の話もちょこっとして、お互いの現状を確認し合うが、仕事もプライベートもがむしゃらになって取り組み、日々の A day in the life にエレガンスを忘れないミックは、いつも僕の人生のマエストロだ。

 
 【 FINO ボサノバ オムニバス 】


 

2010年08月12日

インスピレーションの夜 − 天才肌と学校秀才 (5)

 【 インスピレーションの夜は、連載としてカテゴリー分けされております。下記をご覧ください。】

 猛暑の嵐もいささか勢いが衰えて小休止となった8月初旬、首都圏は26度と夜の寝苦しさからもいったん解放された。

 丸の内のオフィスをいつになく早い時間にそそくさと出てきたヒデキは、大井町に向かい、どうってことのない住宅地の中にたたずむ一軒の洋食屋に向かった。
 ゴールドマンサックス時代の上司、ミックと、ミクシイで知り合った若手実業家兼、公認会計士の三人で食事をするのだ。

 ことの発端は、ヒデキの主催する東京グルメツアーズに出席してくれた10歳も年下の実業家が、ミックさんも呼んで3人で会いましょうというので、一席設けたわけである。

 ミックご用達の、看板ものれんも全くでていない、ひいき客の口コミだけで予約オンリーの小さな洋食屋 “廣田” に向かった。

 厳選された食材を使い、マスターがちっちゃな厨房に陣取り、一人で上品に、まるで芸術品でもこしらえるような勢いで一品一品出してくれるお店である。

 洋食屋といえども、つきだしで出てきたのはサザエの和え物だったし、パスタは生ウニのスパゲッティだし、神戸・三田牛のステーキから、仕上げは三田牛の牛丼と、和風仕立ての洋食屋である。

 出てくるシャンパンやワインは、イタリア南部の知る人ぞ知る小さなワイナリーで醸造された品のあるものばかりで、いつものごとく、というか、性懲りもせず、というか、自分のキャパも忘れてどんどん飲んでしまう。。。

 類は友を呼ぶ、と云うが、ヒデキの親友は破天荒なタイプが多い。

 事なかれ主義で安定志向、生まれたときからの保守派で、自分の人生はリスクヘッジをしまくって、全然リスクを取りに行こうとしない東京の金融ビジネスマンがほとんどである中、教科書的な生き方など鼻っから度外視した型破りタイプに自然に引き寄せられる。

 ミクシイにある “証券外務員” や、 “投資銀行” といったコミュニティで知り合った10歳下の友達は、もう知り合ったときからそのスケールの大きさに驚かされた。

 “東京の風情あふれる下町、門前仲町のふぐ料理屋さんでグルメツアーズをしましょう!” 
との誘いに来てくれた友達は、公認会計士兼実業家というので、てっきり綿100%のパリッとしたYシャツに、サンローランやグッチのネクタイをバリっと締めて現れものと勘違いしていた。

 門前仲町駅の改札口で、 
 “ ヒデキさん、今ここにいますよ!” と携帯電話口に聞こえるので、それらしき人物を探すも、いない。

 “ どこにいるんですか? いないじゃないですか? ” と答えると、

 “ ここですよ、ここ! ” と言って現れたのは、カジュアルな私服に身を包んだ若者。 ヒデキのステレオタイプな先入観は、いい加減に捨てるべきである。

 沖縄の語り口で、自分の思いをストレートに投げてくる彼は、いまどき珍しい覇気のある若者で、いっしょに話していてとても楽しい。裏表の無いところは、地方出身者同士の共通したところか。

 “廣田” に向かう途中、友達ははじめて会ったミックと一緒に飲むのがとても嬉しそうに見えた。
 
 大井町の駅で待ち合わせ、グッチのベルトにパリパリのYシャツ姿で現れたハンサムで長身のミックが、海外出張用のトラベルカートを右手に引き、左手には携帯電話を離さず、海外と英語で商談をぐいぐい進めながら、はにかみながら友人に会釈を交わすと、
 “ついてこいよ!” とばかりに駅のコンコースを先導する。

