2011年11月13日

新人ビジネスマンに贈る (9)

肩書や年収は一過性のもの。実力は一生のもの

 自分の個性やタレント ( 才能 ) を、好きな仕事で発揮して、それで自分も会社も、そして社会も恩恵をこうむってハッピーであれば、願ってもない。理想的な人生である。

 さて、それでは何を目標にして頑張るか、という今回の本題だが、ここで実に多くの人が ( 特にサラリーマン体質にどっぷりと漬かった人はそうだが )、外面の条件や待遇に目を奪われ、幸せなジョブライフを送るすべをはき違えている。

 今日の結論は、 

 「 肩書や年収は一過性のもので、ちょっと情勢が変わったり、会社を変わったりすればたちまち失われることが多い不安定なものだが、実力だけは、会社を変わろうが部署を変わろうが、世の中が大不況になろうが、絶えず不変に自分を守ってくれる頼もしい武器 」、ということ。 

 「 実力ってなんですか? 」 と言われるかもしれない。一言で言えば、その人の持つタレント (才能) の集大成だ。

 野心の強いビジネスマン ( = 商人 ) は、自分のSWOTアナリシス

(Strength 強み、 Weakness 弱み Opportunity 自分に機会を与えてくれる外部要因 Threat 自分をリスクにさらす外部の脅威 ) 

ができていて、好きな分野に自分のリソースを集中投下していく。外部条件や社内の環境がどうであろうとも、愚痴、不平をこぼさず戦略的にキャリアを切り開いていく。

 自分が会社の中の ” ミクロ ” という世界でどう貢献して、業界の中、日本経済の中での立ち位置を見きわめて、どう ”マクロ経済” で社会に貢献していくかという羅針盤が見えている。 

 わかり易く云うと、野心の強いビジネスマンというのは、たとえ会社に雇われていようとも、自分の商品価値をしっかりわきまえた上で、勤め先の会社や業界、また広くは日本経済を富ませていくので、文字通り、ビジネスマンの語源、 ”商人気質” が備わっているのだ。

 逆に、志の低いサラリーマン ( = 月給取り ) は、待遇や居心地の良さで会社・外部環境の不平や不満をたらたらこぼして、少しでも良い条件の良いところ、他社や他部署に転じようとする。

 自分のタレント ( 才能 ) の強みがどこにあり、将来、スキルセット ( 職務技能 ) をどちらに伸ばして行こうかという戦略性がまったく無く、ゆでガエルのように、居心地の良いまったりとした池で過ごすのみである。文字通り、 ” 月給取り ” でしかない、会社にとってのコストでしかないわけだ。

 90年代から日本でも転職市場が急拡大し、人材紹介会社、ヘッドハンターの社数も飛躍的に伸びてきたが、それに伴ってビジネスマンも会社を動く ” 流動性 ” や機会が大幅に増えたかわりに、伸びる人と沈滞する人の格差も急拡大をはじめたと思う。

 ではいったいどこで格差が開くかというと、せんじつめて言えば ” 志の高さ “ の違いではないか。

 志の低い人は、もともと、彼らのゴールが 

 「 60歳の定年退職日まで、待遇の良い大企業にしがみつくこと 」 にあるので、自分のキャリアを肩書きや年収にこだわり、少しでも待遇の良いところ、環境の良い職場を選ぼうとする。

 そして、意識の向かう先も、職場が居心地が良いか、上司がつきあい易いか、勤務条件が快適か、劣悪か、といった環境面にこだわる。

 外資系で働いていると、転職回数が多い人ばかりである。30代半ばで転職歴が2回、3回ならOKだが、中には7回、8回という人もいる。

 転職回数が多い人には2種類あって、もちろん、新しい分野にチャレンジしたり、自分のホーリー・スピリット ( 聖なる魂 ) が好奇心をかきむしられて新天地に転職する分には長期的に見て成功するのだが、社内環境に不満があったり、肩書や年収などの待遇を求めて転職を繰り返す ” 目先の利益を求める転職” は、将来、雇用が尻すぼみになる可能性が極めて大きい。

 ” 石の上にも3年 ” という言葉があるが、たとえ会社の環境が悪くても、上司と相性が合わなくても、わずか1年や2年で辞めてしまっては、今度自分を採用してくれる側の人事採用担当者は疑問を抱いて採用しないからだ。

 社内環境や上司に不満で次々と会社を転職する人は、まず40歳に近付くにつれてどんどん採用してくれる会社はなくなり、キャリアが下降曲線をたどっていく。年収も下がる。ビジネスマンたるもの、もっとこらえ性を持ってどっしり構えていなくてはならない。

 それと同列に、肩書きや年収をもとめて頻繁に転職をする人も、人事採用担当者から敬遠される。今の勤め先でわずか2年しかいなかったのなら、たとえウチに転職してくれても、また嫌気がさしてすぐに辞めていくだろうと思われるからだ。

 ” 目先の利益 ” をとらえた転職など、幸せなのは当初2〜3年のあいだだけで、長期的にみれば結果は芳しくない。そんな例は今まで嫌というほど見てきた。

 では逆に何を志向して自分の座標軸とするか? 
 それは、自分の実力を伸ばすことを必死で考えて、少々の障害があってもぶち当たっていくことだ。

 どんな業界にいてもその集団の中で上位1割の集団に入ることを目指すこと。
なぜそれが大切なのか?

 おカネは自分から求めて得られるものではなく、自分が実力を伸ばすことで、自然と後から付いてくるものだからだ。

 ( つづく )


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2011年06月22日

新人ビジネスマンに贈る ( 8 )

 【 連載記事は下記のカテゴリー欄から通してご覧になれます 】

 昔よくサラリーマンの間で言われた出世の秘訣に、 

 ” 運(うん)・鈍(どん)・根(こん) ” : 運に恵まれ、鈍いくらいの感覚でアツレキや悩みをやり過ごし、長期スパンで根気づよく地道に取り組む、という言葉があった。

 そして、時代は変わっても、外資系であろうが、勤務先が大手だろうが中小であろうが、普遍的な原理ではないかと思うようになった。

 なぜこんなことを考えたかと言うと、今がちょうど年半ばの中間PMP ( Performance Measurement Plan; 人事査定 ) の時期でもあり、いろいろと人の上に立つポジションの人の立ち振る舞いを見て考えさせられたからだ。

 多国籍に展開するグローバル企業で (いや、別に国内企業でも同じだが。。。) 上の方まで昇進するマネージャークラスに求められる資質は何か?