 互いに仕事も年代も違うが、なにか共通したものがあるので、初めて会っても意気投合するのにさして時間はかからない。

 見るからに体育会系のど根性を据えて、竹を割ったようなロジックで機転を効かせていく友人は、自己紹介する半生もまた凄い。

 まだ30歳になったばかりの彼は、沖縄県の中高時代、野球部で先輩にしごかれながら過ごした後、東京大学医学部を受験するも、夢破れて慶応大学経済学部に進学し、失意の底である試みをする。

 日本株トレーディングを志す友人たちと、マンションの一室でデイトレーディングに集中し、来る日も来る日も部屋にこもって短期のトレーディングに集中する日々をつづける。
 半年ほどで、凡人には手にできないような富を築いた彼は、あっさりと慶応大学を辞め、デイパックをかついでヨーロッパに放浪の旅にでる。

 ここまで話しただけでも小説が一冊書けそうだ。

 帰国して、初心あらたにチャレンジしようと決めた彼は、失った学問の道に自分の未来を見い出して、日本の公認会計士の勉強を猛烈にはじめる。
 そして20代で晴れて公認会計士の資格を取ると、会社で公認会計士をしながら、一方で自分のビジネスにも邁進する。

 「 ワシより10歳も若いのに、なんでそんなに成功するだで! 」 

と、年上ながらも嫉妬に狂いそうになるのだが、天賦の才能に嫉妬しても仕方がない。
 自分は自分で、天が与えてくれた超2流ビジネスマンの道をこつこつと歩くだけである。

 世の結びつきはひょんなところから出てくるが、

“ 東大受験に失敗し、慶応大学に進んだところでやりきれない想いを別方向に向けて思いっきりブッ放す! ” 
というところがなぜか、ミックに英語の道を進ませてくれた家庭教師と共通する。

 幾度かの転職を重ねた末、今では外資系企業の在日代表をつとめるミックは、湘南で破天荒なやんちゃ小学生だった頃、将来を心配した両親が慶大生の家庭教師をつけ、英語の勉強に放り込まれる。

 東大コンプレックスから逃げられず、悶々とした毎日のはけ口を当時小学生だったミックに見つけた家庭教師は、それこそエネルギーとコンプレックスをすべてミックに英語でぶつける。しかも 羊(Sheep)をマトンと呼ぶようないい加減さで。。。

 おかげで近所の悪ガキ小学生どもとの狂乱の日々から隔絶され、ドリフタ−ズの
 「8時だよ全員集合!」 を見ることも厳禁された哀れな小学生ミックは、英語教育の鉄火場に放り込まれた末、17歳にして英検1級に合格する。

 人間心理の深い闇にコンコンと息づくコンプレックスは、どこで花を咲かせて社会に貢献するか、わかったものではない。

 この東大コンプレックス家庭教師男がいたからこそ、ミックの門下生たちも、彼のビジョンを明確に追及すべく、外資系や日系企業でバリバリやっているわけである。

 ヒデキがゴールドマンサックスの中途採用を受けた時に、いまでも覚えている

 「 上から与えられただけの仕事を毎日リアクティブ (受動的) に淡々とこなすだけの人材は要りません。ゴールドマンでは、クライアントに役立つような革新的なサービスやアイデア、システムや制度を、自分から考案して投げ上げていくようなプロアクティブ (能動的) な人物だけを採用します。 」

 という職業観は、外資系投資銀行の独特なヒエラルキーから生まれたという。
 フロントオフィス (収益部門)が会社の枢要な決定権を握り、バックオフィス (事務管理部門) は、なかばフロントオフィスに仕えるような形で仕事をする光景を眼にしたミックは、