 ということを、徹底的に考えた。

 結論から言うと、 ”人格がすべて” ではないか? と思うようになった。 
その次に大切なのは、大掛かりなビジョン、構想力だ。

 自分たちの部署が長期的に大きな栄光をつかむためのビジョンを打ちたて、仲間をワクワクさせながら巻き込んでいるか、ということ。

 そう! 地頭のよさとか、輝かしい経歴や学歴、スマートな社交術とか何よりも、人の上に立つ者は、人格、その次に構想力が何よりも物を言うのではないかと思うのだ。

 その二つがあれば、大勢の部下をひき付け、引っ張っていける。

 もちろん、社風によってはポリティックスが横行し、チェリーピッカー ( おいしい果実だけを取ろうとする人; 人の功績をあたかも自分の功績のように吹聴してクレジットを取る人 ) が上に昇る会社も無いことはないが、そんなのは実績主義が極端に行き届いた、社員の勤続年数の短い一部の欧米大企業くらいのものだ。

 世の中の大半の会社は、勤続年数もそこそこあるし、上の人は長い目で社員の貢献度を見ているから、長期の尺度で見た場合に得をするのは人格とビジョン (構想力) がある人ではないか。

 グローバル競争が激しさを増した90年代から、実力主義の導入とともに単年度のPMPが普及し、猫も杓子もPMPで良いスコアを取らんがために、いきおい自分の視野や目標が6カ月とか、12か月とか、短いタームに傾いている。

 平均勤続年数が3年や5年の大企業だったら、そんな猫の目のような速さで動いていれば良いかもしれないが、勤め先の平均勤続年数がもっと長いのであれば、それだけトップも長い視点で部下やマネージャーを見ているのだから、単年度のPMPよりも、もっと気宇壮大に見据える目標があるはずだ。

 と思った。

 その点、 ”運・鈍・根 ” とはよく言ったものである。

 上司や配属部署などの ”運 ” に恵まれなければ、ひたすら忍耐強く待つしかない。

 会社で上のほうまで昇進する人たちは、人知れぬ苦労をたくさん負って、それを同僚の前ではおくびにも出さずに平静を装っている。運を待つ我慢強さはまず必要だ。

 ”鈍” も、長いビジネスライフを送る上では必要な資質で、あまり神経質でカリカリしていると、しまいには自律神経をやられて病気になってしまうし、ある程度、どんぶり勘定でやらなければ、社内に大勢いる ( ヒデキのような ) どんぶり勘定の人達とは上手く仕事をやっていけない。

 細部に細かいあまりに、同僚とケンカばかりしていてはしょうがないのである!!

 ( = 自分への言い訳か! (笑) )

 たとえ仕事は大変でも、いつも明るく、冗談を言いながら、周りに明るい雰囲気を拡げられるような ”鈍” 人間のエッセンスは持ちたいものだ。

 そして ”根気よく”。どんなに相場が上昇基調でも、不況のどん底を這っていようと、しょせん人生はジェットコースターなのだから、良い時もあれば悪い時もある。

 それが交互にやってくるから総体としての人生はバラエティに富んでいるわけで、あえて自分の運命を受け入れて、自分に課されたミッション ( = 使命感 ) を毎日思い起こして、地道にコツコツと続けていく。

 そうすれば、特段、輝かしい経歴を持っていなくても、世紀の大天才でなくても、至って普通の人でも成功できるのではないか? 

 社内で僕に目をかけてくれている年上の先輩がいて、決してスタンドプレーをする目立ちたがり屋では無いのだが、いつも自分のミッション ( = 使命感 ) を忠実に実行し、どんなに逆風が吹こうが、コンフリクトがあろうが、じっと耐えて、いつも長時間、泣きごとをいわずに頑張っている。

 その結果、高位なポジションに付かれ、周囲が見る目も変わってきている。

 その先輩を見るにつれ、決して短期の損得だけで動かないよう、長期のスパンでいつも考え、自分を律するようにしたいと思う。

 【 憂鬱でなければ、仕事じゃない 】



 
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2011年04月17日

新人ビジネスマンに贈る (7) 

 「 ビジネスに生きるものは正しく納税し、また国家の発展に寄与する活動を行わなくてはならない。 」 武田善憲、外交官

 東日本大地震、東北地方を襲った津波、そして福島第1原発の国難的危機。不安にさいなまれる東日本の国民と、いっせいに消費活動から手を引かれて、被災地でなくても2次被害をもろにかぶった飲食、娯楽、旅行、ホテル業。

 いったい誰がこの日本経済を支えていくのだろうか?

 それは大手町・丸の内のビジネスマン ( = 商売人 ) である。

 いや、べつに大手町と丸の内に限ったわけではなく、新宿西口でも六本木でも、名古屋市でも大阪市であろうがどこでも良いのだが、政治家や官僚でもない、ビジネスマンがありとあらゆる創造力とバイタリティを使って富を創出して、雇用を増やし、この国の経済を支えていくわけである。

 ビジネスマンに求められるのは、自分の幸せや家族の幸せといったミクロの世界にこじんまりと縮こまることではなく、国家のために自分のタレント ( = 才能 )を投げ出そうという積極さと、覇気ではないだろうか。

 国民的な危機がおとずれた今日、ヒデキはそう思う。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
 武田善憲、1973年生まれ。東京大学大学院博士課程中退、外務省に入省、モスクワ国際関係大学、米ジョージタウン大学に留学し、モスクワ日本大使館に勤務。
( 引用 : 『 ロシアの論理 』 ) 



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2010年10月12日

新人ビジネスマンに贈る (6) ”現状維持型” Vs.  ”人類未知未踏型” ビジネスマン

 秋の3連休も終わって、明日からいよいよまた最前線に戻って、一人の人間がこなすのはとうてい不可能なくらいの仕事量に臨むとなると、いきおい気分も高揚してくる。

 ”さざえさん症候群” なるものがあり、日曜の夜になるととたんに憂鬱になるサラリーマンが後をたたないそうだが、その人たちはひょっとしたら今の仕事が面白くないのではないか?

 だとすれば、自分が面白いと思う仕事に転職するか、あるいはそれだけの実力がまだ無いのであれば、ありとあらゆる創造力を駆使して、今の退屈極まりないルーチンワーク (定型業務) を、夢のある、無茶苦茶面白くて仕方がない仕事に、自分で勝手に変えてみてはどうだろうか?

 ヒデキは新人だったドイツ系銀行で貿易金融の事務をやらされ、来る日も来る日も英語のL/C (輸出信用状) のアドバイスや買い取りをしていた。

 典型的なルーチンワークである。毎日の仕事を面白くするために、一日の取扱件数をノートに記録して、毎日折れ線グラフを手書きで書き、

 「 昨日は一日13件だったのが、今日は15件。よし! 明日は18件に挑戦してやろう! 」 
と、自分で勝手にノルマを設けてはタイムレースを繰り広げていた。慶応大学英文学科を出て、まるでパリジェンヌのように綺麗な顔をした先輩トレーナーの女性から、

 ”新人クンは余計なことしなくていいんだから! 言われた仕事だけやっていればいいんだから。” と叱責されるまで続けていた。つまり、ヤル気だけは人の倍以上あったものの、ミスの数まで倍以上あったため、パリジェンヌは新人クンの扱いにとても困ったのである。。。

 前節が長くなったが、今日の結論は

 ◎ ビジネスマンには ”現状維持型ビジネスマン” と ”人類未知未踏型ビジネスマン” の2種類がいる。

 ◎ 徳川家康に長く支配された影響が未だに根強くビジネスの世界に残る日本においては、前者がほぼ9割を占め、残りの1割弱程度が、後者である。

 ◎ 商売に国境の壁が無くなったグローバル経済の環境においては、日、米、中、韓、台湾、欧州入り乱れての情け容赦ない闘いが始まったため、 ”現状維持型ビジネスマン” と ”人類未知未踏型ビジネスマン” の比率が 9:1 のままだと、日本経済は壊滅的な打撃を受けるだろう。