 「 営業部隊だけが花形の会社と言うなら、バックオフィスも (社内) 営業部隊に変えてやろうじゃないか! 」 という理想をもち、

 “ 100% 全開バリバリ ロジスティックス営業部隊 ” と部下に命じるのである。

 社内の他部署を社内クライアントと想定し、クライアントが収益部門で最大の成果を挙げるための社内インフラを徹底的に整備するわけである。

 そのエッセンスを握った部下たちが、いまではあちこちに散らばり、それぞれの会社で革新的な仕事や最先端のサービス構築に精をだしている。

 そんな気の合う人間と酒を酌み交わし、会社は違えどおなじような情熱を持って、おなじような尖がった仕事をしていると知ることは、明日への元気をさずけてくれる。

 閉塞感の強い日本にあっても、

 「まだまだ日本には凄いタレントがたくさん控えているんじゃないか!」 と、明るい気持ちになってお店を後にした。

2010年04月21日

インスピレーションの夜 (4) 天才肌と学校秀才の違い

 (前号より)

 ロゴス(理性)派と、パトス(情熱)派が半々くらいで拮抗している状態が丁度良いのではないか?

 そんな訳で、身近にパトス (情熱)に満ちた、天才肌の人間が多数いたゴールドマンサックスで働けたことは幸せだったし、今でも、 
 ”出来ない理由” 
をまことしやかに説く学校秀才タイプと意見が食い違うと、ヒデキは徹底的に闘う。

 それは、自分の成功や出世のためではなく、会社のためでもあるし、東京市場を香港市場やシンガポール市場に比べて負けない市場に育てていくという、大義名分もある。

 さて、では、いったい学校秀才タイプと天才肌の生まれる違いはどこから出てくるのであろうか?

 その秘密を見せてくれたのも、ミックである。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

ミックはハードワーカーには違いないが、周りのハードワーカー達と根本的に違う点をいくつか併せ持っていた。

 負けず嫌いである点 (17歳で英検1級を取った)、感性が豊かで、人間の五感をフルに開かせて、その場の雰囲気や四季折々の自然を楽しみ、それを創作活動に転じさせているところ。好奇心が旺盛で博識、花の名前や昆虫の名前などがすらすらと会話の中に出てくるところ。

 もう一つは、自分の理想とする姿を実現させるために自己ルールを課しているところ。

 思うに、学校秀才タイプは記憶力と回転の速さにおいて際立っており、言われたことをマニュアルに従って間違いの無いように処理する能力にかけては他を圧倒している。

 ミスも無いし、安定期には力を発揮するものの、全く新しいコンセプトから、革新的なアイデアや制度、商品を創り出すことは難しい。

 天才肌は一方、上から下りてきた指示など露骨に嫌い、自分の価値観、世界観を作って世に問うていくから、凡人や学校秀才と比べるとはるかに好奇心が旺盛で、読書量も多いし博学である。

 凡人と比べると好奇心も感性も幅広く、歴史から生物からグルメから酒から地理から政治まで、さまざまなジャンルのことに精通している。

 それが仕事にも生きてきて、幅広い知識や考えから得た自分の価値観をもとに、従来型の仕事の仕方や制度、商品に異を唱え、上に向かって進言していく。

 指示待ち型ではなく、提案型だ。ヒデキがゴールドマンの面接試験の時に、ミックから 「リアクティブ (受動的)な人間は要りません。プロアクティブ (能動的) に仕事を投げ上げていく人だけ採用します。」 

 と言われたエッセンスがそこにある。

 松本大(おおき)は、一日の平均睡眠時間が4時間という超多忙な業務を回しながら、一方で毎日マネックス証券のホームページにブログを毎日掲載している。そこには、万葉集から源氏物語まで、彼が四季折々の中で感じた感性を、古典をひもときながらブログにつづるという豊かな才能がある。

http://lounge.monex.co.jp/column/oki/
 (マネックス証券社長 松本大のつぶやき)

 彼が90年代初頭にソロモン・ブラザーズ・アジア証券からゴールドマンサックスに転職してきた頃は、週末に秋葉原に通い、電器店でパソコンのパンフレットをどさっと貰ってきては喫茶店でタバコをふかしながらコーヒーを飲み、パンフレットを見ながら新しいトレーディングプログラムの設計と開発に情熱を燃やしていたという。

 彼は、トレーダーとしてデリバティブを売買するかたわらで、少しでも性能の良いプログラムを、債券数理の知識を使って自分で書いていたのである。

 ゴールドマン・サックスのパートナー (上級経営者)に昇格した後は、米国本社と東京支店のマネージング・ディレクター (役員) の数の格差に驚き、

 「日米のGDPの差から見て、東京支店のマネージング・ディレクターの数は少なすぎます。何人まで増やすべきです。」 と、本社に向かって訴えたという。

 稼ぐ実力のあるトレーダーは数多いが、このような幅広い分野において、自分の信念の赴くままに相手の職位に臆することなく進言できる人は珍しい。

 松本大は、あと半年会社にとどまれば、株式公開により数十億円の収入が転がり込んでくるというチャンスを蹴って、自分の信念に従い、ネット証券を起業された。

 まさに天才肌の人である。

 ミックはミックで、神奈川県の湘南にある自宅にはキーボードから作曲ソフトから、自作の曲を創る機材があり、休日はフォーク歌手の石黒ケイや、自分のバンドのために曲を作っては、仲間とライブコンサートを行う。

 抜群の語学力と好奇心をフルに稼働させて、あちこち海外出張に出向き、海外に築いた人脈を武器に、バックオフィスとして日本にあらたなシステムを導入したり、新たな社員サービスを開発して会社の価値向上に務めた。

 海外出張に休暇をくっつけては、アメリカでもヨーロッパでもアジアでも、綺麗なデジカメ写真を撮っては秀逸な紀行モノの文章を、自分のホームページに掲載し、部下を喜ばせた。

 また、人間の幅の広いところも天才肌に共通した要素だ。
茶目っけがあり、 ”規則は破るためにある” といった破天荒さがあるので、単にハードワークだけではない、周りの人間をワクワクさせてくれる面白さがある。

 ミックのフィアンセは、まだ知り合ってさほど長くないというところもあって、当時の部下のみが知る悪ふざけ (=ドンちゃん騒ぎ) の数々は知らなかったようだ。

 既にアラフォーとなっていた当時のミックとその部下たちが、研修の帰りに神楽坂の居酒屋でテキーラのボトルをテーブルにたくさん置き、ゲームをやりながら若手社員を一人ずつ潰していった話。飲み会が終わり、お店の前の路上は死体だらけ。。。 

 その他、普段のミックの仕事振りを知る人からすると、

 『宴会の席になると証券マンはこんなに激しいのか!?』と、びっくりするような話の数々。

 ミックと飲みに行く時には、彼が自分のふところにボトルを貯めこまないように注意を払いながら飲まなくてはならない。若手に原酒8割、水2割の酒をこしらえて、いつの間にか潰されてしまう。

 今でこそ笑い話だが、当時のヒデキは宴会に出るときなど、覚悟を決めて緊張の面持ちで出かけていったものだ。

  さもないと、小奇麗につくられた東京メトロの地下鉄ホームを、インドのカルカッタ並みの衛生状態に変えてしまうからだ。

 そんな人間の下で働いていると、部下もまた楽しい。
 
                    (終わり)

2010年04月14日

インスピレーションの夜 (3) 天才肌と学校秀才の違い

 (前号より)

 夜は夜で、たいていのゴールドマンサックスの社員は夜23時や深夜まで働く人が多勢ですけど、ミックは取引先との社交や飲み会のある日などは夕方6時過ぎには会社を出てしまっていて、本来の業務であるニューヨーク時間のカンファレンスコール (国際電話会議)やペーパーワークは、外出先や、帰宅してから深夜にパソコンでやっていたりするんですよ。