 の3点である。

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 どこの会社に就職するかで、その人のビジネスマンとしてのDNAは大かた決まって来る。

 浜松市の三方原大地のだだっぴろい田園地帯で高校時代を過ごしていたヒデキは、文系の進路は ”現状維持型人生” で、理科系の進路は ”人類未知未踏型人生” だと勝手に思い込んでいた。

 銀行、証券、保険、商社、流通と、文系大学に進んだ人に待っているお仕事は、毎日変わらぬ事務処理と営業活動で、それを頑張ろうがサボろうが、人類の進歩には全く貢献しないだろう。

 理科系大学に進んだ人に待っているお仕事は、電子回路の設計や半導体チップの開発、宇宙探査衛星の開発など、人類の進歩に貢献する仕事で、文系と比べればよほど高級な人生だ、と頭から信じて疑わなかったのである。

 そもそも、浜松という街が、ホンダ、スズキ自動車、ヤマハ、河合楽器、浜松ホトニクスと、世界的なメーカーをたくさん生んだ街なので、理科系に対する尊敬の念が、首都圏とは全然違ったのである。

 天才的な頭脳を持った科学者が、人類未知未踏に挑戦し、やがて世界初の技術を産み出して、会社はその業界を席巻していく。だから自分も理科系に行くべきだ、と。

 ヒデキの父親が勤めていた浜松ホトニクスには、晝間輝夫・元社長という中興の祖がおり、

 「 人類未知未踏の技術を開発しろ! 」 と部下に命じては、世界シェア1位の光電子倍増管や、富山県にあるスーパーカミオカンデ (東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設) にある光電子倍増管、日本初の探査衛星だったハレーすい星の探査衛生に積んだセンサーと、技術者を奮い立たせるような高い目標を設定しては研究開発に燃えていた。

 今では、 「 株価の未来を予測する超高速コンピュータを創れ! 」 
 
 と部下に命じては、今まで全世界でそんなこと誰も開発したことの無かったようなシステムを、猛烈な勢いで創っているのである。これが出来ればヒデキの勤めるアセットマネジメント業界も、ガラガラと音を立てて変わっていくであろうし、世界の証券業界は、浜松ホトニクスの製品を仕入れるのにしのぎを削るであろう。

 当ブログの以前の記事 ”ゴールドマン・サックスと浜松ホトニクス ” に、投資銀行界の雄、ゴールドマン・サックス証券の企業カルチャーが、業種こそまるで違うものの、浜松ホトニクスと酷似していると述べた。

 http://nekketsuotoko.seesaa.net/article/140877168.html
 
 投資銀行界の雄、ゴールドマンサックスは、フロントオフィス (収益部門) のつくる金融商品、デリバティブ・プロダクツ、新種の証券化商品など、今まで金融業界には存在していなかったものを率先して開発しては世に出し、一番煎じの利益を得ていた。

 バックオフィス (事務管理部門) も、業界最先端のテクノロジーや、人事制度、福利厚生制度、社員モチベーションのツールや、業務系・勘定系システムを創っては、ライバルの米系、欧州系金融機関がそれを必死で追いかけて行くという図式だった。

 入社直後から、1日14時間以上もぶっ続けで働き、睡眠時間の極端に短い生活に半ば嫌気がさしていたヒデキは、ある日、ゴールドマンの企業カルチャーが、浜松ホトニクスと一緒だという事実に気付き、それ以来、

 ”人類未知未踏型ビジネスマン” の、ハードだけど毎日がエキサイティング生活が、全然苦にならなくなった。

 一方で、日本の金融業界には、新卒採用から入った社員が多勢を占めるが、モノを暗記することに長けた学校秀才型を多く採るため、なにか業界に新しいチャレンジがあったり、社内で新しいシステムや制度を導入すると、

 「 上司がダメと言うから出来ません。 」
 「 そんなもの業界に前例が無いから出来ません。 」
 「 リスクが高くて出来ないから出来ません。 」

 と、出来ない理由、やりたくない理由ばかりをまことしやかに伝えて、チェンジを断ろうとするビジネスマンが多くいるため、香港市場やシンガポール市場、やがて凌駕してくるであろう上海市場にどんどん差をつけられる一方である。こんなことで良いのだろうか?

  ”現状維持型ビジネスマン” とは、ただ給料をもらうためだけに会社に来るビジネスマンをいう。

 ここだけの話に留めて欲しいが、ヒデキがブログに副題 ” − 日々これ戦い ” と付けている理由は、毎日が ”現状維持型ビジネスマン” との闘いでもあるからである。

 韓国経済は、1998年のアジア金融危機で、IMF (世界通貨基金) に救済され、官民あげての経済復興に参じてから、LG電子、三星電子など、国内より海外マーケットの方が圧倒的に大きいジャイアンツが複数できて強くなった。

 フィンランド経済は、総合家電メーカーだったノキアが倒産の危機に瀕してから、シティバンク出身のヨルマ・オリラが経営資源をすべて携帯電話につぎ込む戦略で一気に世界の携帯電話市場のリーダーとなり、国内1%、海外99%という驚異的な売上で、人口500万人のフィンランド経済を復活させた。
 
 要するに、90年代からグローバル経済が趨勢となり、国境の壁が無くなり、優れた商品やサービス、システムや制度であれば、国籍などあまり関係無くなってきたので、

 『 おかげさまで60歳の定年になるまで大過なく過ごすことが出来ました。 』
 
 などと言う現状維持型ビジネスマンには、今時、ほとんど価値が無いのである。
抜本的に社内の制度やシステムを変えたり、革新的な商品を世に送り出す ”人類未知未踏型ビジネスマン” こそに、価値があるのである。

 業界内を必死で情報を集めて、最先端のやり方や技術を勉強し、ありとあらゆる創造力を生かして自分が熱狂するような面白い仕事の考え、正しいと思えば、たとえ相手の肩書に拘わらず筋を通して主張し、実現の目処を立てれば良いのである。

 それでこそ我が祖国、日本の経済に貢献すると思わないか?

 失敗したとしても、それでめげる必要は無い。自分の努力はどこかで誰かが見ているし、過半数以上を占める守旧派に立ち向かうような困難な努力をした者は、結果にかかわらず、経験値が付いているからだ。経験値こそ、履歴書に書けるし、転職の際にも生きてくる。

 伊藤忠商事の会長から、今年、民間人として初の中国大使になった丹羽宇一朗氏は、

 『 努力する人間は、社会が放っておかない 』 と述べている。
 
 生き馬の眼を抜くと言われる大手総合商社のなかで、誰よりも朝早く出社し、夜遅くまで仕事することをモットーに働いてこられた丹羽氏が言うのだから間違いはない。

 精魂を込めてやった仕事やプロジェクトがたとえ失敗に終わったとしても、 ”革新の精神” を常に胸に秘め、だれよりもハードに働いた者は、午後6時にさっさと帰宅して、リビングのソファーに寝そべって、発泡酒のふたを開けてプロ野球に見入っている ”現状維持型ビジネスマン” に比べれば、勝つに決まっているのである。

 



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2010年08月07日

新人ビジネスマンに贈る (5) 落ち込んだ時にどうするか?

  今日の結論は次の二つ

  ● 自分のために仕事をしている (生きている) のではなく、社会のため、日本の窮地を救ってやるために仕事をしている (生きている) と、ミッション(使命感)を持ってみる。底なしのヤル気が出てくる!

  ● たとえ贅沢をしてでも、自分にごほうびをあげて、宝石のようにくつろげるひと時を持つ。

  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎  

 今日は会社でPMP (人事査定) があり、半年おきにボスと面接をして自分の評価、ボスの評価を交わし合ったが、1時間が終わった後、落ち込んでミーティングルームから出てきた。。。

 ヒデキがボスから叱責されるパターンはいつも同じである。怠けて怒られるのではなく、逆に 

 ” あまりに多方面の仕事をし過ぎてオーバーワークだし、ひとつひとつの仕事の濃度が希薄化してリスクにつながる。手薄になる分野が出やしないか? ”

 と叱られるわけだ。
今の外国人のボスも、日本人の役員からも、ハーバードビジネススクールを出たアメリカ人のアジア地区会長からも、同じことを言われた。

 「 これだけ多くの仕事は、たいてい2人か3人の人がこなすのが普通ですから、それを一人分の人件費で済ませている会社は儲かっているのではないですか? 」

 と、いつもの調子でやり返すわけだが、午前中は日比谷の証券会社に席を持ち、午後は丸の内のアセット・マネジメント会社に席を持ち、地下鉄で往復しながら総務・広報・PMO (全社プロジェクト統括役)・CSR (社会貢献・環境活動)と4分野を統括しているヒデキは、朝から深夜まで髪の毛振り乱すどえらい勢いで、機関銃のような速さでしゃべりまくって仕事をしている。

 ボスの眼からはハラハラドキドキらしいのだ。

 “こんな自転車操業男が門下にいては、いつどこから爆弾が落ちて来るかわからない” というのが上司評のようだ。

 ここで今日のテーマ ”落ち込んだ時にどうするか?” とつながってくる。

 ヒデキは中堅どころだから、落ち込んだ経験は多いし、絶望のどん底に瀕した回数が5指に勝るくらいだから、今日のように落ち込んでも、処方箋はいくつも浮かんでくる。
 
 ところが、入社したての新人君は、まだ社会人経験が浅いし、金融業界は特にそうなのだが、

 “中学、高校、大学と、エリートコースの最先端を突っ走ってきました〜! イェイ、イェーイ〜!!”

 という人生順風満帆クンが多いので、挫折経験はなく、ちょっとの失敗や叱責でへたってしまい、その落ち込みぶりたるや、見ているこっちの方が心配になるくらいである。

 あげくの果てには、まだ入社して2年かそこらしか経っていないのに、金融業界で生きていく意味を見失い、
 “地方に行って農業に従事します” とか、 “僕には会社は向いていないので、NPO団体に入り、アジアでボランティアをします” などと、あっさりとこれまで自分が築き上げてきた人生を捨ててしまうのもいる。

 『 あなたには金融マンとして生きていこうというミッションが無かったのですか? 』

 と、疑問に思うが、出発点からしてボタンを掛け違えているようだ。

 トップ級の大学のMBA (経営学修士) を、最優秀の成績で卒業したアメリカ人の学生が、ガレージに毛の生えたようなオフィスで名も無いベンチャー企業を立ち上げるのとはうらはらに、ブランド文化にどっぷりと漬かった日本人は、就職先を会社のブランドで選ぶくせが抜けないので、 

 “なんのためにビジネスマンになるのか?” 
というミッション (使命感) のところがボコッと欠落しているように見える。

 だから挫折に弱い。

 さきの話に戻るが、10時のPMPミーティングで思いっきり落ち込んだヒデキは、午後4時にはカラッとした風情で丸の内の皇居のお堀沿いを歩いていた。

 もちろん、PMPの結果次第でヒデキの冬のボーナスも、昇進の道も変わってくるわけだから、全く色気がないわけではない。家族持ちだから収入は大事だ。

 だが、ヒデキはカネやタイトル (肩書) のために働いているのもあるが、もっと大きなモチベーションは、日本の国益のために働いている、という意識だ。
 
 1980年代はアジアの巨人だった東京市場も、90年代、2000年代と、香港、シンガポール、上海市場に足元をおびやかされ、これまで金融業界ではAEJ ( Asia Excludes Japan :  日本以外のアジア諸国 ) と、日本だけが別格で、その他のアジア諸国が5カ国、6カ国束になっても東京市場にはかなわなかったのだが、もう東京の地位は危ないのだ。

 東京市場が地盤沈下すると、2年前の世界金融恐慌の時のように外資系金融機関の社員が3割も減り、雇用のパイが縮小して、消費経済を直撃するから日本のGDPを押し下げる。

 また、グローバリゼーションの影響で、コストの安い中国やインドにオペレーション部門をオフショアリング (業務の外注化) する傾向が強まっているから、ここで日本人の金融マンがアジア全体の金融マンのなかでピカイチの実力を発揮しなければ、どんどん地盤沈下につながるので、必死に食い止めなくてはならない。

 そうでなくてもヒデキの仲間には、2年前の世界金融恐慌のあおりを受けて、まだ中学生・高校生の児童がいるにもかかわらず失職してしまった仲間がいるので、幸運にも生き残ることのできたビジネスマンは、ありとあらゆる創造性とバイタリティをいかして、日本の経済を拡大させ、雇用を増やしていくべきだと思う。
 
 そんな訳で、2流の頭脳の持ち主でしかないヒデキが、総務・広報・PMO・社会貢献と4分野の仕事を長時間、必死でこなしている。背後にはミッション (使命感) ありきだ。

 簡単なことですぐに落ち込む若手社員は、わずか自分の2メートル、3メートル先しか見ていないような気がする。つまり、自分の収入、希望部署、自分のおかれる環境など、考えることすべてが自分の利益に直結しているようだ。

 そうではなくて、ミッションを持って、10年先、20年先を見据えていれば、簡単には落ち込まないのではないか?
もっと堂々と胸を張っていられるのではないのだろうか?