 見事に仕事のノルマとプライベートを両立していたので、その能力と体力の凄さに驚きましたよ。

 あとになって同僚から聞いたのですが、 「ミックは眠らない」 と。
一日に4時間しか寝ないで月曜から金曜までぶっ続けで働く頼もしいボスだと、もっぱらの評判でした。」

 くまさんの握ってくれた鰯やあおやぎを頬張りながら、二人はヒデキの話に聞き入っていたが、広報担当官のヒデキは、いったんしゃべり始めると止まらなくなってしまうので、酒をあおるばかりで、肝心の鮨の方はちっとも進んでいなかった。


 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

 世もうらやむような長身でルックスの爽やかな美男美女の横で、しゃべりすぎてちっともお鮨の皿に手をつけていないヒデキを思いやったミック (日本人です。念のため) のフィアンセが、

 「ヒデキさんも食べて下さいな。私たち、食べるのも飲むのも速いんです。」 と、余裕たっぷりに語りかける。

 横浜生まれのハイカラな感じの美人さんが、ミックと同じようなスピードで飲むのは、非常に頼もしくもあり、同時に以外でもある。
 いったいこの二人がどんな運命的な出逢いをされたのか??と、急に興味が湧いてきた。

 「そういえば。 ミックのホームページを見たら、お二人が知り合ったのは3か月前らしいですね? 書いてありましたよ。 

 ”恋をした。” って。

 はにかみ屋のミックの口からそんなストレートなセリフを聞いたことは、今まで、無かったので、そりゃあもう驚きましたよ!!」

 二人は、それまで静かにヒデキの話を聞き入っていたが、急にケタケタ笑いだした。

 聞くところによると、12月26日に知人の紹介で初めて逢った二人は、ミックの方から一目惚れしたところからラブストーリーが始まり、3カ月するころにはもう結婚を決めていたという。

 まさしく、ここらへんにヒデキが今までの金融マン人生で最も影響を受けた二人のうちの一人、ミックのミックらしいところがある。

 ”理性型人間” つまり、「学校秀才タイプ」の掃いて捨てるほどいる金融業界の中で、数少ない ”情熱型人間” & 天才肌のところである。

 ちなみに、もう一人、ヒデキの人生観を変えるほどの影響を受けた先輩も、ゴールドマンサックス証券の先輩で、会社勤めをしながらアジア諸国の貧しい子供たちに日本から援助をするNPO 「国際交流は子供の時からアジアの会」 を創設し、大規模に展開した高岡良助氏である。

 生き残りの極めて厳しいゴールドマンサックスで、ハードワークのかたわら、大規模な国際NPO団体を創設し、まわしていった人間など、後にも先にも高岡良助氏、ただ一人である。

こちらの先輩は、ゴールドマン・サックス証券の入社オリエンテーションで、
 ”いいかお前ら! 会社と自宅を往復するだけの退屈な人生ではなくて、自分のタレント(=才能) を社会の中で目いっぱい活かして、弱者を救い、社会のためにフルに貢献するような熱い人生を送れ。”

 と、いきなり若手社員に説教を始めた凄い人物である。 
高岡良助氏のホームページ: http://www.geocities.jp/asianchildren05/asianchildren05.htm

 この二人に共通しているのは、独自の世界観と価値観を持ち、世俗的な成功願望や拝金主義とは一線を画した世界を確立され、そこに周りの人々を引きこんでやまない夢があることにある。

 シリーズの (1) でも紹介した、ゴールドマンのシニアパートナーの座を投げ打って、マネックス証券を創業された松本大 (おおき)氏もそうだが、ゴールドマンにはこうした天才肌の人間が多かった。

 古代ギリシャでは ”ロゴスとパトス (理性と情熱)” が豊かな成功した人間生活を送るために必要な資質だと説いているが、安定した雇用と給与水準だけを求めてやってくる人間が多い金融業界においては、ロゴス(理性)だけが発達して、パトス (情熱)の欠けた人がやたらと多い。
俗に言う、 ”学校秀才型” の多いのが金融業界の特徴である。

 その証拠に、何か新しいプロジェクトや金融商品、社内の制度改革が持ち上がるたびに、

 「前例がないから出来ません。」
 
 「業界でこんなことやった会社は無いから出来ません。」

 「上司がダメというから出来ません。」

 という3拍子を、まことしやかに語るのが習い性になっている人間が多い。

 ”東京市場の未来のために、抵抗勢力を説得して業界初の偉業を成し遂げましょう!”