 “ 金融マンの使命 ” というのは、もっと他にもゴマンとあるのだ。

 @ 市場に流動性を供給する − 売ったり買ったりを繰り返すことで市場の厚みを増し、市場に参加してくる個人、機関投資家、外人投資家、年金などに、株や債券、外国通貨などの売る機会、買う機会を創る。
 そうすると、いつでも売買のふんだんに出来る日本株、債券、や通貨には世界中から投資家が寄ってきて、日本にフィーを落として帰って行ってくれる。

 A 金融ビジネスを繁栄させることで金融関係者の雇用をふやし、消費経済のパイを拡大させる。

 B 20世紀の自動車・電機産業にかわり、 『 資産運用大国 』 として、余資を上手に世界で運用して収益をふやす手伝いをすることで、世界から金を稼ぎ、日本の富を増やす。自動車産業、電機産業がこれまで果たした役割にとって代わることができる。

 C 金融ビジネスを繁栄させることで、会計ファーム、法律事務所、コンサルティング、金融情報ベンダー、IT ベンダーなど、関連産業のパイを拡大させる。消費経済もふくらむ。

   ヒデキが5分考えただけで、金融産業が社会に貢献する理由はいくつも出てくる。
  こういったミッションを腹の中にすえて仕事をしていれば、ちょっと怒られたくらいで “田舎に帰ろう!” などとは思わなくなるはずだ。

 “Think Big” が大切なことだ。
仮にヒデキがIT 産業に働くビジネスマンだったら、誇大妄想かもしれないが、

 『 日本初、世界初の画期的なシステム、製品を世に送り出してやろう! 』 くらいは考えていたかもしれない。

 さてもうひとつ、落ち込んだ時の処方箋は、
 “自分に贅沢なごほうびをあげること。”

 ヒデキは丸の内と横浜のあいだを通勤しているが、その途中に隠れ家的なお店やバーがある。高層ビルが都心のあちこちに出来てくれたおかげで、丸ビルの35Fのあたりや、カレッタ汐留のあたりには、東京ベイの夜景が一望のもとに広がるレストランやバーがある。

 ちょっと値段は張るが、ふかふかの絨毯に、モダンジャズの奏でる中、まるで宝箱を散りばめたような東京ベイの夜景を足元に眺めながら、好きな酒を飲んで自分にごほうびをあげるのも良いものだ。

 夜景を見ていると、20年も前、野心を片手に東京のど真ん中に進出してきた若かりし頃 (今も十分若いが。。。) の夢があざやかに蘇ってきて、ささいなことなど、どうでも良くなってしまうのだ。
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2010年07月18日

新人ビジネスマンに贈る (4) どうすれば仕事が面白くなるか?

 新入社員にとって、初めて勤める会社とは、永平寺の修行にしか見えないかもしれない。

 つらい朝を起きて、慣れないスーツに身を包み、通勤電車でもみくちゃにされてヘトヘトになる。会社では、来る日も来る日も雑用が続き、若い時分には権限も決定権も与えられず、その都度上司にお伺いを立てなくてはいけない。上司のご機嫌をとるにも骨が折れる。

 一方で、女子社員に陰口を叩かれないよう脇のガードを締めて、やりたいことも我慢する。そんな毎日が一カ月も続くと、 ”五月病” と呼ばれる季節に入り、 ”隣の芝生は青く見える” というとおり、他の会社がとたんにうらやましく見えるようになる。

 会社にとっては新人は新兵といっしょだから、会社をまわしていくために必要なありとあらゆる業務をやらせるから、新人が苦痛を感じるのはどこの世界でも同じである。自分が一人前になるまで、耐えなくてはならない。

 さて、アメリカの作家、マーク・トウェインはこんなことを言っている。

 『 成功の秘密は、あなたの仕事を休暇のように楽しむことです。 』

 新人の背負う苦労からすれば、夢物語にしか聞こえないかもしれない。

 自分の興味のある面白い仕事に就き、毎日その仕事に従事することが出来れば、それほど楽しい人生はない。しかし、ほとんどの人は生活の糧として仕事に就いているので、条件から仕事を選ばざるを得ないことが多い。

 給与が高いとか、自分の持っている資格で出来る、条件が良い、通勤に便利、など。

 それは創造的に仕事を選んだというよりも、消去法で選んだ結果ともいえるので、職場に行って、休暇を楽しむ感じで仕事を楽しむなど、遠い世界の話である。

 では、現実世界に妥協はしながらも、仕事を休暇のように楽しむにはどうしたら良いだろう? 要は自分の創造力しだいで可能なのである。

 @ 毎日、目標時間を決めて、タイムトライアルに挑戦し、昨日よりも1分短く、一昨日よりも2分短くと、仕事を徐々にスピードアップし、浮いた時間は知識の習得にあてる。金融業ならば簿記や会計の専門書をデスクで読んでも良いだろう。

 A いま担当している仕事を早めにマスターして、上司に頼んで他の仕事も任せてもらう。自分の経験値を増やし、さまざまな仕事を切り盛りする能力 (タレント) を付けることで、傑出した人材になる。加えて、さまざまなフィールドに経験を持つ人材は、年収も高い。

 B 仕事の目的をゴールに、そこに至るまでに存在している今の方法以外に、まだ誰も実現したことの無い会社初の、いや業界初のやりかたを創造してみる。あるいは、競合他社の担当者から話をきいて、ベターなやり方を取り入れてみる。

 バックオフィスだったら、たとえば業務を合理化、短略化するためにERP  (業務統合ソフトウェア) を入れてみたらどうだろうとスタディしてみる。同業他社の知人に電話をかけて、他社で実行している方法をベンチマーク (情報収集) してみる。

 フロントオフィス (収益部門)だったら、いまやっている仕事を変形して、新しいサービスとして、これまでとは違った層にマーケティングしてみる。

 ひとたび慣れてしまい、退屈感しか感じないような仕事でも、創造力次第で、いくらでも楽しくなるのではないか。そうすればやがて自分の仕事が休暇のように楽しく感じられるであろう。

 楽しく感じられるようになったらもうこっちのもの。プロアクティブ (能動的) に自分から仕事を増やしていき、会社にとっては決して手放したくなくなる人材になれるのではないか。

 仕事を面白くするのも、つまらなくするのも、ひとえに自分の創造力次第なのである。


 
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2010年06月13日

新人ビジネスマンに贈る (3) 厳しい上司と優しい上司


 今日言いたいことは次の2点である。

 − どんなタイプの上司についても、最終的には損も得もない
 − 上司に気に入られ、重宝されてこそ雇用は安全になる

 今までヒデキが仕えてきた上司には、日本人あり、ドイツ人あり、エジプト人あり、アメリカ人あり、中国人あり、イギリス人ありと、あと20年も勤めればワールドカップの出場国は全部揃うのではないか?と思えるくらいに国際色豊かである。

 この中でいちばん仕えるのが楽だった上司は (複数の) 日本人で、いちばんキツかった上司はエジプト人 (中東の商人!) である。ドイツ系銀行の東京支店に、本国から送り込まれてきたヤリ手である。

 さて、それでは振り返ってみていつが楽しい時代だったかというと、当然ながら楽な上司に付いた時であり、それでは厳しい上司に付いた時代は自分は損をしたのか? というと、そうではない。

 アラブ商人、フェニキア商人、ペルシャ商人と、古代から名を馳せた商人を多く輩出してきた中東の、エジプト人の上司に付いた時に、文字通りヘトヘトになりそうな日々の中で、外資系金融の総務に必要な業者管理や価格交渉をするときに必要な商売上の駆け引きを学ばせて頂いたのが、この上司だった。

 カイロ大学で数学を専攻していたという彼は、暗算がバカ速く、英語は分かりやすかったが、会話のスピードについていくのに必死だった。

 砂漠の国、中東の人間らしく仕事は厳しく情熱的である上、激情型で怒鳴り散らされることもしばし、その上、艶福家であちこちの女性に手を出して結婚、離婚を繰り返す (一夫多妻制の国から来ました。。)、毎日がドラマのような上司。その豪快な生きざまに憧れたりもした。

 話は脇道にそれるが、中東の人間が、和を重んじる農耕民族の日本人と違っていかに激しいかを知ってもらうために辻邦夫の小説の一節を引き合いに出したい。

 「この目もくらむ暑熱と乾燥の砂漠のなかでは、当然、あの激しさがなければ生きてゆけない。
 
 生きるとは、ここでは、激しく生きることだ。

 それは悲しみや絶望に小さく縮こまることじゃない。愚痴や皮肉に意気地なく従うことじゃない。いったい、ぼくは日本でこの強烈さについて考えたことがあっただろうか。砂漠の人たちのように強烈に生きたことがあっただろうか。」 (「時の扉」辻邦夫)

 東京支店長に日経金融新聞の記事を盛んに英訳してはライバル会社の情報を差しあげた甲斐あって、同期よりも早く課長に昇進したヒデキは (上役に可愛がられるためには何でもしよう! たとえ残業が増えても。)、ほとんど年上ばかりの8人の部下を率いる一方で、この激情型の上司からは情け容赦ないプレッシャーを受け、もう泣きたくなるくらいに多忙でストレスフルな日々だった。

 軍隊式でマッチョなこのエジプト人は、人使いは荒いは、金にはうるさいはで、小額の取引ひとつに至るまで徹底的にヒデキをしごいてくれた。外部業者と丁々発止の取引をしていた。

 うんざりするくらいにハードな日々で、この時代に仕事を楽しいと感じたことは無い。
 それから数年後、転職先のゴールドマンサックスで働いているときにこの経験がおおいに活きてきて、ある日、頭の中でコトリと音がした。

 「 あ、そうか! 今のワシがあるのはあのエジプト人の上司に仕事の極意を教えられたからなのか。あのつらい日々は決して損ではなかったんだ。 」

 と、突然悟った。そして当時は、中東の地、オマーンの商業銀行で経営陣の一角として転身していた昔の上司に、 

 “お元気ですか? あの当時は色々教えて頂いてありがとうございました。今、私は米系証券に転職し、世界の金融界で最も厳しいと言われる職場で働いていますが、あの時の教えが、非常に生きています。つらい日々でしたが、今では感謝しています。”
 
 と、丁寧な手紙を書いて、家族の写真と共に送った。

 逆に、日本人の優しい上司に付いていた時代は、厳しいことも言われないので毎日が楽で楽しかったのだが、10年経つと、

 「 あの時代にもっと学んでおけば良かった。楽な上司に付いていた時代は自分の成長にほとんど貢献していなかった。」 と振り返る。

 配属先で優しい上司に付いた人は、思わず得をしたように思うかもしれないが、実は長い目で自分のキャリアを眺めると、厳しい上司に付いた時のほうがずっと成長しているのである。
                                                   (つづく)


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2010年06月06日

新人ビジネスマンに贈る (2) 捨てるべきはプライドで、雑用は取るべし

 世界的に有名な経営コンサルタントの大前研一の著書の中に、こんなくだりがある。

 「私が今まで見てきた中で、成功するビジネスマンには一つの共通点がある。それは、どんな雑用もいとわずに行う人だ。」

 この意味するところは後に解説するが、金融業界には特に多い高学歴の新入社員にヒデキが言いたいのは、 

 “捨てるべきはプライドで、雑用は取るべし。” という教訓。

 なぜならば、今まで人生順風満帆で生きてきた高学歴の新入社員にはプライドが高く、理屈ばかり立派に説く人間が多いが、プライドなどビジネスの世界では一文の得にもならないからだ。
 
 むしろ逆に、プライドが邪魔をして、雑用から逃げまくるために、せっかく仕事上の要所要所に転がっている “経験値” を得る機会を逃して、10年後、20年後に自分のキャリアの成功に結び付けられない人がいる。

 ヒデキが大学卒業後、新卒で入ったドイツ系銀行で新人教育を授けてくれたのは、30代の男性課長で、覇気に満ちた元日銀マンだった。

 バブルの全盛期である88年、昼間は融資部で先輩から企業の財務分析の手ほどきを受け、夜は木曜、金曜ともなると連チャンで六本木や麻布十番のディスコに繰り出す。
 一万円の大枚をはたいてVIP席に座ると、先輩から、

 「おいヒデキ! あそこのダンスフロアで踊っているワンレングス (ヘアー) の女の子をこの席に連れて来い!」
 
 「おいヒデキ! 通路で話し込んでいるポニーテールの女の子をこの席に連れて来い!」

 と指示が出る。
 昼であろうが夜であろうが業務命令には違いないので、すでに酔っぱらった頭をフル回転させながら、仕事の一環として、必死に女の子をナンパしては先輩のいるVIP席にお連れした。
 
 ヒデキの新人時代は、こうして財務分析の知識とナンパ技術の両方を習得させられたのである。

 本題に入るが、その先輩は一橋大学を出た後、日本銀行に入行し、横浜支店に配属されたという。名門の大学を出て、誰もがうらやむような難関の就職先に入ったのだから、その張り切り具合たるや、推して知るべしである。

 ところが、翌日から配属されたのが業務課で、やらされた仕事は来る日も来る日も札勘 (お札の勘定) と、そろばんだったと云う。これまで手にしたこともないそろばんを扱い、自分よりも年下の短大卒の女性からあごで使われる。

 プライドの高い先輩にはこれが許しがたかったらしく、とはいえせっかく仕留めた就職先なので、ゴールデンウィークまでは我慢しようと決めたらしい。

 ところが、ゴールデンウィークを過ぎても朝から晩まで札勘とそろばんと雑用の日々が続くので、耐えかねた先輩は、日銀の支店長室のドアを叩いたそうだ。

 「私はこんな仕事をするために大学まで出たのではありません。いったい銀行は私のことをどうお考えになっているのでしょうか。」 と、やったそうだ。
 
 就業時間後、近くの小料理屋のカウンターに連れて行かれた先輩は、

 「君がやる気があるのは分かっているし、先を急ごうとあせる気持ちも分かる。
 でも、今やっている仕事は、雑用にしか見えないかもしれないが、君が10年後、20年後に日銀の幹部になった時に、日銀のつかさどる業務が全部見えているか、そして、そこで働く短大卒の女子など、職員ひとりひとりの気持ちをしっかり掌握できるか、ということは非常に重要なポイントなんだ。
 新人にいきなり重要な業務を任せるような会社など一つも無い。
皆、気が遠くなるような下積み時代を経て、やがて徐々に重要な仕事を任されるようになり、中堅どころになった時、この下積み時代を経験したことがとても貴重に思えてくるんだ。」 
 
 という話をこんこんとされたという。

 大前研一氏は、MIT (マサチューセッツ工科大学) で博士号を取った後、日立製作所に入り、そこで原子力技術者となったが、日本では原子力発電に対する反発があまりに強かったので幻滅し、よく会社の内容を知りもしないまま世界的な経営コンサルティング会社のマッキンゼー日本支社に入社する。

 博士号を持った原子力技術者がするような仕事は、さぞかし高度な仕事に違いないと思うが、そこで待っていたのは雑用的な仕事ばかりだったという。大前氏はクライアント企業のコンサルテーションをする前に、来る日も来る日も翻訳業務や通訳を任されたという。