 という人達は残念ながら少数派だ。

 そんな業界にありながら、パトス (情熱)を持ち、自分の描いた夢を現実の目標に焼き直して、睡眠時間も削って自分のミッションを追い求める人間というのは、松本大にしても、ミックにしても、高岡良介氏にしても、少数派の天才肌であり、周りの人間を引き込んでいく魅力に富んでいた。

 ”失われた20年” と呼ばれる日本経済の低迷を呼びよせ、世界金融恐慌を巻き起こした本家本元のアメリカや、中国、インドや韓国と比べても著しく遅れを取った日本の悲劇は、KY=空気を読めない、などと揶揄するような、異論を唱えるのを避けようとする極端な保守性、リスクを取ろうとしない安定志向にあると思う。

 社会もそうだが、会社も、”学校秀才型” の、雇用の安定と給与水準だけを求めた人達が多数を占めるようになったら危ないと思う。

 自分の保身のためには、新しい商品や制度、システムを世に出そうという気力が失せてしまうからだ。その結果、日本の国際競争力はどんどん落ちる。

 ロゴス(理性)派と、パトス(情熱)派が半々くらいで拮抗している
状態が丁度良いのではないか?

 そんな訳で、身近にパトス (情熱)に満ちた、天才肌の人間が多数いたゴールドマンサックスで働けたことは幸せだったし、今でも、 ”出来ない理由” をまことしやかに説く学校秀才タイプと意見が食い違うと、ヒデキは徹底的に闘う。

 それは、自分の成功や出世のためではなく、会社のためでもあるし、東京市場を香港市場やシンガポール市場に比べて負けない市場に育てていくという、大義名分もある。

 さて、では、いったい学校秀才タイプと天才肌の生まれる違いはどこから出てくるのであろうか?

 その秘密を見せてくれたのも、ミックである。

                   (つづく)

 
 
 

  
 

2010年04月08日

インスピレーションの夜 (2) − 天才肌と学校秀才の違い

 (前号より)・・・ ミックもその一人である。

 ヒデキよりも一回り年上のミックは、長身のハンサムな風貌と爽やかな語り口が第一印象だったが、早朝に出社してマシンガンのような速さで難解な書類をタイプ打ちし、夕方にはさっさとオフィスを切り上げて友人、取引先と社交の世界に入り、その間も移動しながら海外と電話会議を忙しそうに繰り広げる、およそ日本人離れしたスタイルを実践する人である。

 しかも睡眠時間を削ってまで作詞・作曲・俳句や詩を作る創造的才能とバイタリティを持ち、自分のホームページまで更新し、それでいながら通勤途中にひっそりと路上にたたずむ名も無い雑草の花を愛でる繊細な人である。

 と、思いきや、仲間と宴会をすると、こっそりとボトルを懐に抱え、若手に原酒8割、水2割の滅茶苦茶、濃い酒をどんどん飲ませる、宴会の達人、まさに油断もすきも無い人である。。。

 そんな彼が、婚約者を連れてヒデキの前に現れた。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

 待ち合わせた蒲田駅の改札の出口に立っていた二人は、互いに長身でスリムな背恰好で、まさに美男と美女。

 お相手の女性はヒデキと同年代だそうなので、ミックにとっては歳下の女性だ。横浜生まれという彼女は、面影もハイカラっぽく、お洒落なミックと好対象である。

 アーケードを越えたところにある一間の小ぶりな ”くま寿司” の暖簾をくぐると、そこはカウンター席のみ7つの、こじんまりとした店だった。カウンターの中に目をやると、スポーツ刈りをした恰幅の良い熊さんみたいな風貌の大将が。。 
 
 ”あ! だからくま寿司なんだ。”

 「はい、これ。おみやげです!」 と、ミックはいつも料理屋に行く時には必ずそうするように、お店の人にお酒やお土産の差し入れを出し、くまさんとあたかも旧来の友達かのような雰囲気で一瞬のうちに店に溶け込んでいく。

 早々と冷酒を傾けながら、お好みで出されていく寿司ネタを頬張りながら、初めてお会いしたフィアンセと互いの自己紹介をする。

 「今でもミックの子分をやっていますが、初めてミックと会ったのは10年前、僕がゴールドマンサックスに面接に行った時なんです。

 2000年当時はまだ、カジュアルファッションが浸透する前だったので、面接に出てきたミックが、カラーのストライプのシャツに、カーキ色のパンツでさっそうと出てきた時には新鮮な感じがしました。

 それ以上にビックリしたのは、(保守的な) 金融業界とは思えないような仕事のミッションです。ミックが採用したい人材を説明した時に、

 ”僕たちはプロアクティブ(能動的)に仕事をしています。人から命じられた仕事をただ単にこなしていくリアクティブ(受動的)な人は要りません。
 バックオフィスがどうやって社内クライアントを満足させ、社内サービスやシステムを円滑に効率的にまわしていき、どうやって社員のモチベーションを高めていくか、ということを真剣に考えながら毎日仕事をしています。自分からプロアクティブに会社の組織や、周りの人間を、ゴールに向かって巻き込んでいくような人間が欲しいんです。”

 ドイツ系銀行の軍隊式で、トップダウンの働き方しか知らなかった僕にとっては衝撃的で、 「もう、この人について行こう!」 と、一瞬で決断しましたよ。

 自分で決めたはいいものの、ゴールドマンサックスに入社が決まるまでにはその後も延々と面接に呼び出され、都合12人から面接されて、3ヶ月後にやっと入社が許可されましたけどね (笑)。

 それにも増して、一緒に働くようになってから更に驚かされたのは、働き方にルールは無いってことで、いかに膨大な仕事量を抱えていて日中から深夜まで仕事に拘束されていても、創造力さえ駆使すれば、ある程度自分のプライベートライフと仕事を両立させられるという技ですね。

 毎朝7時過ぎにはオフィスに入って会社のPCと自分のノートパソコンを2台広げて、機関銃みたいな速さで英文書類をパカパカ打っている姿を見て、
 
 ”どこから通勤していらっしゃるんですか?” って聞いたら、神奈川県の藤沢だと言うじゃないですか。

 普通、その時間にオフィスに出ている人は、たいていが会社のすぐそば、麻布や白金のアパートに住んでいる人達ですよ。

 夜は夜で、たいていのゴールドマンの社員は夜23時や深夜まで働く人が多勢ですけど、ミックは取引先との社交や飲み会のある日などは夕方6時過ぎには会社を出てしまっていて、本来の業務であるニューヨーク時間のカンファレンスコール (国際電話会議)やペーパーワークは、外出先や、帰宅してから深夜にパソコンでやっていたりするんですよ。

 見事に仕事のノルマとプライベートを両立していたので、その能力と体力の凄さに驚きましたよ。

 あとになって同僚から聞いたのですが、 「ミックは眠らない」 と。
一日に4時間しか寝ないで月曜から金曜までぶっ続けで働く頼もしいボスだと、もっぱらの評判でした。」

 くまさんの握ってくれた鰯やあおやぎを頬張りながら、二人はヒデキの話に聞き入っていたが、広報担当官のヒデキは、いったんしゃべり始めると止まらなくなってしまうので、酒をあおるばかりで、肝心の鮨の方はちっとも進んでいなかった。

                       (つづく)

 
 
 

 

2010年03月24日

インスピレーションの夜 (1)− 天才肌と学校秀才の違い

 【 連載記事は下記のカテゴリー欄より通してご覧になれます 】

 3連休前の金曜日の夜は、会社を早々に切り上げて蒲田にある寿司屋に向かった。
 ゴールドマンサックス時代の上司であるミックの贔屓にしているお寿司屋さん、 ”くま寿司” がなかなかの評判で、前から一度食べに行こうと誘われていたのだ。

 商店街にあるちっぽけな寿司屋なのに、客単価は一万円で、椅子こそ置いてあるものの、店構えはほとんど立ち食い鮨と変わらない、だけど味は絶品だという。

 「いったいどんな寿司屋なんだ!?」 と、前から興味しんしんだった。

 話は変わるが、東京の金融業界には、

 ”収入が高いから入りました。” 
 ”安定性があるから入りました。” 
 ”会社のブランドネームがあるから入りました”
 
 という、安定志向で、保守的な人が多い。

 さきにこのブログの記事で紹介したとおり、ゴールドマンサックスを飛び出して、マネックス証券を創業した松本大(おおき)も、ゴールドマン・サックス時代には部下に

 「日本の金融ビジネスマンの99%は保守的だ」 と断言したくらいである。

 松本大は、自らを北海道を切り開いた屯田兵を理想に、デリバティブや証券化商品など、日本ではまだ手つかずだった最先端の金融商品を自ら構想し、市場を引っ張って行った。

 実は今日の日経新聞(2010年3月23日付け)には、バークレイズ証券、銀行の六本木ヒルズへの移転広告が全面広告で載っており、バークレイズ証券の中居英治社長のスタイリッシュな写真が中央に輝いていたが、彼もゴールドマンサックス証券の出身者だ。

 1987年に東京大学法学部を卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入り、債券部のトレーダーとなり、その後ドイツ証券のセールス・トレーディング部門のトップとなり、あれよあれよという間に今度は社員千人にも達しようかという外資系証券の社長になってしまった。

 長髪の髪と垢抜けた風貌がトレードマークで、ゴールドマン時代には女性社員からたいへんモテたという。(今でもそう?)

 90年代まで、主だった米系証券大手3社は赤坂アークヒルズにオフィスを構えていた。ソロモン・ブラザーズ・アジア、ゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズだ。

 松本大が新卒で入社したソロモンブラザーズを3年足らずで辞め、赤坂アークヒルズの10Fにあったゴールドマンに移籍した時には、東大法学部で同期だった中居英治氏を頼って面接に行ったという。

 ゴールドマンには、99%の学校秀才タイプには入らない異端児やら天才肌が多くいて、個性を輝かせていた。ミックもその一人である。

 ヒデキよりも一回り年上のミックは、長身のハンサムな風貌と爽やかな語り口が第一印象だったが、早朝に出社してマシンガンのような速さで難解な書類をタイプ打ちし、夕方にはさっさとオフィスを切り上げて友人、取引先と社交の世界に入り、その間も移動しながら海外と電話会議を忙しそうに繰り広げる、およそ日本人離れしたスタイルを実践する人である。

 しかも睡眠時間を削ってまで作詞・作曲・俳句や詩を作る創造的才能とバイタリティを持ち、自分のホームページまで更新し、それでいながら通勤途中にひっそりと路上にたたずむ名も無い雑草の花を愛でる繊細な人である。

 ( 松本大にしても、ミックにしてもそうだが、睡眠時間は4〜5時間というタイプがゴールドマンには多かった。)

 と、思いきや、仲間と宴会をすると、こっそりとボトルを懐に抱え、若手に原酒8割、水2割の滅茶苦茶、濃い酒をどんどん飲ませる、宴会の達人、まさに油断もすきも無い人である。。。

 そんな彼が、婚約者を連れてヒデキの前に現れた。


( つづく )