 ところがそこで腐らないのが大前研一の偉いところで、翻訳や通訳をする中から、マッキンゼーが得意とする問題解決の手法や事例を積極的に学んでいき、土日にも会社に出社して、資料室にあった世界中のマッキンゼーのオフィスが顧客のために遂行した問題解決の事例が埋め込まれたマイクロフィルムをひとつひとつ読み込んではノートにまとめていったという。

 その経験が後に生きて、 『企業参謀』 という著作が日本中で評判となり、当時は無名だったマッキンゼーの日本支社に大企業から仕事が降ってくるようになり、今の成功を導いたのである。

 翻訳業務については、ヒデキも言いたいところがある。

 本社が海外にある外資系金融の世界では、翻訳業務が避けて通れない。
 しかし、業務の中で不可避な翻訳をしたところで、それ自体は一文の利益になる訳ではないので、誰しもが自分は翻訳から避けて人や部下に任せたいところである。いわば必要悪的な仕事なのだ。

 ゴールドマンサックスの東京支店でバックオフィス (事務管理部門) の仕事をしていたヒデキは、経済合理性をとことん追求するゴールドマンの手法に慣れてきた頃、フロントオフィス (収益部門) を事務をバックオフィスからとことんサポートして、単位時間当たりの生産性を上げる仕事にのめり込んでいた。

 投資銀行部門や調査部門、エクイティ部門や債券・為替・商品取引部門がいかにスピーディに、高度な仕事を遂行していくか、という上で、単位時間当たりの生産性が低いと思われるような軽作業は、とことんアウトソーシング (業務の外注化) していったのだ。

 その中で目を付けたのが翻訳業務の外注化。

 ゴールドマン・サックスの正社員の年収を、時間あたり単価まで計算すると、日英翻訳や英日翻訳の時間を要する仕事を正社員がやっていては利益率が低い。これを時間当たり単価の安い翻訳者や翻訳業者に任せることで、会社全体の利益率を上げようという提案。

 ほとんどの部署で受け入れられたこの提案に唯一難色を示したのが投資銀行部門。

 「 翻訳業務は、国際的な案件の多い投資銀行部では避けて通れない業務。大学を出たての新人バンカーは、まだそれほど英語力が熟達していないので、膨大な量の翻訳を、文字どおり寝食を忘れてこなすことが新人鍛錬の一つとなっている。
 ヒデキさんが言うように、時間当たり生産性は低い仕事に違いないが、それはむしろ研修の機会として使っていく。翻訳はたかが雑用、されど雑用だ。」 

 ということで、よほど緊急の時を除いては、ヒデキの業務提案は受け入れられなかったのである。

 多くの外資系企業では、毎日あたり前のように翻訳業務が降って湧いてきて、それを誰にさせるか、あるいはやらずに済ませるのか、で悩むことになるが、 “雑用的な仕事” だからこそ、率先して受ける人は、他の誰よりも語学力が上達し、外国人幹部や日本人の経営陣から一目置かれるようになるのである。

 もちろん、進んで翻訳業務を受ける人、というのは、A4一枚あたりの英文を和訳すれば1時間は優にかかるから、その分だけ同僚よりも遅くまで残業することになるのだが、自分のキャリアを半年や一年といった短期で損得を考えず、10年や20年といった単位で考えると、英語の堪能な外資系ビジネスマンと、英語の出来ない外資系ビジネスマンの間では、年収が2倍も3倍も違うのである。

 蛇足になるが、ヒデキが20代の頃は、当時あった日経金融新聞に、 「外資系金融機関の東京支店長インタビュー」 
という連載記事が50回も続いており、これを自発的に日本語から英訳しては東京支店長のドイツ人に持っていったので、支店長からの評価はすこぶる高かった。そして同期の入社仲間からは妬まれた。。。

 また、チームでミーティングをすると、だれがミニッツ (議事録) を英語で書くかが問題になるが、20代の頃からいつもこの役を率先して引き受けてきたおかげで、会社の広報担当官となった今は、プレスリリース (報道発表) の記事などはA4サイズなら1時間弱で訳しあげるし、フロントオフィスで英語に堪能な社員が不在だったりすると、至急扱いでヒデキに助っ人を頼まれることもある。

 “人の嫌がるような仕事を買ってでもするか”
 
 という姿勢は、短期的に見れば残業がかさんで損に見えるが、10年、20年という長期にわたって見れば、 “経験値とタレント (=能力)” という点で、確実に利益になるのだと思う。
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2010年05月31日

新人ビジネスマンに贈る (1) − 日本経済のリーダーたちはどういう新人時代を送ったのか?

 今日、ヒデキのミクシイ日記を気に入ってくれたことがきっかけで仲良しになった金融業界の新入社員が、配属地に向けて飛び立っていった。

 1月20日のブログ記事 “早稲田大学の学生が会いに来た” で紹介した、イケメンでありながら野心的な若者だ。
 携帯電話で、 「北海道に配属が決まった。」 との連絡をもらい、思わず胸が熱くなったのだが、彼からの質問、

 「新入社員はどんな心がけで働けば良いのでしょうか?」
との問いにまだ答えていなかったので、ヒデキが思う、これだけは知っておけば同期より成功するにちがいない! という話を3回連載でしたい。
 
 まず第1話は、日本経済のリーダーたちはどういう新人時代を送ったか、という話。

 成功したビジネスマンは、例外なくハードワーカーで、人の2倍くらい働いた人たちが、“経験値” をためることにより、20代から30代へ、そして40代の更なる大きなスケールの仕事に挑戦し、勝ち取っていったという実体験である。

  「努力する人間を、社会は放っておかない」 伊藤忠商事会長 丹羽宇一朗氏

  「自分が担当する業界について、日本で一番、いや世界で一番になるくらいに勉強してその道の専門家になれ。」

  「たとえば、自動車産業が担当だったら、本屋においてある自動車と名の付く本は片っぱしから買って、頭にたたきこめば業界でも名うての勉強家になる。学者と議論しても負けないようにする。」

 実に励みになる言葉を幾つも残してくれている、伊藤忠商事の会長、丹羽宇一朗氏は、マスコミでも評判になったくらいに謙虚でおごったところの全く感じられない、それでいて熱血漢で、後輩社員の面倒見のすごくいい、自分の上司になって欲しいくらいの人物である。

 名古屋市内の本屋の息子に生まれた丹羽氏は、本ばかり読んで過ごし、地元の名古屋大学法学部に進学されるが、おりしも当時は学生運動の盛んな時期で、熱気あふれる丹羽氏は、自らその運動にのめり込んでいったという。

 それでも伊藤忠に入社してからは、猛烈に働きだし、「誰よりも早く出社して、誰よりも遅くまで残って仕事する」 スタイルを実践し、社長にまで登りつめた。

 ”ワークライフ・バランス”、”残業ゼロで帰る”、と最近はいかに効率よく仕事を片づけて、早くマイホームに帰るかということばかり脚光を浴びている。

 こうした猛烈ビジネスマンスタイルは、今の社会には馴染まないのかもしれない。

 しかし、ヒデキの尊敬する日本人ビジネスマンには、丹羽宇一朗氏と同様、”体力の限界まで仕事をして、人の2倍、3倍働き、経験値を人の数倍蓄えることで大躍進していった人が多い。

 三菱商事からハーバード・ビジネススクールに派遣され、三菱商事に戻ってから、ローソンの社長として送り込まれた新浪剛史氏は、慶応大学経済学部を出て三菱商事に就職したばかりの頃、
先輩に 「どうしたら人より速く出世できるのでしょうか?」
とたずねたらしい。

 「誰よりも早く出社して、誰よりも遅くまで残業しろ。人の2倍働けば、会社の中身は手に取るように分かる。それが出世の鍵だ。俺の言葉を疑うな。明日からやれ。」と、言われてその翌日から実践したらしい。

 朝一番でオフィスに来ると、海外から山のようなテレックス(当時はEメールなどありませんでした)が届いていて、いろんな同僚宛てに届いたテレックスの山を整理しているうちに世界と進行している商談の中身がたちどころに分かり、同僚よりも一歩も二歩も先を歩くことが出来たという。

 ゴールドマン・サックス証券で全世界で史上最年少のシニアパートナーに30歳で昇進した松本大(おおき)氏(現 マネックスグループCEO、マネックス証券社長)は、それこそセブンイレブンの生活を実践し、朝は7時前に出社してロンドン、ニューヨーク市場の動向を確認し、夜は11時過ぎまで、時には接待の終わった後もオフィスに戻っては、当時、赤坂アークヒルズにあったトレーディングルームで深夜の2時過ぎまで働く姿が目にされていた。

 そういう死に物狂いの努力があったからこそ、丹羽宇一朗氏も、新浪剛史氏も、松本大氏も、社会が放っておかずに、日本経済の檜舞台で大活躍をするに至った。会社の社長を勤めるだけでなく、日本政府の諮問会議に抜擢されて、それぞれ21世紀の日本のありかたについて貴重な提言をされている。

 少々私生活は犠牲にしても、 ”人より経験値を多く積む” ことで、だれよりも先を行くことができることは、間違いない。
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2010年04月03日

「一国の繁栄は、一人の天才が作る」 新社会人の皆さん、ようこそリアル・ワールドへ!!

 4月1日を迎え、都心部の駅は右往左往するピカピカのスーツに身を包む新入社員で、街にあらたな彩りと活気をもたらしてくれた。

 大学卒業生の7割から8割しか就職にこぎつけなかったという、大変厳しい時代だが、その難関をくぐり抜けた新人には、心から ”おめでとう!” と祝福の言葉を贈りたい。

 同時に、願いがかなわず、今でも絶望に悩み伏せる同世代の若者2割の人達を救うために、バブル世代のアラフォーも、失われた20年に社会に出たアラサ―も、今春社会に出た新人も、一致団結して、日本経済の拡大にまい進すべきという思いは、忘れてはいけないだろう。

 年間のGDP460兆円を誇る日本経済の中核部隊は、ビジネスマンである私たち一人一人なのだから、たとえ新人であろうが経営陣であろうが、中間管理職であろうが、プライドと情熱を持って、経済のパイを拡大し、失業してしまった人達、就職できなかった若者を一人でも二人でも救っていくべきだと思う。

 いちばん可哀そうなのは、

 「親が失業してしまったがために、勉強したくとも上の学校に進学できなかった」 
中学生や高校生なのだから、自分の幸せを実現するのはもちろんのこと、まわりの社会を幸せにするためにも、日々全力でぶち当たるべきだと思う。有為な若者たちが進学の道を断たれ、不本意な職業に就くのは、国益の損失以外の何物でもない。

 では、私たちひとりひとりがいったいどうすれば祖国の経済を拡大できて、雇用を拡大し、失業者を減らせるのだろうか? 

 というと、そのヒントは、グローバル経済で顕著になった、才能を持つ一個人の活躍ぶりにある。

 たとえば、世界第一位の経済を誇るアメリカは、電機産業も自動車産業もとうの昔に衰退して、今のアメリカ経済を支えているのは傑出した一個人の天才たちが作った経済。

 マイクロソフトのビル・ゲーツやグーグルのセルゲイ・ブリン、アマゾンドットコムのジェフ・ベゾス、バークシャー・ハザウェイのウォーレン・バフェットなど、一個人でビジネスを立ち上げて、一兆円規模の個人資産を作った天才たちが創り上げたのが今のアメリカ経済だ。

 もっと顕著な例は、韓国のGDPの10%を占めるというサムソン財閥を作ったイ・ジョンピルや、北欧のフィンランド経済を、ノキア再建により立てなおしたヨルマ・オリラ元CEO。

 「一国の繁栄は、一人の天才が作る」 
 
 という言葉は、経営コンサルタントの大前研一氏がヨルマ・オリラを指して言った言葉である。

 暗記教育で大量に平均的な規格内人材を輩出してきた日本にいると、この言葉が驚きとともにスカッとする新鮮さを与えてくれ、仕事に行き詰った時、疲れた時など 

 ”よし、もういっちょう頑張るだでー! (三河弁)”という気持ちにすらなってくる。

 そんな運命的なビジネスマンが、実際にいたのだそうだ。

 たいした産業も無いフィンランドは、ノキアのヨルマ・オリラ元CEOというたった一人の天才経営者の力で復活した。

 15年前には日本の家電メーカーとの競争に敗れ、前任CEOが自殺までして、倒産寸前だったノキアは、シティバンク出身のオリラ氏が入り、携帯電話に経営資源を集中する戦略で数年で世界一の座を獲得した。

 これが、同時にフィンランドを経済危機から救うきっかけにもなり、文字通りオリラ氏は一人の経営者の力で人口500万人の国の経済を立て直したに等しい。

 ノキアのフィンランドにおける売上は1%で、残り99%は海外での売上だそうだから、国への貢献はすさまじい。

 大前研一氏によると、21世紀には、突出した企業や個人を創る以外に、経済を成長させる方法は無いらしい。世界経済に勝つ指標は、「ジャック・ウェルチを何人作れるのか」らしいのだ。

 日本の総合家電メーカーがGEやノキアに勝てない理由は、名門大学出身のアカデミック・スマート(学校秀才)を集め過ぎたからだという。
そこには「方向」を判断する力とガッツが無いのだそうだ。

 そんな話を聞くと、自分の才能を選んだ分野で目いっぱいに磨いて、周りの人達や社会全体を豊かにするために、全力でぶち当たろうという気持ちになるのではないか。

 その分野においては日本一、いや世界一になるくらいに専門知識を磨いて、学者とでも対等に議論できるくらいのプロになれば、意外と天才への道は身近に転がっているかもしれない。

 なにも難しいことではない。

 東京駅前の丸善書店に足を運び、自分の担当が自動車産業なら ”自動車”と名のつく専門書を片っ端からカートに入れて、通勤途中に読破すれば、1年、2年で自信はつくだろう。初期投資は一万円か二万円だが、それが10年後に一国の経済を担うほどの天才になれるのならば、安いものだ。

 (注: ヒデキは外資系証券マンであり、丸善書店の社員ではありません (笑))


 
posted by ヒデキ at 02:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 新人ビジネスマンに贈る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする