2014年07月25日

【 お知らせ 】

 8月1日よりブログの題名が 『 外資系つれづれ 』 に変わります。

 2009年5月に始まった 『 外資系金融マンのつれづれ日記 』 は、2012年に現在の題名に変わりました。

 一日の読者が3,000人を数えるようになり、より覚えやすい名前にすることと、東京ガスやJR東日本、東京証券取引所といった社会のインフラのひとつとして常に刺激や知識を社会に発信していくという決意を込めて、ブランドを強化していくためです。

 『 外資系つれづれ − 新しい知のインフラ 』 をどうぞ宜しくお願いします。

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2014年07月21日

攻撃不参加が築いた 「国益」

 − 名古屋市瑞穂区、29歳女性、会社員 中日新聞より

 昨夏、私は旧ユーゴスラビアのセルビアを訪れた。あまり知られていないが、セルビア人には親日家が多い。東日本大震災のときには、自国の経済規模に見合わない額の寄付が集められた。私も多くの親日家のおかげで楽しい旅ができた。

 私は地元の親日家の人に、なぜ日本を好きでいてくれるのかと聞いた。返ってきた言葉が忘れられない。「だってあのとき、日本は来なかっただろう?」

 「あのとき」 とは、ほんの15年ほど前まで起きていた紛争のことだ。欧米諸国が激しい攻撃や経済制裁を科す中、日本は中立的な立場を保った。攻撃へのいかなる参加もしていない。紛争終結後はいち早く経済支援を行い、今でも継続されている。

 セルビア人はそのことを忘れていない。義捐金や旅人への親切として、その思いを返してくれた。日本がこれからも彼らの思い描く日本である限り、その思いは続いていくだろう。これこそが 「国益」 ではなかろうか。

 『 自衛隊の海外派兵がもたらす苦しみ 』

「日本の国を守るためなら命を惜しまない。でも、今の俺たちは誰のために活動しているのか。」

- 同じく中日新聞より

 近くの公園で遊ぶ子供の声が、アパートの部屋に聞こえてきた。
北海道の小さな町に住むその女性は、あれから10年が近づく今も悲しみをぬぐえずにいる。2004年、陸上自衛隊の隊員だった夫は、人道復興支援活動でイラクに派遣された。幼い子どもがいたが、所属部隊には 「行きたい」 と自ら手を挙げた。

 出発が迫った日、イラクの治安悪化を伝えるニュースを見た。心配する妻に、「いい経験になるし、決めた以上は行くよ。」 派遣後はときどき、テレビ電話で話をした。

 元気そうに見えたが、「 爆弾の音が聞こえて、落ち着いて眠る日がない。 」 とも話していた。様子が変わったのは3月の任務が終わり、帰国してからだ。

 「俺、ちょっとおかしい。」 自衛隊病院に行くと部隊に分かってしまうから、目立たない小さな病院に通った。帰国後に昇進し、かつての先輩よりも階級が上になって 「嫌がらせを受けている。」  と悩んでいた。

 夜になると  「悪口が聞こえてくる」  と幻聴にもうなされた。そして一年後、彼は自宅で自殺した。

 自衛隊をうらむつもりはないが、 「 ただ、パパは何で死んじゃったのって、子供に聞かれるのがつらい。」。 夫を支えきれなかった悔しさを思い出したくなくて、自衛隊の話題が多い最近のニュースには耳をふさいでいる。

 イラクから帰国後に自ら命を絶った自衛官は28人いる。派遣当時、現地で隊員のメンタルケアに当たった元医官は、プレッシャーや人間関係などを挙げて、「理由は一つではない。」 と話す。

 極限だった緊張が一気に緩んだためだとみられるが、その症状に病名はなく、対処法も見つかっていない。

 心を病んだ隊員と妻へのインタビューを重ねた滋賀大助教授の福浦厚子氏は、 「苦しむのは隊員本人だけではない。」 と訴える。恐怖にうなされ叫び声を上げる夫を昼も夜も支え、自らも鬱(うつ) を病んだ妻がいた。

 「集団的自衛権により海外派兵の機会が増えれば、心を患う人も増える。」

 福浦氏は、活動範囲が広がろうとしている隊員とその家族を心配する。

 灼熱の砂漠。迫撃砲やテロの危険があったイラクの宿営地。24時間態勢で警備に当たった隊員の一人は、帰国して 「多くのことを学びました。」 と報告した上司に 「イラクのことは忘れて、日々の訓練に専念しろ」 と言われた。

誰のため、何のために命を懸けてきたのか。自分が経験したことの意味が分からなくなった隊員は少なくない。

「日本の国を守るためなら命を惜しまない。でも、今の俺たちは誰のために活動しているのか。」 ある自衛官はこう語った。

 集団的自衛権を行使しようとする自民党は、兵士の命、日本の国益を損なう愚挙に気づいて欲しい。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

広瀬隆箸の 『赤い盾』 を読んでみて下さい。世界でもっとも富裕なロスチャイルド家の歴史を描いた本ですが、いかに欧米の軍事産業が戦争から多額の利益を得て、肥大化したかが分かります。






 
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2014年07月20日

民主党が地方自治体首長選挙に勝利。集団的自衛権への反対票

 先週の滋賀県知事選挙。民主党が僅差で自民党推薦を破りました。得票差を見ると本当に肉薄しているのが分かり、これは集団的自衛権を強硬に推し進めようとする安部政権への反発だということが読み取れます。

 平和憲法第9条をないがしろにし、イギリスやドイツなどと同様、アメリカの言いなりになって海外に自衛隊を派遣し、戦争を買うようになれば、世界中から愛されてきた日本に1,000年の憎悪を抱くテロリストが増え、イギリスやフランス、ドイツなどが経験してきたように、テロの犠牲になる国民が出てくるでしょう。

 それ以上に、自国を守るために必死で働く自衛隊員にも犠牲が出るでしょう。自衛隊を海外に派遣して、得をするのは米欧の軍事産業だけです。ワシントンのロビイストに金をまいて軍事紛争を促進する一部の企業です。

 イラクが大量破壊兵器を持っていなかったのに、戦争をでっち上げた2003年のブッシュ政権がその冠たる例です。

 なぜか日本の新聞はこれに目をつぶって真実の報道をしていません。私の見る限り、唯一、東京新聞だけが真実を報道していました。

 自民党も早くこの愚挙に気づいて欲しいと思います。

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2014年07月16日

国際金融センター 東京

 マネックス証券、松本大がメルマガでこんな話をしていました。大いに賛成です。

まずは、この国の度が過ぎる規制をなんとか緩和して欲しいと思います。金融だけでなく、旅館業法(イギリス人の若者がはじめた簡易宿泊所ベンチャーが摘発、逮捕された。)、通訳案内士の資格の緩和(地方の観光地が通訳ガイド不足で観光立国の商売機会を失っている)、保育士免許の難しさ(保育園・託児所の保育士不足で女性の社会進出がはばまれている)、宅地建物取引業法の緩和 (自由奔放なデザインや建築物をつくれず、白とグレーだけの味気ないマンションばかりが乱立。)、ありとあらゆるところにはりめぐらされた、度が過ぎる規制の多さが、至る所で日本経済のダイナミズムと、雇用の機会を損なっていると思います。

 私たちも、至る所で声を上げて規制の緩和を叫び、小さな声を大きくしていきたいですね。国会議員にも頑張って欲しいと思います。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

東京を国際金融センターにしよう。素晴らしい構想だと思います。私が青春を 賭けた国際金融。いや今でも人生を賭けている金融は、そもそもが国際なので、 東京を国際金融センターにすることは、私にとっては人生のど真ん中のような テーマなのです。国も都も、是非々々推し進めて下さい。よろしくお願いしま す。

ただちょっと不安が。国際金融センターを作ろうと考えるならば、先ず一番に意見を聞くべきは外資系金融機関の皆さんです。彼らがどうしたらもっと東京 に活動の重心を置いてくれるかを具体的に聞くべきです。餅は餅屋。目的に目 指した形で取り組んだ方が効果的で効率的です。そもそも彼らの声なしで国際 金融センターが作れる由もない。

日本・東京には、金融に関しては多くのアドバンテージがあります。既存のビジネスを守ることに拘らないで、遙かに大きいビジネスのパイを作り、それをみんなで分かち合うような、そんな設計を是非して欲しいと思います。

 【 10億円を捨てた男の仕事術 松本大 】
 

 【 お金という人生の呪縛について 松本大 】


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2014年06月29日

丸紅が投資株数を100株に分割 5大商社株がすべて100株単位、7万円台から投資可能

 丸紅は2014年8月1日より単元株式数を100株に変更すると発表した。株主層の拡大につなげるのが狙い。これで5大商社の最低投資株数がすべて100株になる。配当利回りは3%台。

 6月26日の株主総会でも投資単位の引き下げについて複数の株主の意見が出ていた。

 【 超入門! 株式投資力トレーニング 】

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BNPパリバインベストメント・パートナーズ社長に島崎亮平氏

 1986年英ケンブリッジ大院修了。英ロバートフレミング投資顧問入社。2010年ベアリング投信投資顧問社長。福岡県出身、53歳。

 【外資系金融のExcel作成術 − 表の見せ方 & 財務モデルの組み方】

 

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2014年06月21日

商社マンの仕事 ”サブサハラに商機あり 灼熱のアフリカ大陸を駆ける男たち”

 - 住友商事、鉄鋼原料部、瓜生慎一、鈴木健司、山口正生

アフリカ大陸サハラ以南、この地域の可能性に今、世界の注目が集まっている。半世紀にもわたってこの地域とつきあってきた住友商事は、ビジネスを通じて地域の発展にも寄与する。

 “世界の鉱物工場で”

 アフリカ大陸の3分の1を占める世界最大のサハラ砂漠。この広大な砂漠よりも南に位置する49か国が、今、サブサハラアフリカと呼ばれ、世界中の投資家やグローバル企業が熱視線を送るホットスポットになっている。

 1990年代、アフリカ各地の内戦が終結し民主化が進んだ。経済的制約が取り除かれたことで、国際社会からの援助や投資が再開。10年連続で年5%前後の成長率で経済発展を遂げ、着実に人口が増加している。

 今では金、ダイヤモンド、プラチナ、レアメタル(マンガン、クロム、バナジウム等)など世界の鉱物工場とまで呼ばれるアフリカ最大の資源大国へと変貌をとげた。

 最大都市ヨハネスブルグから飛行機で1時間半。突然、地平線の彼方まで続く大地が赤茶色にかわり、土漠のど真ん中に巨大な露天掘りが出現する。クマニ鉄鋼山である。南アフリカの鉄鉱石は、ブラジルやオーストラリアに産出量で劣るものの、世界最高峰の品質。

 鉄鋼原料部の鈴木健司は言う。
「南アフリカ産の鉄鉱石は、鉄分含有量が65%と高く、そのまま高炉に(新鉄をつくる設備)に投入できる鉱石を多く産出できるのです。現在、オーストラリア産で60%前後、中国産に至っては20%しかない。

 結局、中国産の鉄鉱石は輸出に適さないので、すべて自国で消費。中国は鉄鉱石の主要産出国でありながら、世界最大の輸入国でもあるのです。」

 住友商事は現在、日本向けに年100万トン、中国にはその7倍の700万トンの南アフリカ産鉄鉱石を輸出している。

 
 南アフリカ最大のクマニ鉱山を所有するアソマン社との付き合いは、同国がまだアパルトヘイトの真っただ中にあった60年代にまでさかのぼる。

 「当初は日本向けに鉄鉱石を輸入していましたが、その後はマンガン鉱石や合金鉄も扱うようになりました。94年、住友商事は株式を1%所有し、徐々に資本比率を上げ、今では投資総額450億円を投資して、同社の持ち株会社の49%を保有しています。」
(鉄鋼原料部長 瓜生慎一氏)

 「投資とトレードが両輪で結びつき、着実に成果を上げるアマソン方式のビジネスモデルは、ある意味、商社の理想なんです。」瓜生はそう言って胸を張る。

 実は、アマソン社への投資は、南アフリカが現体制となって以降、日本企業として最初の民間投資だった。当時、アパルトヘイトに抗議するため、世界の投資家やグローバル企業は同国から撤退。
 
 政権交代後も再び、国内情勢が不安定になるのではないかと憶測を呼び、投資の再開はいずれの企業も及び腰だったという。なぜ、住友商事は実行できたのか?

 「30年以上、アマソン社の創業家とビジネスを通してお付き合いをしてきました。その歴史がなければ実現していなかったでしょう。新しく誕生した新制南アフリカを社をあげて応援したいという気持ちもありました。」

 “風力発電事業に参入”

 それでも中東や中国などに比べると南アフリカの政情は安定していると関係者は口を揃える。政権与党であるANCが安定多数を占めているからだ。その上、皮肉にもイギリスが南アフリカ共和国の誕生に深く関与したことから、同国の法律は英国法を基本にしている。

 そのため、ビジネス上のトラブルはほとんどない。

 2013年、住友商事は今後東南アジアでも増加が予想されるマンガン系合金鉄の需要に対応するために、アマソン社に加え台湾の製鉄会社であるチャイナ・スチール社と三社で、マレーシアのサラワク州にマンガンの製造工場を建設すると発表した。

 南アフリカ産のマンガンをマレーシアまでバルク船で輸送して、現地で安価で安定的な電力を活用し加工しようというのだ。山口は言う。

 「こうした将来を見据えた新事業のファシリテーとも、商社としての総合力が問われる。今後、間違いなく東南アジアがマーケットになる。」

 世界の風の通り道を示す 「風況地図」 を広げると、南アフリカが風力発電に格好の場所であることが分かる。南アフリカの南東部に位置し、インド洋に面する東ケープ州にあるモルテノという田舎町の近郊に、住友商事が資本の60%を出資して設立した 「 ドーバー・ウィンド・ファーム (DWF)」 がある。

 プロジェクト名にもなっている「ドーバー」 とは地名ではなく、この土地で放牧されている羊をさす。

 2011年、住友商事は南アフリカで日系企業初となる風力発電事業に参入すると発表。南アフリカ政府の大規模再生エネルギー事業権入札において、住友商事はIPP (Independent Power Provider: 独立系発電事業者) として競合を競り抜き落札した。

 同社は南アフリカの風力発電の市場性にいち早く注目し、入念に参入の準備を進めてきた。その成果である。2014年の稼働をめざし、2.5メガワットの風力発電タービンを搭載した巨大風車40基の建設が進んでいる。

 「当社が現地パートナーと協力し、マネジメントのリードを取って、開発、建設を進めてきました。発電容量は100メガワット。約8万世帯の消費電力をまかなうことができます。将来的にはDWFの隣接地で拡張が可能です。」

そう話す環境エネルギー事業第二部再生可能エネルギーIPPチーム主任、若林美由紀は、同社が南アフリカで初めて取り組む風力発電事業の主担当者に抜擢された。風力発電は、発電した電気を確実に売電し、石炭火力や原子力などと比べて圧倒的にランニングコストが安く、無論、温室効果ガスを排出しないため環境に与える負荷は少ない。

 南アフリカでは、国の電力供給事業の約9割石炭火力に頼り、急激な国の経済発展と人口増加によって、慢性的な電力不足に陥っている。ヨハネスブルグや、ケープタウンでも、計画停電が行われることがある。

 サブサハラの人口は2020年にはインド(12億人)を抜き、2030年頃には中国を(13億人) を抜いて世界最大の人口密集大陸になる試算まである。

 2011年、住友商事はヨハネスブルグ支店に 「サブサハラ・オフィス」 を設置し、社内横断的なビジネスの掘り起こしに力を入れてきた。その結果、現在では南アフリカの他に、ケニア、マダガスカル、ガーナ、アンゴラ、タンザニアの5カ所に現地オフィスを構える。

 またビジネスだけでなく、社会貢献活動にも余念がない。アンゴラでは対人地雷の除去を支援し、南アフリカでは労働者の生活環境を改善するためのコミュニティセンターの建設などにも尽力している。

 ビジネスが直接、国際貢献につながるのも現地に根を張る商社ならではの流儀である。アフリカ支配人、小野島恭は言う。

 「今、世界のビジネスパーソンがサブサハラをめざしていますが、住友商事はもう半世紀にもわたってこの大陸とお付き合いしています。いわば、お互いの仕事の哲学を共有しているのです。

 日本の商社として、この地域の発展に関わることができるのは夢のようです。この時代にはこれだけのロマンが詰まった場所は世界にないと思っています。」

 (引用: 『 住友商事 by AERA 全力世界 』 )


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2014年06月14日

【なんだかトンデモナイ仕事量が降ってきた】

もう無茶苦茶な仕事量が、無茶苦茶早い短納期で降ってきた! それを「ハイ」 と受ける方だって、勿論悪いんだろうけど、連日の深夜残業でスタミナが切れそう。

「アイツはGS証券出身だから、無茶苦茶な仕事量にもついて来れる」 というのがボスの期待値だからだ。

頭はバカでも、期待された以上は応えねば。でも、会社クビにされて、ウサン臭い婚活ブローカーになった方が、人生楽しいんじゃないか、って邪心も日に日に強くなってるんだけど(笑)。

【 外資系金融の終わり 】


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2014年05月25日

個人投資家がヘッジファンドを打ち負かした日

 全国の個人投資家が着実に資金力を付け、これまで情報量の差、金融インフラの力の差で太刀打ちできなかった金融のプロ、ヘッジファンドを株式相場で打ち負かすという快挙が報道されました。

 『超高速取引』 (大規模なコンピュータシステムを使い、アルゴリズムを用いて1秒間に10,000回もの株取引を行う株取引)、『コロケーション』 (証券会社がTSE 東京証券取引所のすぐそばにサーバーを置き、他の投資家よりも0.0001秒だけ速く注文を場につなげることで有利な約定をつける) など、金融のプロであるヘッジファンドにいいように相場を動かされていた状況ですが、ここにきて、金融のプロを打ち負かしたのです。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   

 膠着、閑散、停滞状態が続いてきた株式市場だが、その片隅でスマートフォン(スマホ)向けゲームのヒットで昨秋から人気化したミクシィ株を巡る激しい局地戦が繰り広げられている。

 主役は規制緩和で資金力を増した個人マネーだ。ミクシィ株に一極集中で流れ込んだ個人資金は、割高とみて空売りに動くヘッジファンドをも圧倒する。元気のなさが指摘されてきた個人投資家マネーが、したたかな一面を見せつける。

 「ゲーム好きが高じて今株式投資にのめり込んでいるようなもの。『モンスト(スマホゲームのモンスターストライク)』は面白いと思ってミクシィ株を買ったらもうかった」都内に住む専業デイトレーダーの男性(35)はこう話す。

最初は昨年11月。2000円前後だったミクシィ株を買って4500円前後で手放し、約3千万円の売却益を手にした。今週も頻繁に売買。ただ「上がりすぎて少し怖くなった」。23日は株価1万180円で買い、数分以内に1万220円で売却したという。 

こうした超短期売買の個人を引き寄せるのはミクシィ株の激しい値動きだ。23日は朝方安くなる場面もあったが、午後2時ごろから一気に上昇。一時前日比12%高の1万540円と、3日連続で昨年3月の株式分割以来の高値を更新した。

 松井証券では個人顧客のミクシィ株の平均保有時間は約5分。「日中の値幅が大きいので、数分の保有で個人は利益確定に動いている」(窪田朋一郎シニアマーケットアナリスト)という。

ミクシィ株は3日連続で東証上場全銘柄で売買代金トップを記録した。大商いの理由はある。同社は14日、「モンスト」好調で2015年3月期の営業利益を100億円(前期は4億8000万円)と予想した。ただ多くのアナリストは今の株価水準に懐疑的。

担当アナリスト7人のうち、6人が現在の株価を大幅に下回る1270〜3800円を目標株価に設定している。唯一強気なのは目標株価を1万2500円に引き上げた三菱UFJモルガン・スタンレー証券だけ。企業分析のプロであるアナリストの見方がこれほど分かれるのも珍しい。

 さらに、上がり続けるミクシィ株は海千山千のヘッジファンドをも窮地に追い込んでいる。ゴールドマン・サックスは2月以降、ミクシィ株の大口の空売り残高を公表。

21日までに約51万株に達した同社の空売りの注文の出もとは、顧客の複数のヘッジファンドとみられるが、その後の株価上昇で大きな含み損を抱える状況に陥っている。 今やミクシィ株は、プロも先行きを見誤る「モンスト」(モンスター・ストック)になった。株価急騰は確かに、個人マネーが一極集中した相場の手詰まり感の裏返しの色彩が強い。

だが、信用取引で個別株を一日何度も売買できるようにした規制緩和により個人がプロを負かす資金力をつけたことの証しでもある。ガンホー・オンライン・エンターテイメント、コロプラ、そして今度の「ミクシィ相場」は、市場の「質」の変化を象徴しているといえないだろうか。

 (引用: 日本経済新聞)

 【 株式投資力 トレーニング − このチャート 売り、買い、どっち? 】



 【 カラ売り入門 ノウハウと定石 】


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2014年05月17日

商社マンになるには (3)

 過酷な採用試験をクリアするには

 “面接で何を聞かれるか”

 総合商社の採用活動を例に取ると、春採用では、総合職・一般職どちらも入社する前年の3月からES (エントリー・シート)提出開始、以降、4月に筆記試験、面接試験と進み、早い人では4月中旬に。人によっては5月中にも内定通知が出る。

 なお、最近では、夏採用といった6月から7月にかけての採用活動も行われることが多い。基本的には、春の採用試験で縁がなかった人でも夏の採用試験の受験は認められているが、会社によっては、春、面接まで進んだ人の受験は認めないなど、さまざまな制限があるので、受験を考えている向きは、志望する各社への問い合わせが必要だ。

 さて、春・夏どちらの採用であっても、採用スケジュールはおおむね次に示すとおりである。

   ◎ ◎ ◎ 採用スケジュール ◎ ◎ ◎ 

 若手社員との懇親会、OB/OG訪問 − 1月から3月下旬。誰でも参加できる。
     ↓
 ES (エントリー・シート提出) − 3月下旬締め切り。誰でも参加できる。
     ↓
 筆記試験 − 4月初旬、ESを提出した人ならば誰でも受験可能。
     ↓
 第一次面接 − 若手社員による面接。なごやかな雰囲気。
    ↓
 第二次面接 − 中堅社員による面接。圧迫面接もあり。
    ↓ 
 第三次面接 − 幹部・中堅社員による面接。論理的な説明が必要。
    ↓
 第4次面接 − 幹部社員による面接。より具体的な説明が求められる。
    ↓
 最終面接  − 役員による最終面接。プレゼンテーション能力が求められる。

 この通り、採用面接では、第一次、第二次、そして最終面接まである。面接の回数を重ねれば重ねるほど、その質問内容は厳しくなると考えるのが常識だ。

 また、かつては最終面接までくれば、もう大丈夫、会社の人事側も面接者の味方だという声も聞こえた時代もあったが、現在では、最終面接でも進んでも内定に至らない人は多い。最後まで決して気を抜いてはならない。

 さて、第二次面接以降の面接では、いわゆる圧迫面接が行われることもある。この圧迫面接で、本来の自分のペースを崩してしまい、面接に失敗、つぎの面接に呼んでもらえなかったという話も多い。

 こうした圧迫面接への対策は、小手先のテクニックでは通用しない。もちろん面接慣れしていればよいというものでもない。日ごろからのみずからの生きる姿勢、そのものが問われるといっても過言ではないだろう。

 圧迫面接の目的は、就活生自身が、何事もどれだけ深く物事を掘り下げてみているか − を見るものだ。事実、「面接で圧迫して、しどろもどろになる、もしくは逆切れするようでは、しょせん、付け焼刃の意見、理論、それでは商社ではなくても、社会で通用しないだろう。

 そんな人間を商社マンとして育てるほど、どこの商社も余裕はない。」 (商社マン談)

 いわゆる圧迫面接を切り返すポイントは、就活生自身がアツくならない。冷静に切り返すことだ。

 “筆記試験の対策は”

 よく民間企業の就職では筆記試験はほとんど関係ないとまことしやかな噂がある。これは総合商社をはじめ、就活生に人気のある大手企業、有名企業に限れば、ウソといっていい。やはり採用されるには、筆記試験も重要な試験科目であるといっていい。

 とはいえ公務員試験ではないので、筆記試験の成績がよければいいというものでもない。商社の試験では 「面接に進むための最低ラインをクリアできる程度」 の学力を身につけておけばいいというだけの話である。

 「大学の就職対策で行う筆記試験対策を何度か復習しておけば十分。」 (20代商社マン)

 こう書くと、さほど筆記試験への対策に力を入れなくてもよいと思う向きもあるだろう。しかし、

 「人気企業、有名企業には、採用希望の学生が殺到する。なのでふるいをかける意味で筆記試験を行うのは当然。筆記試験でボーダーラインをクリアできなければ面接の場も与えてくれない。筆記試験を軽視する学生は、就職活動でも苦労する。」 (就活コンサルタント) 

 という声もある。なので筆記試験でも、十分な対策は行っておく必要があろう。

 筆記試験は大学の就職対策講座、あるいは市販のSPIやWebテストの参考書・問題集を、最低、3回は繰り返し解き、間違ったところは徹底的に復習しておきたい。

 ( 引用: 『商社マンのお仕事と正体がよ〜くわかる本』 )

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『 日本は今すぐ移民の受け入れを 国力衰退する前に 』

 − 大前研一が語っています。

政府が「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」 との中長期の国家目標を設けることが3日明らかになりました。

日本の人口はこのままでは2060年に約8600万人まで減る見通しのため、2020年ごろまでに集中的に対策を進め、人口減少に歯止めをかける狙いとのことです。

相変わらず、政治家や役人はずるい表現をするものです。 「50年後」には誰も生きていないでしょうし、責任を問われることもないでしょう。ただし、政府にこのような態度を取らせてしまう責任は国民にもあります。日本が人口を維持するとなれば、計画的に移民を受け入れる以外に方法はないと私は思います。

 しかし日本人は移民の受け入れに、異常なほどマイナス感情を持っています。本来ならば、50年後といわず「数年後」と言いたいところなのでしょうが、国民感情を考えて50年後と言っているのだと思います。

 50年後と言いながら、徐々に国民に危機感を抱かせ、理解してもらうという手順を想定しているのでしょう。しかし私に言わせれば、逆にそれでは「危機感」は生まれてきません。

 50年後ではなく「5年後」と言うことで、強烈な危機感を抱かせるほうが良いと私は思います。そして、遅々として移民対策は進んでいません。政府は2012年5月から外国人受け入れの優遇制度を始めましたが、結局機能していません。

 これまで単純労働者は認めない一方、高度人材は歓迎すると説明してきましたが、実際の受け入れペースは鈍く、高度人材の認定数は今年1月までの20ヶ月間でおよそ900人、月50人程度のペースで法務省が見込んだ認定ペースの3分の1以下に留まるとのことです。

世界の外国人労働力人口の割合を見れば、米国15%、ドイツ10%程度です。英国も最近大きく割合が上がってきています。そんな中、日本はほとんどゼロに等しい状況です。

最近では、建設業界で人手不足のため一時的に外国人労働者を受け入れていますが、需要がなくなったら、再び本国に返してしまいます。これではダメなのです。

人口減少、高齢化社会、労働人口不足は「構造的な」問題だからです。「外国人=犯罪」というイメージなどが強く、日本は異常なほど外国人アレルギーを持っています。それでも移民を受け入れ、2年間の教育制度を整備して、グリーンカードを配布するなどの施策を私は20年以上前から提唱しています。

 こんなことを言えば、周りから叩かれるので誰も言いたくないのでしょうが、本当の意味で日本の将来を考えれば、やらなければいけないことです。年間30万人以上の移民を受け入れなければ間に合わないのだという事実を認識し、すぐに動き出してもらいたいと思います。

【 薄毛で悩んでいる方に朗報 − 3ヶ月、毎日つけていたら髪がふさふさ生えてきました。ミカン抽出液、イヨカン抽出液からできた自然派育毛剤です。知人から驚かれました。 ブログ著者の経験です 】

 黄金宮

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2014年05月11日

「週4時間」 だけ働く (2)

 「9時〜5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に住み、ニューリッチになろう」

 ティモシー・フェリス (6カ国語を話し、世界中で利用できる無線機器の多国籍企業を経営。2003年以来、プリンストン大学の客員講師として 『理想的なライフスタイルデザインと世界の変革をもたらす手段としての起業家論』 の講義を行う。) の著作である。

 「金持ち父さん、貧乏父さん」 というロバート・キヨサキの著書は有名だが、こちらの “ 「週4時間」 だけ働く” のティモシー・フェリスもなかなか面白い。

35か国語に訳されて出版され、1000万部を売り上げた驚異的な著書である。人生を楽しみながらお金を稼ぐ究極のライフスタイルをデザインしようという趣旨。

 高収益のスポーツサプリメントの販売ホームページを作成し、ぼう大な時間をシップメントや顧客対応に割いて収入を得ていたものの、オペレーションに忙殺されて死ぬ思いを経験し、一挙にプロセスを外部にアウトソーシング(業務の外注)することで、週4時間だけ働く生活を手に入れたというストーリーである。

 ドロップシッピング (製造元直送) の成功者で、 ”Brain QUICKEN” がそれだ。
http://www.bodybuilding.com/store/bq/body.html

これは一言で言うとNR ( ニューリッチ ) の手引書だ。

 “ 9時 − 5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に住み、ニューリッチになろう。 この不景気は、あなたを変える絶好のチャンスだ! ” と銘打ったカバー。

革新的な企業、ケンタッキーフライドチキンやマイクロソフト、ドミノ・ピザ、フェデックスといった企業は皆、不景気のあいだに生れており、物価も人件費も広告費も安い不景気は、ニュービジネスをしかける絶好の時期で、あらゆる人が楽観的なとき (好景気) なときは、これらはすべて不可能なことだと云う。

 空いた時間がふんだんにできたおかげで彼が手に入れた肩書は、

 − プリンストン大学 「ハイテク企業論」 客員講師
 − アメリカ人で史上初、タンゴのギネス世界記録保持者
 − 30人以上のプロスポーツ・オリンピック世界記録保持者のアスレチックアドバイザー
 − 雑誌 『 ワイヤード 』 の2008年の偉大なセルフプロモーター
 − 中国式キックボクシング世界選手権王者
 − 台湾MTV出演のブレイクダンサー
 
 要領の良さだけで名門プリンストン大学に入学したというティモシーは、秀才肌というよりストリート・スマートで、語り口も軽妙だ。

 本のボリュームが622ページもあり、家庭円満の秘訣、学生にとって本当に必要な人生の勉強法、CEOの経営術、プロフェッショナルな放浪術など、トピックも盛りだくさんだ。

 著書には、 "10分で200%速く読む方法" なども紹介されている。

 本をよまなくてはいけないときもあるのも事実だ。10分間でできる。ダメージは小さく、読解力はそのままに少なくとも200%読むスピードを上げる、かんたんな4つのコツがある。

1. 2分間、ペンか指で、読んでいるところをできるだけ速くなぞる。
読むことは一連のスナップショットのつながり (いわゆるサッカード “無意識の高速な眼球運動の一種”) であり、視覚的なガイドで後戻りするのを防ぐことができる。

2. 3分間、それぞれの行の最初と最後から3番目の単語に集中する。
そうすることによって、周辺の無駄な余白を見ずに済む。例えば、次の行の太字表記されている部分が業の初めと読み終わりに集中する部分である。文章全体をより少ない目の動きで読む。

Once upon “a” time, an information addict “decided” to detox.
(むかしむかし、情報依存者は、情報を排除することを決意しました。)

両側からどんどん動かしていくうちに、容易になるだろう。

3. 2分間、一度、両端から3つか4つめあたりに注目することになじんできたら、今度は各行の最初と最後の行の2ヶ所だけを素早くキャッチしてみよう。

4. 3分間、慣れたスピードで読む前に、上記3つのテクニックを使って、細かくは理解できないくらい速く5ページ読む練習をする。

これは理解力を高め、あなたの読むスピードの限界をリセットするだろう。ふつう、時速80キロは早く感じるが、約113キロで走っていたハイウェイから降りたら遅く感じるのと同じような感覚だ。

 このようにして進歩してきたら、あなたは世界でもっとも速い読み手の1%の仲間入りだ。
 
【 「週4時間」 だけ働く。 】

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2014年05月06日

孫正義 リスクを成功に変える28のルール

 M&A戦略で盛んに海外企業の買収を仕掛け、2013年度の純利益が5000億円を突破したソフトバンク。一代で日本を代表する企業を作った孫正義の行動ルールを学んでみましょう。

 「仕事術−仕事の悩みは仕事で解決」から、引用します。元ソフトバンクの社長室長が書かれた本です。

 「今日できること」は今日やる!

Q:仕事がうまくいかず、夜も眠れません。どうしたらいいのでしょうか?
A:「今日の仕事」と「明日以降の仕事」に分ける

 社会人をやっていれば、一度はこんな悩みを持つときがあるもの。しかし仕事の悩みを抱えたままベッドに入っても、悪いことばかり想像して、ますますネガティブな気持ちが強まってくるだけ。ならば仕事を始めて、悩みのもとを解決する努力をした方がよい。これが孫正義氏の言う「仕事の悩みは、仕事でしか解決できない」ということだそうです。

 次にやるべきは、「今日できること」と「明日以降しかできないこと」を明確に線引きすること。そして書き上がったら、「今日できること」をどんどん実行していく。そうやってすべてを終えたら、残っているのは「明日以降しかできないこと」だけ。そこまで作業を進めれば疲れも出てきますし、さすがに眠くなるというわけです。

 孫正義氏も、深夜までミーティングを続け、詰められるところまで詰めると最後に必ず
「よし! 見えてきたな」と声に出して帰るのだとか。それは、「その日にできることはやり尽くした」という合図のようなものだといいます。

 リーダーはどんな時でも全責任を取る!

Q:リーダーシップとは何でしょうか?
A:目標を決めて役割を振って、責任を取ること

 リーダーシップのあり方はいろいろ。しかし孫正義氏を間近で見ていて、著者は気づいたことがあるそうです。それは氏が「目標を決めて役割を振って、責任を取ること」でリーダーシップを発揮しているということ。

 そして「社員に役割を振る」ことについて徹底しているのだといいます。あいまいな支持や複雑で難しい指示を社員に与えてもなかなか伝わらず、できもしない指示を出しても無意味。それぞれの社員の能力を見て、指示を与えることが大切だということです。

 重要なのは、リーダーが責任を取ること。たとえば「孫正義が責任を取る」ことは、ソフトバンクが快進撃を続けている理由のひとつでもあるといいます。(145ページより)

 段取りを組んだら考え込まないで一気にやる

Q:プレゼンテーションの準備や資料作成など仕事が遅くて困っています。どうしたらいいでしょうか?
A:難しい資料は一晩寝かせ、「1泊2日」で作る

 仕事を素早く片づける方法として著者がおすすめしているのは、「1泊2日資料作成法」。ソフトバンク時代、孫正義氏から「大至急、資料を作れ。明日の朝まで」と言われる中で編み出した方法だそうです。

 まず1日目に、荒削りでも一気に作ってしまう。この過程で全体の流れを決め、必要なデータなども洗い出す。そして2日目に、足りない資料やデータなどを集めて一気に仕上げる。これがもっとも効率的な資料の作り方だということ。

 仕事をどんどんこなしていくためには、可能な限り、その瞬間でできることはすべてやってしまい、とにかくいったん仕上げることが大切。そしてそのうえで、無駄な手戻りの原因になるような情報のインプットの時間を減らすことが重要だという考え方です。

 さらに意識すべきは、考え込まないこと。孫正義氏もよく、
「どんなことでも10秒考えればわかる。10秒考えてもわからない問題は、それ以上考えても無駄だ」と話していたのだそうです。

 何かを学ぶつもりで取り組む!

 Q:自分が「やるべきだと考える仕事」と「上から押しつけられた仕事」、どっちを優先させたほうがよいでしょうか?

 A:「押しつけられた仕事」こそ全力を注ぎ、肥やしにする

 「やるべきだと考える仕事」とは、自ら新しい企画を立てたり、その作業をしたりすること。将来への投資ともいえ、自分でやるべきだと決めた仕事だからこそ、納期も仕上がりのイメージも自分で決めることができる要素が多い。

 それに対して「上から押しつけられた仕事」は、重要度が低く、時間や手間がかかったり、失敗する可能性が高いものかもしれません。しかし、こうした仕事こそ、実はていねいにしっかりやるべきだと著者は断言しています。なぜならそういった仕事は、仕事のやり方や、他部門の考え方を学ぶよいチャンスである場合が多いから。

 地味で無駄に見える仕事でも、そこからどんなことをどれだけ学べるかは、仕事に対する姿勢次第。単に「押しつけられた」と捉えず、なにかを学ぶつもりで取り組むことが大切だというわけです。

 だからこそ、ビジネスパーソンならば、上から押しつけられた仕事をきっちり仕上げるべき。そのうえで、将来への投資になる仕事をやるべきだといいます。

 本文内では、このようなひとつひとつのことがらについて、孫正義氏がどのような結論を出したかなどが具体的に説明されています。

 特にリーダーシップについて悩んでいる方にとって、本書は大きなヒントになるのではないでしょうか。

 【 引用: 孫正義 リスクを成功に変える28のルール 】

posted by ヒデキ at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米モルガン・スタンレーが三菱UFJと連携強化へ

 米大手投資銀行、モルガン・スタンレーのジェームス・ゴーマン会長兼最高経営責任者(CEO)は日経新聞のインタビューに応じ、資本提携先の三菱UFJフィナンシャル・グループとの連携関係を「アジアや欧州、中南米など世界的に深める」と語った。

 具体的には「M&A(合併・買収)案件の共同開拓」などを挙げた。モルガンの経営状況については、財務基盤、収益力とも回復軌道に乗ったと自信を示した。

 モルガンが同業のリーマン・ブラザーズ破綻のあおりで2008年秋に経営危機に陥った際、三菱UFJは90億ドル(約9200億円)の優先株を引き受けて資本支援した。11年には保有する優先株を普通株に転換し、現在は出資比率22%の筆頭株主だ。

 ゴーマン氏は、日本では「『貯蓄から投資へ』という流れが加速するのは確実だ」と指摘。「三菱UFJの分厚い顧客基盤に我々の金融商品を提供していきたい」とし、資産運用業の拡大に期待感を示した。

 両社の関係について、ゴーマン氏は「互いの信頼感は着実に深まっている。(一時的な危機対応ではなく)数十年におよぶ戦略提携になる」と表明。「モルガンもウォール街の『保守本流』を自負している。両社の社内文化は実は似ている」と説明した。

 金融危機で深刻な打撃を受けた後、モルガンは収益がぶれやすい自己勘定取引から撤退するなどウォール街でも大胆なビジネス戦略の転換を進めた。

 ゴーマン氏は「我々の経営は安定を取り戻し、財務基盤に加えて収益力も回復軌道にのった」と成果を強調。危機の再発防止を目指す米連邦準備理事会(FRB)など米金融当局による金融規制強化策は「(金融システムの安定確保へ)いい線まできたのではないか」と分析。一段の規制追加は「効果を見るべきだろう」と注文した。

 世界経済の今後数年に期待する“成長市場”として「米国、日本、北部欧州」を列挙した。米景気は「春以降、力強さを増していく。企業収益は拡大が見込まれる」と予想。

 日本の構造改革に関連しては、「大胆な改革に取り組もうとしている安倍政権の努力を素直に評価すべきだ」と訴えた。低空飛行が続いてきた欧州経済は「ドイツだけでなく、北欧やスイスにも景気回復の流れが広がってきた」と評価した。

 ブラジルやインドなど新興国景気は投資マネーの流出など「リスクは常に存在する」と指摘しつつ、ロシア・ウクライナ情勢を含め「現時点では対処可能なリスクの範囲内にとどまっている」との認識を示した。

 モルガンと三菱UFJはサントリー・ホールディングスによる米蒸留酒最大手ビーム社の買収など日米企業のM&A(合併・買収)支援など実績を積み上げている。共同出資で設立した証券会社は13年度に日本でM&A助言分野で首位になった。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
 ジェームス・ゴーマン氏

 豪メルボルン大(法律)卒、米コロンビア大学経営大学院修了。マッキンゼー、メリルリンチを経て2006年モルガン・スタンレーへ。07年共同社長、10年最高経営責任者、12年会長兼務。

 オーストラリア生まれでウォール街首脳では異色の経営コンサルタント出身。特に資産運用ビジネスに精通し、メリル時代に三菱UFJフィナンシャル・グループと日本で合弁会社を立ち上げた経験もある。故郷を愛し、毎年20時間かけてメルボルンに里帰りする。1男1女、55歳。

 【 外資系金融のExcel作成術 】
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2014年04月27日

【 一日20時間働く体力を身につける 月〜木禁酒令を発動! 】

 平日はそれこそ東京時間、ロンドン時間、ニューヨーク時間と、まわるまわる地球といっしょにグルグルとカンファレンスコール(国際電話会議)に追われ、週末もどちらかは仕事。

 30代の頃に米国投資銀行でこのような生活に身体が慣れ、40代となった今も体がぶっつぶれる寸前まで働いているわけだが、健康を損なったらそこで(雇用も)おしまい。自分の体力を増強するために最近はじめたのが酒を断つこと。

 平日は月曜日から木曜日まで断酒して、過酷な勤務にむけて体力を温存する。その代り、金曜日の夜は好きなだけ飲んでいい。このリズムに慣れてきた。先週も金曜の夜はTMEで飲み出したら、止まらなくなってしまった。。。

 ( TMEにはダイバーシティ (多様な業界の男女、多様な人がいっしょくたに集まる楽しさ)の魅力があるから、余計に酒が進む。 )

 つぎは禁煙にチャレンジしてやろうと思っている。そうして一日20時間の勤務時間で月曜日から金曜日まで働けたら、起業家になって一人で営業から開発からトレーディングから人事から経理から採用から総務からITから税務まで切り盛りしなくてはいけなくなったときにも役に立つだろう。

 自分の持つユーティリティ(効用)は、限界ギリギリまで活用するのだ。
posted by ヒデキ at 22:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

【 愚痴るのは嫌だが、愚痴りたい日だってある 】

CIMG3093.JPG

Facebookやミクシイにはみんな、美味しい料理や美しい観光地の写真が並んでいるが、平日は終電まで仕事で、土日も出社のことが多い。オフィス街以外の写真を一度くらいは掲載したいものである。週明けには大きな仕事が待ち構えていて、もう耳から内臓が飛び出そうなくらいのプレッシャー。

会社クビになったら、ウサン臭い婚活ブローカーになりたい。絶対にそっちの方が今よりも楽しい。断言する。
posted by ヒデキ at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

商社マンになるには?

 商社志望 「OB・OG訪問」 はしないとダメ?

 新卒での就活といえば、昔もいまもよく耳にするのがOB・OG訪問だ。
このOB・OG訪問、就活中の学生のあいだでは、いつの時代でもさまざまな噂が流れるものだ。

 「OB・OG訪問をしなければ採用はない。」 「そもそもうちの大学のOBがいないので、もうムリだ。あきらめよう。」 などの類である。これら時代を問わず耳にする噂は本当なのだろうか。

 「まったく事実ではない。OB・OG訪問しなくても入社した人もいる。過去、採用した社員の中にOB・OGがいない大学の卒業生でも入社した人もいる。だいたい、商社マンになろうという人が、こういうことを気にする時点でダメでしょう。

 OB・OG訪問はすればいいだけの話。卒業生にOB・OGがいなければ、その旨、会社の人事にでも話せば、なんとでもなる。」

 (総合商社、40代男性社員)

 OB・OG訪問については、かならずしも行わなければならない、というものでもない。事実、OB・OG訪問を行わずして商社に入った人も耳にする。しかし、ある20代のある若手商社マンは、つぎのように言う。

 「ほんとうに入りたいという気持ちがあれば、やはりOB・OG訪問をして話を聞いてみたいでしょう。会社側からすれば、“訪問する (訪問した会社で働きたい) 熱意” と理解するので。OB・OG訪問を行わずして入社できたというのは、よほど実力のある人。レアケースと思えばいい。」 (総合商社20代社員の話。)

 やはりOB・OG訪問はしたほうがよさそうだ。では、もしOB・OGがいない場合はどうすればよいのだろうか。

 先述した40代の総合商社の現役商社マンによると、人事課などのセクションに 「OB・OGがいないが、訪問させてほしい。」旨、連絡すれば、その訪問希望の学生と同県人、あるいは指導教授の出身校の卒業生など、その学生からみて、なんらかの縁がある社員と懇親の機会を持つなどの措置がとられるという。

 
 まずはOB・OG訪問が商社マンとなるための第一歩といっていいだろう。ただし、このOB・OG訪問の段階で採用が決まるということはない。

 「どこの会社でもOB・OG訪問で訪れた学生さんは、単なるお客様の扱い。二次面接、最終面接になって、ようやくこの学生さんは、ほかの会社には行って欲しくないな。」 と絞り込んでいくイメージらしい。
 
 ( 引用: 『商社マンのお仕事と正体がよ〜くわかる本』 )


 
posted by ヒデキ at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

改めて考える: 「働く」とは何か?

若手ビジネスマンのブログからインスピレーションあふれる文章を紹介します。就職を考えている人にとってもためになるお話です。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

私自身はいい年のオジサンなのだが、思いがけず、周囲に新入社員や就活中の学生がいたりして、彼らの言動を見ていると改めて「働く」ということを考えさせられた。


「我が経験こそ正しい」と「経験の押し売り」をするシニア世代の反論は捨ておいて粛々と自分の思うところを書きたい。私自身は大組織に勤める典型的なサラリーマンであり、自他共に?認める「社蓄」である。


会社から文字通りの月給を頂き、犯罪でも起こさない限り、(仕事と待遇を選ばなければ)直ぐにリストラにならないだろうし、逆に万一(極めて可能性は低いが)目覚しい結果を残せたとしても、一足飛びの大出世ができるわけではない。


典型的な古きよき日本のサラリーマンライフを謳歌している・・・客観的にはそういう人種だろう。
しかし、ありがたいことに周囲の友人は転職、起業をしている率の方が高いようで彼らの動きを見ているととても刺激になる。


自分のおかれている立場との相違が際立って著しいが故に自分の職業観を含めて日々、考えさせられる。
本当に奇特で義理人情に厚い友人に恵まれたものである。

さて、典型的な社蓄である私にも一応、仕事に対するポリシーがある。珍しく親に言われたことだ。
「好きなことを仕事にする」「学んだことを仕事にする」、ついでに書くと「好きなことを書いたり、話してカネがもらえるならこれ以上の仕事はない」。


私は運よく好きなことを仕事にしているし、学んだことを仕事にしている。
だから社蓄を半ば甘受している。さもなければ転職を考えていただろう。

日経新聞をはじめ就活生への指南じみた数々の記事、報道を見ると私が言う、
「好きなことを仕事にする」「学んだことを仕事にする」のは効率よく内定をもらうためには役に立たないようだ。

しかし、就活の最終目的は「自分の「仕事」をできる会社を探すこと」であって、内定社数を競うことではない。私も内定は結局一社からしかもらっていない。「内定勝者」とは程遠い実績である。


しかし、その一社で「好きな仕事」をし、「学んだことを仕事」にできればそれで人生はハッピーだと思う。
十分な企業研究、業界研究を前提にすれば挑むべき業種や企業を絞っても良い。

倍率?あなたが好きなことを仕事にし、学んだことを仕事にすれば会社はあなたを選ぶはずである。
多くの就活生、転職希望者と議論してきたことはたった三つだ。


1.あなたは何をしたいか?
2.あなたは何故、1.のことをしたいか?
3.あなたは1.をしたいがためにこれまで何をしてきたか?

凡そ就職、転職に関する面談で出てくる質問は多少の変化球があっても上記三つだけだ。
そして、私は日々、この三つの質問を自分に言い聞かせている。

「好きなことを仕事にする」「学んだことを仕事にする」というと、反論も多いかもしれない。
「好きではないことも仕事の一つだ」「大学で学んだことは実務では役に立たない」といった具合に。
しかし、私に言わせれば前時代的な、日本でしか通用しない話のように思われる。

「好きなこと」は言い換えれば「仕事のやりがい」「働き甲斐」である。
仕事というのはそれが外から見ると華やかそうな仕事であっても、99%以上は地味な作業の連続である。


好きでもない仕事であれば1%の華やかな仕事に目が向いて、99%の地味な作業は「苦行」でしかない。
そういうと「苦行こそが仕事」というシニア世代の方もいるだろう。

だが、世界を動かす、将来動かすであろうイノベーターなりエヴァンジェリストの人々は地味な作業を「苦行」と思うことなく寧ろ、「趣味」のようにやってのけてしまう。

それを「天才」というのではないか?天才は99%努力する人種だが、努力を努力と思わず、楽しめればそれは苦行ではない。世界の「天才」に対して、仕事が「苦行」でしかない人が太刀打ちできるだろうか?

私は「ライフ・ワーク・バランス」という言葉が好きではない。"No Work, No Life"であり、"Work is Life"とすら思う。「ワーク・ワーク・バランス」の世界である。何故、私は仕事が好きなのか?答えは簡単だ。

好きなことを仕事にしているからである。傍目に見て雑用でも好きでやっているから気にならない。

好きなことを仕事にして給料をもらえるし、好きなことに没頭していて夜遅くなれば残業代が出るし、休日も好きなことをして出勤すると休日出勤手当がもらえる日本企業は本当に素晴らしいと思う。

残業代をもらいすぎるとまずかろうと思って早朝サービス残業も辞さない。全ては好きなことを仕事にしているから地味なこと、普通であれば辛いことも苦にならない。

それでお客様、社会に喜んでもらえて、会社の利益になって、その一部を給料でもらえれば「三方一両得」ではないか? 「大学で学んだことは実務で役に立たない」?いやいやとんでもない。

私は大学で学んだことを日々の仕事で反芻して、追体験している。私は運がいいだけかもしれない。大学で学んだことが偶然、会社で上手く役に立てただけかもしれない。

殆どの日本の学生は大学での専攻とは関係ない仕事で、関係ない業種の仕事に就くだろう。どうせ会社が「会社で役立つ」ように「再教育」する。逆に大学で余計なことを学んで会社の方針に疑義を挟まれては困る。

だから大学では体育会やバイト、NPO、インターン等で勉強ではなく、上下関係など「組織での処世術」を身に付けた学生を優遇するのかもしれない。

しかし、ここでいう「大学」は「大学学部」での話だ。欧米に行かずともアジアに目を向けるだけでも世界の流れが分かる。アジア、中華圏一つとって見ても修士号、博士号取得者がごろごろいる。

名刺にPh.Dがついているのは不思議なことではない(MBAは名刺に載せるまでもないのだろう)。MBAを持っているという話になると「どこの大学?」と聞かれる。

日本では学位は「箔付け」に過ぎないかもしれない。しかし、アジア圏で出会った修士号、博士号ホルダーたちはアイビーリーグ出身者も稀ではなく、質問やアイディアのレベルも正直、日本よりも高いと思う。

こんな優秀な人たちが自分の給料よりも何割も安い給料で働いていると「日本人の付加価値」を強く意識せざるを得ない。「大学に入るときに就職活動のことまで考えて大学や学部を選ぶわけないだろ?」という声もあるだろう。

だからアメリカの大学では学部は"undergraduated"であり、リベラルアーツという教養を学ぶ。大学院で漸く"graduated"と認められて、専門的な内容を学ぶ。

アメリカ企業の経営陣の経歴を見ると、学部で工学部だった人がMBAやロースクールに行って弁護士資格を取るケースも少なくない。アメリカの事例で世界を語るべきではないが、アジアの状況を見ていると母国で教育を受ける人達も、留学せずとも同じような状況になりつつあると思われる。

「アジアのことなんて関係ない。どうせ日本勤務だし・・・」と思う人もいるだろう。私もそうだった。しかし、日本が島国で必要な原材料を輸入し、製品を輸出する構造を完全に放棄しない以上、本人の仕事が日本国内で終わったとしても、会社のビジネスが日本だけで完結することは少なくなる。

中小企業でも大企業でも何らかの形で日本国外の世界と関係が有る時代になっている。日本においては大学院出身者はnearly equalで「使いづらい」といわれることが多い。


だから私は大学院出身者が多そうな業界、会社を選んで今に至っている。
「大学で学んだことを仕事にする」以上は修士号以上の専門性は求められるかもしれない。


20代の大事なときに6年も勉強するのは嫌だと思う人もいるかもしれない。しかし、冷たい言い方をすれば、本当の意味で好きなことを、学んだことを仕事にするためには、相当の努力と覚悟が必要だと思う。

或いは努力を努力と思わないほどに「好きこそ物の上手なれ」の領域に達してなければ、就活で生き残っても企業人としては生き残ってはいけないだろう。逆に言えば「好きなことを仕事にする」と決めたときにはそこまで本当に好きなことであるかどうかがポイントになろう。

少し目線を変えた話をしたい。起業した友人、或いは学生時代に深く携わった企業の幹部になった友人達を見ていて一番学んでいることは「社蓄」と「社長」の違いだ。(ここでいう社長は経営者であり、CEOであり、経営判断の最高意思決定者である)


「社蓄」と「社長」の一番の違いは何か?それは「決断」すること、「決める」こと。勿論、「社蓄」にも「決める」ことはある。だが、「決められる範囲」、裁量は極めて限られている。

「社長」は組織の存続に関する全責任を負う。些細なことでも決断ミスが最終的には会社の存続に関わるかもしれない。それが故に有能な人が、高い給料をもらえるのが「社長」、経営者という仕事だと思う。


「経営者は給料がもらいすぎ」という批判が日本ではあるが、責任に見合う給料を用意できなければ責任の重さに耐えられる能力の社長が登場しない。逆に言えば「社蓄」と「社長」の差は究極的に「決める」ことだけかもしれない。


しかし、同じ年齢の「社蓄」と「社長」がいたら、私は組織の大小を問わず「社長」の方が「良い経験」をしているはずだ。「決める」ことはリスクが伴う。一度リスクが発現すれば組織の存続に関わる「修羅場」に身をおかざるを得ない。

「修羅場」で身を滅ぼして終わる人もいる。しかし、「修羅場」に勝る良い経験、良い鍛錬はない。勿論、好き好んで「修羅場」に身を置きたい人はいない。「修羅場」に巻き込まれないように必死に知恵を絞るからこそ、力もつくと思う。

「社蓄」をしていて思うのは、「社長」(社長に至らなくとも自分よりも裁量が広い高位の意思決定者)に正確に情報を伝えることを是とする仕組みが組織には備わっているということ。

私個人は「ホウレンソウ」主義者だが、「ホウレンソウ」の究極的な目的は「上司に状況を理解してもらって、自分では決められないことを決めてもらうこと」。上司が決める段階で「社蓄」である私は「決める」という重責から解放される。

上司が困れば、上司の上司に更に「決める」判断を委ねることができる。しかし、当然ながら「社長」の上には社内にもう判断を委ねられる人がいない。

マネジメントは「決める」ことだと思うし、「決められない」人はマネジメントは出来ないと自分自身に言い聞かせている。そんな経験を同じ年齢でしている「社長」には敬服する。私は「社蓄」だけあって「チキン」と言われても仕方ない。

では「社蓄」はどうすればいいか?「社蓄」は「社蓄」なりに「いい経験」をするように自分ができる範囲でのた打ち回るしかないと思う。

同じ大学を出た二人のうち、一人が欧米系投資銀行、一人が日本企業に行ったとしよう。もし、欧米系投資銀行のリストラの恐怖をかいくぐり、二人が5年後に出会ったらどちらが「経験値」が多いだろうか?

私が個人的に思うのはやはり欧米系投資銀行のほうが経験値は多いと思う。こなしている案件の規模と数、潜り抜けている「修羅場」の回数は恐らく波の日本企業では太刀打ちできないだろう。

だが、それ故に耐えられない人も多い。逆に言えば耐え抜くには高い能力が必要だから給料も高いのだろう。
もっと言えば、高い給料でなければ誰も欧米形投資銀行で頑張ろうとは思わないだろう。

それはまさに社長と同じで、相応のリスクを背負うからだ。以上、長々と書いてきたが、私も今後安泰なんてことはなく、いつ何が起こるかわからない。

急にリストラの憂き目を見て、住む場所を失って、ポエムを売って生計を立てる羽目になるかもしれない。
そのときのためにポエムのセンスを磨くと共に「社長」には勝らないまでも「いい経験」をしておきたいと日々、画策している。

「いい経験」は「いい仕事」、「いい案件」という言い方でもいいかもしれない。言い方は別としても、「いい経験」は誰かに与えられるものではなく、自ら作り出すものだと思う。

そして、意外とチャンスは転がっていて、後は「伸るか反るか」、成功するかどうかは「運次第」。でも、「運」は日々の努力で「引き寄せられる」と信じてしまう私は楽観主義者だろうか?

【 何のために働くのか − 北尾吉孝、SBI証券 CEO 】


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2014年04月05日

奇跡のような戦後の復興の背景

 「海賊とよばれた男」 「永遠のゼロ」 を書かれた百田尚樹の本に、戦後の驚異的な日本の復興、高度成長がなぜ成されたかという話がありましたので紹介します。

 “奇跡のような戦後の復興の背景”

世界を驚かせた日章丸事件もすごいが、出光佐三の95年間にわたる生涯も“劇的”という言葉くらいでは足りないくらいの戦いに次ぐ戦いの連続でした。一人の人間にこれほどの苦難が舞い降りるか、という厳しい状況に何度も立たされました。

それでも彼は一度も逃げず、一度もひるまず、徹底的に戦いつづけました。日本をいかに素晴らしい国にするか − そのことだけを生涯追い求めた人生だったのです。

若い人たちはこんなことを言います。
「生まれたときにはバブルは弾けていた。阪神・淡路大震災が起こり、リーマン・ショックがあり、今度は東日本大震災。私たちには希望も何もない。いいことなんか何にもない。」

とんでもない大間違いです。いま君たちが立っている地点は、決してゼロではありません。敗戦ですべてを失った先人たちが努力を積み重ねて築き上げた現在を、いったい何だと思っているのでしょうか。

あの戦争と敗戦を経験した当時の日本人が、復興に向けていかに頑張ったか。どれほど働いて働いて働きぬいたのか。私は、そうした多くの日本人の象徴として、『海賊と呼ばれた男』 で出光佐三の生涯を描きました。

彼とおなじような思いで戦後を生き、働いた無名の日本人が大勢いたからこそ、奇跡は成し遂げられたのです。

戦後の経済復興については、日本は運がよかったこともありました。ぼう大な量を産出する中東の石油そのものはタダみたいな値段で取引されており、石油の値段の大半は輸送費でした。

戦前まで世界最大の産油国だったアメリカは、戦後になって石油輸入国に転落します。アメリカも中東も石油を買う立場でした。アメリカやヨーロッパと比べて中東に近かった日本は、世界の主要国のなかで一番安い石油を買うことができました。
 
その意味でも、産油国と直接取引をする道を切り開いた日昇丸事件は、戦後復興史のエポックメイキングな出来事だったと思います。

 “当時は死ぬ気で働くことができた”

戦後の奇跡的な復興は、精神的な要因も大きかったと思います。日本は日中戦争から数えて十年以上戦争を続けてきました。生き残った兵隊たちは、シベリア、満州、東南アジア、フィリピンなどで、地獄の戦場を体験して、やっとの思いで焼け野原の祖国に戻ってきたのです。

当時の日本人は、死に物狂いで働きました。働くことの喜びを、おそらくは日本の歴史の中でいちばんもっていた人たちではなかったでしょうか。地獄の戦場で戦うことに比べれば、どんなに苦しくて辛い戦いであったとしても、死ぬことはないですから。

たとえば、タンク底の石油積み出し作業。タンクの底に潜って手作業でくみ出す文字どおりの汚れ仕事を請け負ったのが、出光興産でした。しかし、この過酷な仕事の現場でも、笑いが絶えなかったといいます。
働くことによって、自分たちは飯が食え、会社も復興する。さらには日本のためにもなる。撃たれて死ぬことがないどころか、結婚もできる。戦場とはまるきり違う!

だから当時の日本人は、死ぬ気で働いたのだと思います。そうでなければ、敗戦から20年足らずでイギリスやフランスを追い越せません。日本にはもともと、海外に売れる天然資源がないのですから、食うためには働いて稼ぐしかありません。

昭和20年代から30年代にかけての日本人の働きぶりは、いまの基準でいうと労働基準法違反だらけだったでしょう。残業手当は出ませんし、週休2日が導入されたのは1990年代です。

それまでは週休1日で、祝日も今よりもずっと少なかったのです。日本の豊かさはこうして成し遂げられたのです。最近は働かない、あるいは長時間働きたくない日本人が増えているそうですが、このまま行くと日本は終わります。

 ( 引用: 『ゼロ戦と日本刀』 百田尚樹 )





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2014年03月29日

ロシア情勢

クリミアを編入したロシアを米欧は非難しているが、ハワイ、カリフォルニア、ルイジアナ州などを原住民の地から編入したアメリカがなぜ非難できるのかが分からない。

クリミア半島の人たちはロシアに編入されると、給料や年金が増えると言っている。米欧が非難しているからといって、日本まで同調して非難する必要があるのか? 相手はサハリンT、サハリンUと、(原発の止まった)日本の生命線であるLNGガスを大量に調達する貿易相手国だ。
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2014年03月23日

ウォール街の名物男たち (4)

 さて、今回からアイバン・ボウスキーが登場します。カリフォルニア大学バークレイ校の卒業式で 
”Greed is good. Greed works (欲は良いことだ。欲は機能する)” と、80年代のM&Aに彩られた金ぴか時代の米国経済の象徴となった一幕です。また、映画 『ウォール街』 の主人公の一人、ゴードン・ゲッコーのモデルとなったM&Aサヤ取り業者です。

怒鳴り屋のアイバン・ボウスキー 「ボスは俺だ。俺には叫ぶ権利がある。」

ウェストポートに家を買ってから間もなく、マーティン・シーゲルは初めてアイバン・ボウスキーから連絡を受けている。その当時、すでにM&Aの分野で評価を高めていたシーゲルだったが、ボウスキーについてはキダー・ピーボディ証券の顧客で、サヤ取り業者 (M&A報道が出た後、買収する企業とされる企業の株価のサヤを抜いて売買する) という知識しかなかったようだ。

ところが、シーゲルはボウスキーの知識や戦略に最初から強い影響を受けることになる。ウォール街では、「親友」 というのは電話でのやり取りで出来るものなのだろう。

それからというもの、ボウスキーは戦略やらゴシップなどを何度となく話したようだが、シーゲルとしてはキダーに専門家がいないこともあって、そうした情報はすべて貴重なものになった。

伝統的にキダー・ピーボディ証券ではサヤ取りは敬遠されていた。インサイダー情報に頼りがちになるばかりか、社内で内輪もめが起こるからだ。

ところが、M&Aが盛んになるにつれ、ボウスキーのようなサヤ取り業者の存在がどうしても必要になった。サヤ取りそのものは本来、利の薄い商売だったが、すでにボウスキーからはポジションを分厚くとり、M&Aのターゲット銘柄から大儲けしていた。

サヤ取り業者の人柄はというと、絶えず脂ぎって、ぎらぎらした私欲のかたまり、俗にいう株屋みたいなところもあった。おまけに相場の寄り付きから引けまで、終始、電話や端末に向かって怒鳴り声をあげ、揚げ句に、うさ晴らしにはバーの飲み歩き、たまに大きい山を当てれば高いレストランで豪遊。それがサヤ取り業者の印象だ。

79年のある日、シーゲルはボウスキーに 「好きな女がいる」 と打ち明けている。そしてこの一件はキダーの社内でも、ちょっとしたスキャンダルの種になる。

コロンビア大学ビジネススクール出身のジェイン・ステュアートがその相手だった。才媛、ブロンドの髪、スリムな体、既婚、気品の良さ、そんな彼女が入社するや、コーポレート・ファイナンスの面々は完全にのぼせ上がった。

キダーではオフィスラブはご法度だった。それ以前にも、あるM&A担当者がトレイニ−の一人を好きになり、悪評を買っていたのだ。スチュアートが正式に離婚してから間もなく二人は深い関係になり、シーゲルは周囲の忠告など耳も貸さず、同棲を始めた。

ジェインの周囲には、無神論者のユダヤ人との結婚に反対する者もあった。なかには計算づくの逆玉の輿といぶかる友人もいたという。だが、ジェインは本気だった。そして81年に二人はゴールインし、ウェストポートに広い新居を構えることになる。

  ”暗転”

結婚後まもなく、シーゲル夫妻はボウスキーの招きで、ウェストチェスターでのホーム・ディナーに出向いている。ほかにボウスキー所有のIFBの創立期からの株主、セオドア・ファーストマンも細君を連れて、その晩、顔を出している。

この席でシーゲルは新居の間取りを披露するつもりだった。
シーゲルはマンハッタンから45分ほど北に向かい、古きニューイングランド時代を想い起こさせるベッドフォードやマウント・キスコの保守的な街を抜け、一路、ボウスキーの邸宅をめざした。

だが、目的地に到達したものの、公道に通じる迷路のようなドライブウェイからは、200エーカーもある敷地のどこに邸宅があるのか見当もつかなかった。

腰に拳銃をぶら下げたセキュリティに言われるまま、敷地の奥に向かうと、そこにはジョージア王朝風の赤レンガ造りの大邸宅が待ち構えていた。それは、以前はレブロンの創業者、チャールズ・レブロンが所有していたものだ。

ギリシャ彫刻をあしらった広大な庭。プール、スカッシュ用のインドア・コート、テニス・コートなどなど、まさに腰を抜かすほどの豪邸だ。

ブルネットの髪をしたボウスキーの細君シーマが、二人を迎えた。きれいな壁紙や品の良い美術品で飾られた部屋、庭やビリヤード・ルーム、ボウスキーのイニシャル、IFBがついたカーペット等々。

そこには、お決まりの黒のスリーピースと白のワイシャツで装いを決めたボウスキーが待ち構えていた。
「なぜ毎日、同じスーツを着るのか。」 こんな素朴な質問に、ボウスキーはこう答えている。
「Decision maker (意思決定権限者) にはこれが定番だよ。」

夕食の席ではブロンドの髪をきっちり分け、出っ張った頬骨の奥から鋭い眼光を投げかけるいつものボウスキーが、その夜だけはゆったりと客をもてなしていた。ジェインが間取りのことをもちだすと、シーマがとたんに反応した。

「キッチンは広い方がいいわ。こちらにいらっしゃい。うちのを見せてあげましょう。」
なるほど、そこはシーゲルの新居よりも広い。

ボウスキーはシーゲルが予想する以上に儲けていたようだ。彼の財産をかいま見るにつれ、富の凄さをシーゲルは印象づけられる。それを前にして、シーゲルとジェインはただ借りてきた猫のように沈黙するしかなかった。

結局、家の間取りのことは、それ以上話に上がらなかったという。

(つづく)
【 引用: ウォール街 悪の巣窟 】




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2014年03月21日

『アベノミクスの次なるカンフル剤には、移民政策の導入を!!』

 ”異次元の金融緩和” から早一年。株式市場、為替市場、不動産市場に活気をもたらしたのがアベノミクスと東京オリンピック決定だが、最近は消費税増税後の反動を気にしてか、元気がない。

 それはそうだ。日本の未来に対して明るい展望を持てないからだ。高齢者の数は増え、社会保障コストはそのまま若者たちの肩に重くのしかかり、成婚率、出生率には明るいきざしが見えない。

 規制の緩和や国土強靭化計画も勿論良いが、日本の経済を十年単位で成長させていくのにいちばん有効なのは移民政策の導入だ。イギリスが良い例で、年間50万人の移民をインドや中東、アフリカから入れているせいで、国内消費経済、金融業や不動産業、小売業、交通産業を大きく潤わせている。

 日本のGDPの86%は、国内消費経済だ。若者たちが結婚しなくなり、少子高齢化が避けられない以上、人口を劇的に増やして国内産業を拡大させるには、年間50万人から100万人の移民受け入れしかないだろう。

 「外国人が入ると治安が悪化する、物騒になる」 などと、いまだに江戸時代の鎖国的メンタリティを持っている人たちは、ダイバーシティ (多様性の尊重、人種、肌の色、宗教、国籍を問わず受け入れる寛容性) を学んだ方がよい。

 均一主義にこだわる風潮が、KY (空気が読めない) などの閉鎖的な人間関係や社会のビヘイビアをつくり、突破力のある画期的な商品やシステムが出てこなくなっている。

 大学生の就職活動が良い例で、1度に限られた少ない就職の機会で、同じような黒のリクルートスーツを着込み、マニュアルに書かれた模範解答を練習して就職先を得る。そこには、人とちがう経験を積んだ人や価値観を持った人、社会経験を積んでから入社しようとする特質のある人たちが入社するチャンスが無い。

 ダイバーシティ(多様性) を受け入れる寛容さが著しく欠けているから、異なる考え方、異なる開発のし方、異なるコンセプトを産み出す創造力が欠如し、今あるIT産業、電機産業の凋落をもたらしたとも言えるだろう。

 均一主義にこだわる大多数の保守的な日本人に、外部から文化的な衝撃(Impact)をもたらしてくれるのも移民の良いところだ。

 多種多様な人種、宗教、肌の色、異なる考え方を受け入れる寛容性を日本人が持つことで、単に国内経済の拡大だけでなく、画期的な製品の開発や、革新的な企業を多く産み出す絶好の機会が来るのではないだろうか。
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『日本の経常赤字の定着は良いこと、悪いこと?』

  − 経済の先行きに不安を持つ方が多い中、大事なのは ”あくまで、経常収支の動向は中長期的な国際的資金フローの変化をとらえるべき” との考え方。
 (丸紅経済研究所のレポートより)

 3月10日に発表された2014年1月分の国際収支統計では、経常赤字が過去最大の1兆5890億円(原計数)と、大幅な赤字を記録したとして注目を浴びた。経常赤字自体は初めてではないものの、直近では4か月連続の赤字となっており、「日本にも経常赤字が定着するのか?」といった漠然とした不透明感が漂っていると言えよう。そこで、「経常赤字」というのはどういう状態なのかを整理してみたい。経常収支を考える際に、その内訳をみると、

  経常収支=貿易・サービス収支+所得収支+経常移転収支と言うのが基本的な枠組みである。

 そして、近年の経常赤字は、・高水準にある燃料輸入、円安による輸入額のかさ上げ、景気回復に伴う輸入増加(輸入サイド)・輸出企業の海外移転や海外製品との競合による輸出の伸び悩み(輸出サイド)等の理由により、「貿易・サービス収支」の赤字が継続、拡大していることが経常赤字の要因となっているとはご承知の通りであろう。

 一方、経常収支のもう一つの大きな構成要素である「所得収支」は、直接投資や証券投資といった海外への投資からもたらされる投資収益がメインであり、収益の源泉となる対外資産(2012年末時点で約660兆円)が積みあがっている日本においては安定的に黒字を記録している。

 そのため、経常収支の先行きについては、「貿易赤字が続く以上、早晩経常赤字に転じる」と言う見方もあれば、「対外資産からの配当である所得収支が安定的に黒字であるため、短期的に経常赤字に陥る可能性は低い」という考え方もあり、見方が分かれるところである。

 また国際収支統計は、「一定期間における一国のあらゆる対外経済取引」が複式簿記の原理によって記録されており、経常収支+資本収支+外貨準備増減+誤差脱漏=0

 という恒等式が成り立つようになっている。しばしば、「経常収支と資本収支は表裏一体」と言われるように、経常収支が赤字の場合、その赤字額は資本収支でファイナンスされていると考えられる。

 「赤字」という響きに対し日本人はネガティブな印象を持ちがちであるが、「経常収支赤字」自体は海外からの投資による資金流入や海外資産の取り崩しによる資金の手当てが行われる以上、問題とは言えない。

 あくまで、経常収支の動向は中長期的な国際的資金フローの変化をとらえるべきであり、一時的な「貿易赤字」や「経常赤字」に踊らされる必要はないであろう。

 ただし、昨夏以来の新興国の通貨不安を巡る局面では、恒常的な経常赤字国において、米国の金融緩和縮小観測と縮小開始により、流入していた資金が逆流する事態が発生した。その結果、外貨準備の減少や、貿易収支や所得収支の支払い能力に対する不安が高まったことが通貨下落の背景にある。

 恒常的な経常赤字国において資本の流入が止まった場合、
「モノ、サービス、投資収益等に対する支払超過」⇒「支払いのため、外貨調達の必要性」⇒「自国通貨売り」⇒「自国通貨安」といった発想により、通貨の下落が生じうる。

 ただし経常赤字であっても、外貨準備残高が潤沢であったり、構造改革により赤字縮小に努めていれば、資金繰りの不安は低いと言えるため(注4)、各国のファンダメンタルズや、政策動向も踏まえ、経常収支の経済に与えるインパクトを判断していくべきであろう。

次に、2014年1月から国際収支統計は、IMF国際収支マニュアル第6版に沿って作成・発表されることとなったため、ここでその概要を紹介したい。マニュアル内容の詳細については、統計を作成する日本銀行の解説等を参照頂きたいが、今回の作成方法変更の特徴として、・対外資産負債残高、金融・資本関連統計の重視

 ・SNA(国民経済計算)との整合性強化
 ・グローバル化した企業構造や生産体制、金融取引の高度化等を的確に把握する
といった点が挙げられる。

 その結果、「所得収支」、「投資収支」と言った耳なじみのある項目が、それぞれ「第一次所得収支」、「金融収支」と、SNAに準拠すべく名称変更されている。

 また、経常収支、貿易・サービス収支を見る上で留意したいのは、・「財貨の加工・修理」⇒従来「貿易収支」に計上されていたが、「サービス収支」に計上
・「仲介貿易」⇒従来「サービス収支」に計上されていたが、「貿易収支」に計上

 といった項目の組み換えが行われた点である。

 この「貿易収支」、「サービス収支」間における項目の組み換えに関して、2013年実績で見ると、『財貨の加工・修理』は約7,500億円の赤字、一方、『仲介貿易』は約1兆2000億円の黒字となっている。

 このため、これらの項目がそれぞれ「サービス収支」、「貿易収支」に組み入れられたことにより、第6版マニュアルに則って作成された2013年実績は従来の作成手法に比べ、通年で約2兆円程度貿易収支の黒字が押し上げられたことになる。

 実際、旧マニュアル(第5版)と新マニュアル(第6版)の「貿易収支」、「サービス収支」動向を並べてみると、のような値の差が見られている。(ただし項目の入れ替えであるため、「貿易収支」と「サービス収支」を合わせた「貿易・サービス収支」合計では変化せず。)

 また、発生主義の採用により、「第一次所得収支」(旧所得収支)の内訳にある「再投資収益」が、年次改訂の際に遡及して調整されることとなった点も大きな変更点の一つである。(注6)

 これらの変更は、分類方法や計上時期が変わるだけであるため、当然、経常収支の実態や経済のトレンドそのものに影響を及ぼすわけでは無い。ただし、過去の実績データを比較する際や、年次改訂前後においては、若干数字の見え方が変わりうる点には今後留意しておく必要があるだろう。
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商社ウーマンの仕事  ”育児と仕事を両立、20人を束ねるリーダー”   

 − 住友商事、電力事業第一部 吉岡友江

 商社は男性社会。吉岡友江は、そんな思い込みをしなやかに覆してくれる。入社は1991年。いわゆる最後のバブル入社組だ。職種は事務職 (一般職にあたる)。当時はまだ女性の活躍する場が限られ、住商でも女性基幹職(総合職)の採用は一けた。事務職採用のほうが圧倒的に多かった。

 「雇用機会均等法があっても、結婚退職が当たり前の時代。わたしも住商にいるのは3年くらいかな、なんてぼんやり考えていました。だから、今、ここにいるのがすごく不思議なんです。」

 現在は基幹職として、20人の部下を束ねるチームリーダーだ。電力事業プロジェクトを経営的視点から支えるアセットマネジメントを担当する。

 「周囲に助けられ、気づいたら今の自分になった。」 商社の輸出業務は最前線に直結する仕事が多い。事務職として電力プロジェクトの部署に配属され、新人時代から資材調達や外国為替の許認可業務など、対外交渉を任されることも多かった。

 少人数の部署だったこともあり、仕事を覚えれば覚えるほど、任される範囲が広がった。基幹職やメーカーの担当者と一緒に出張に行くこともあった。

 “基幹職への職掌転換が転機”

 転機は97年に訪れた。職掌転換制度を利用して基幹職へ換わることを上司から勧められたのだ。悩み、一度は断った。自分には荷が重いと思ったからだ。

 「でも、事務職のままだと、いずれ今までやってきた仕事は他の人の担当になってしまう。電力の仕事が面白かっただけに、離れたくなかった。日々の成長を止めたくないし、挑戦するしかないと考え直し、上司からの強い勧めもあり決意しました。」

 職掌転換制度はとまどいもあった。責任も重くなる。基幹職の同期が歩んできたキャリアが違うため、知識や経験が不足しているハンディもあった。

 「自学もしたし、後輩に混ざって研修も受けました。でも、今思えば業務が一番の教材でしたね。つらいと思ったことはもちろんありますけど、結局はそれを乗り越えるか、自分に負けるか。負けるのも悔しいじゃないですか。それに、上司も同僚もいつも助けてくれました。」

 強みもあった。事務職経験者として、担当や事務職にどのように業務を説明すれば働きやすいかを熟知していた。事務職のメンバーが能力を発揮できるよう、さりげなく気を配った。

 人の縁を大切にする。その気持ちが表情に現れるのだろう。話していると、不思議と心がほぐれ、温かい気持ちになる。

 昨年6月、上司の推薦を受け、チームリーダーに昇格した。「みんなのお母さん的な調整役」 と、いかに部下たちが働きやすい環境をつくるかに心を配る。「このまま仕事一筋かな。」 と感じ始めていた2008年には結婚。子供も出産した。

 育児と仕事をマイペースで両立させている。

 「住友商事は良くも悪くも平等な会社。女性だからダメということはない代わりに、優遇もしてくれません。でも、助けてくれる人はたくさんいます。これからも周囲に助けられながら、次の時代のビジネスモデルを作り上げていきたいですね。」

 (引用: 『住友商事 by AERA』)


(NHKドラマの名作、 『ザ・商社』 山崎務主演 )


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2014年03月09日

『 Born to be wild 』 ワイルドに行こうぜ!

 金曜日の夜は23時過ぎまでニューヨークとのカンファレンス・コールに追われ、ゆっくりする時間も無かった。体力勝負の毎日。

 現実から逃避するいちばん手っ取り早い方法として、映画 ”イージー・ライダー” を借りてきて、60年代のアリゾナ州をハーレー・ダビッドソンにまたがり荒野を駆けまわるPeter FondaとDennis Hopper のヒッピーな姿とBGMの ”ボーン・トウビイ・ワイルド” に酔いしれた。

 69年にアカデミー賞で助演男優賞と脚本賞にノミネートされたこの映画は、衝撃的な結末で知られている。
劇中に登場するバイクは、1965年型ハーレー・ダビッドソンでエンジンはパンヘッドと呼ばれるタイプ、排気量は1200ccである。

 フレームはリジッドでサスペンションが無い。ワイアットが乗っているチョッパーは、前輪ブレーキが装備されていない。劇中で登場していたマリファナは本物を使用していた。

 メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(キャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレー・ダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるニューオリンズ目指して旅に出る。

 農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーを拾って彼らのコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける2人。しかし旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを咎められ留置場に入れられる。そこで二人は弁護士ハンセンと出会い、意気投合する。

 そして、ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にニューオリンズに向けての旅を続ける。しかし、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面し、驚きのフィナーレを迎える。

 彼らの破天荒な生きざまと、この音楽がぴったりフィットして、とても元気が出る。
 ♪ Born to be wild ~ ♪ (ワイルドに行こうぜ)
 
 なんと、You Tubeでもこの曲と名シーンが見られます ! (音が出ますのでご注意を)
http://www.youtube.com/watch?v=rMbATaj7Il8

 
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2014年02月16日

週末出勤の良さ

CIMG3092.JPG

昨日はあろうことか、東急東横線が全面止まるという前代未聞の椿事が起き、横浜・日吉に足止めされた。今日はやっと雪も去り、お日さまに恵まれて、オフィスに出社した。

家からジャンパーを2枚持ち込み、エアコンの切れたオフィスで重ね着しながら仕事するというスタイルが定着した。身体は凍てつくような寒さだが、週末出勤には良いところがある。

一週間のあいだにたまった仕事を、ぐあ〜〜〜〜〜っと一気に片付けることができ、月曜日の朝をフレッシュな気分で迎え、人から頼まれた仕事の処理、 Reactive(受動的)な仕事ではなく、Proactive(能動的)な仕事ができるからだ。自分から仕掛けていく仕事だ。

人から言われた仕事だけをやっているのは単なる事務員 (Clerk)であり、月給取りの仕事だ。会社のために新事業を創ったり、コストを下げたり、新しいシステムや仕組みを創り、同僚を感動の渦に包み込むのがBusinessman (商売人) の仕事ではないか?

週末に寒いオフィスで凍えながら残務を片付けると、月曜日の朝にはキャンティーンで淹れたイタリアン・ローストコーヒーの味を楽しみながら、新しい仕掛け、仕組みを創造する仕事に没頭できる。
これぞCreative People (創造的なビジネスマン) のスタイルだ、ということに、最近気づいた。

でも、やっぱり体は芯から凍え、夜8時には、東京駅前にある新丸ビルの地下のレストラン街で、生ビールを一気にあおり、人間の心に戻った (笑)。
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2014年02月15日

就活ラプソディ − ITと金融の熱狂を思い出しつつ-

 年の離れた若手金融マンの友人がブログにアップした記事を、本人の承諾を得て掲載します。就職活動をしている学生さん、頑張れ〜!!

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

 全員お揃いのリクルートスーツで都心を闊歩する就活生。もはや大学は「就職予備校」になり、「就職偏差値」に一喜一憂する学生と企業。就活生は「ブラック企業」を見抜き、企業側は「ミスマッチ」を防ぐのに一生懸命。エントリーシートはもはやセンター試験と同じく「共通化」に向けて動き出しているという。

 「就職塾」らしきビジネスも立ち上がっているようで、私も今の職を失ったら是非、トライしてみたいと思っている(笑)。

 今日はそんな就活狂想曲を聴きながら思い出した昔話をつらつらと書いていきたい。
誰か(個人、企業、業界)を攻撃するするつもりはないが、きつい書き方でお気を悪くされる方もいるだろう。最初にお詫び申し上げておきたい。

私の学生時代はIT革命・ITバブルの余熱がまだ残っていた頃だと思う。大学に入った頃にADSLによる常時接続が一般化した。在学中にホリエモン事件が起きた。私は元々パソコンが好きだったので自然とITビジネスの授業を受け続けることになった。

当時の授業でも「この授業で学んでいることは数年後には何ら意味を成さなくなる」と言われたが、その通りだった。今で言うスマホらしいものが開発中であることはうっすら知っていたが、ここまで早く実現するとは思わなかった。

そういえば、大学院の頃にWeb2.0が流行っていたなぁ、今はWebのVersionは幾つなんだろう? 社会人(OB)講義が花開き、インターンという言葉が一般化したのもこの頃からではないだろうか?

大学院の頃、とあるITビジネスの授業のアシスタントらしきものをやったこともある。学生時代の長い期間でITビジネスを学んだが、私の結論は一つだった。「IT産業、IT企業には就職しない」・・・今でも正解だと思っている。

その結論を導き出しただけでも、多くの授業を受けた甲斐があったと思う。
ただ、生憎、企業人になり、少なくとも仕事ではIT業界とは疎遠になってしまい、授業の内容は殆ど忘れてしまったけれども。

学生時代の前半は、「IT病」であり、「ベンチャー病」と内心名付けている事態に数多く遭遇した。
IT業界に携わる社会人講師の中には、「IT良いとこ、来たらお金持ちになれるかも!」と明に暗に仰る方もいた。

その言葉を真に受けて、ベンチャーに学生時代を奉げた同輩、後輩を沢山見てきた。
成功した人もいたが、正直、大半が失敗だったのではないかと勘繰っている。

私にとって、「良いビジネスモデルさえあればお金はついてくる」というのは嘘にしか聞こえなかった。
学生も学生だったと思う。誰でもベンチャーという言葉に酔い、誰でも金持ちになれるチャンスがあると錯覚していたのではないかと思う。

ベンチャーという言葉が「ファッショナブル」に聞こえて仕方なかった。
ビジネスは生死を賭けた戦いであって、「ファッション」ではない。私はそう思っていた。

ただ、多くの社長にお会いできたのは本当に幸運だった。お恥ずかしながらITのIの字も覚えていない。
でも、多くの「経営者」にお会いできて、沢山話を伺えたのはどんな講義よりも役に立った。そのありがたみに気付けたのは20代も後半になってからで若いときの苦労は何も考えずに受けるべきと思った。

実というと私の今のキャリアプランを考えるにあたっての「ロールモデル」もこのIT関係の方々と語らう中で見出したりもしている。

学生時代の後半は金融ブームだった。失われた10(15)年が終わり、景気が上向いていた。
今思えば、小泉改革で景気回復に向かい、リーマンショック前のつかの間の、しかし、最大級のバブルだった頃の話だ。

日系金融機関が不良債権問題で力を失って、優秀な人材は外資系(欧米系)投資銀行、当時のリーマン・ブラザーズ証券を含むバルジ・ブラケット(名門投資銀行)とマッキンゼー、BCG、ベインといった外資系コンサルティングファームに殺到した。

さながら「外資でなければ人でなし」の感、大学でも自然と「一流外資、二流邦銀、三流メーカー」といわんばかりの「序列」が形成されつつあった。

でも、私はおかしいと思った。「何故、(高学歴と言っても)「普通の学生」なのに初任給が1000万円なのか?」
「こんなことが長続きするわけがない」と正直、思っていた。一部学生の「外資でなければ人でなし」のあからさまな態度に苛立ち、「逆張り」を打った。

結果的に、そのときに外資系金融機関に旅立った人間で生き残った人間は極僅からしいという風の噂を聞いた。

 実は、当時、日系企業の中でも総合商社は格別の人気だった。リーマンショック前は資源価格が高騰し、総合商社株は資源株として人気だった。過去最高益を叩き出していた。私も総合商社に憧れる人間の一人だったが、縁が無かった。

  私の「逆張り」は思わぬ結果になった。図らずも「御社が第一志望です」の「逆張り」をした。第三志望ですと方言した会社と縁があり、今に至っている。

 今もって思う。当時は絶対におかしかった。これをバブルと呼ばずして、何と呼ぶのか?

 私の就活当時、一番の花形は先述の通り、外資系投資銀行、更には「M&Aアドバイザリー(IBD)」、外資系コンサルティングファーム、総合商社だった。

「 就職偏差値 」 という言葉が出てきたのは私が就活を始めた頃からだと思う。不思議と当時の偏差値ランキングと足元のランキングに大きな差がないから面白い。私は普通の学生が初任給1000万円というのはおかしいと思っていたから彼らが目指した「M&Aアドバイザー」の仕事はやるまいと思っていた。

(一部省略)

「 君、投資銀行業務に向いているよ 」 と言われたのを今も忘れない。

でも、今でさえ、恥ずかしくて会社の面談で 「投資銀行業務、M&Aアドバイザリーを生業に、夜通しバリバリ仕事をしてバルジブラケットに一矢報いてやりたいんですよ」 なんて口が裂けても言えない(笑)。一体、どこまでもイタイ奴である。きっと上記の台詞を言うのは会社を辞める前のわがままを言う場面だろうな。

結果的にIT業界に縁遠い仕事になってしまったが、ITの経営者の方に言われた言葉は今も忘れない。
幾つか書いてみると、「Howを尋ねるなんてレベルが低い、Whyを尋ねてこそ一流だ」(みたいなこと)。

「金融業界?ろくでもない業界だから行かない方が良い!」(結果的にお世話になっております)

「金融とITは相性がいい。情報を取り扱う点では一緒だからね。」(これは核心を衝いていた!)

そう、金融とITは実は近かった。学生時代、奇しくも二つの業界にご縁を頂いたのは正解だった。

季節は幾度と巡って、再び私は金融とITの交差点を目の前にしている。
だが、私はどうもベンチャーという言葉が 「ファッショナブル」 な聞こえ方がして仕方ない。
「アントレプレナーシップ」 と言われると、いよいよ 「何をかぶれているんだよ」 と思ってしまう。

ベンチャーで成功した人を見ると 「圧倒的な競争優位」 と 「絶対的に追随不可能」 なビジネスモデルを持っている人だけだと思う。そんな 「魔法のようなビジネスモデル」  「錬金術じみた事業モデル」 に出会える人はよほどのラッキーだ。

  他方、金融業は表立ってはルネサンスの時代から、シェークスピアが 「ヴェニスの商人」 に書いているような感じで長く存在している仕事だ。企業審査だってその根底にはキャラバンと貿易船の利益処分に通じるところがあると思う。私は対して才能に恵まれない人間だ。だから「魔法のようなビジネスモデル」を閃くことは出来ない。

 もう一つ、私は高校から大学時代、鴻上尚史の戯曲を愛読していた。「スナフキンの手紙」が大好きだ。ピルグリムかハッシャバイか忘れてしまったが、こんな一節があったように思う。
「作家という仕事が好きだ。色々な人生が見られるからね。」

 矛盾しているが、今の仕事以外にやりたい仕事が作家である。

 でも、専業作家になれるほどの文才はないらしい。だから実業の世界で、あたかも作家のように、色々な人生、つまり色々な企業人人生を疑似体験できる仕事をしたかったのかもしれない。

 話が拡散したが、結局最後は「好きこそ物の上手なれ」だと思う。だから私は「好きなこと」「やりたいこと」「学んだこと」を仕事にすればいいと思う。それがITでも、商社でも、金融でも何でも良いじゃないか。

 好きなこと、やりたいことなら多少辛くても耐えられるだろう。学んだことを仕事にするならゼロから学ぶよりは効率的に仕事を覚えられるかもしれない。

 そんなスタンスでは、今時、内定は勝ち取れないのだろうか?だとすれば日本はきっと寂しい国に成り下がってしまうだろう。





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メリルリンチ日本証券社長にラティモア氏

 メリルリンチ日本証券は2014年1月20日にコーポレートバンキング本部長のティモシー・ラティモア氏(49歳)が社長に昇格する人事を内定した。

 就任は2月1日付。瀬口二郎社長(50)は親会社であるバンク・オブ・アメリカのアジア太平洋地域の投資銀行・企業金融部門のトップに就くことが決まっている。

 (引用: 日本経済新聞) 

 【 巨大投資銀行 】

posted by ヒデキ at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

商社マンになるには? (1)

単なる学校秀才ではダメ。勉強は出来て当然。遊び上手で情報のアンテナを高く!

どうしたら7大商社に就職できるのでしょうか? 7回シリーズで連載します。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

 いつの時代でも学生の就職ランキングでトップにくるのが総合商社。ただ商社は、おなじく就職難易度の高い銀行や証券とは異なり、単なる学校秀才タイプでは落とされるという、敷居の高い業界なのだ。

 「筆記試験、大学時代の成績も重視される銀行、これは学校秀才であればまず、入れます。公務員も学業成績で決まるから同じ。しかし総合商社は違う。学業成績は良くて当たり前、という感じ。それプラスの魅力がないと入れない。」 (就職コンサルタント)

  たしかに日本企業の中ではテレビ局と並んで最も社員の平均年収の高い商社マン(社員の平均年収1,200〜1,400万円)は、世間ではキレ者+αのなにかがあると思うものだ。この+αの部分が重視されるのが商社マンといえよう。

 「 商社志望の学生はとくに “外国語が堪能です” “体力あります” “協調性あります” とOB・OG訪問でも話す人が多い。こちらからすると、そんなのできて当たり前。そこから何が出来るのか、もしくは何がしたいのかを語れなければ商社マンとしての素質はない。」 (40代の商社マン)

 もっともOB・OG訪問の段階から、具体的なビジネスプランを語れるようでいなければダメというわけではない。そんなものは商社側も、学生相手に期待してはいない。商社が採用時に学生を見ているのは、あくまでも “商社マンとしての資質” である。

 「どういう考え方をしているか。どういう生き方をしているか。そしてどう商社を通じて社会に貢献したいのか。この3点を見ている。いまは就活準備が前倒しになっているせいか、整い過ぎた人が多い。そんなタイプは商社ではちょっと難しいかもしれない。」(40代、商社マン)

 では、採用に至るのが厳しいという 「整い過ぎたタイプ」 というのはどんな学生なのだろうか。

 「大学時代から、ずっと商社志望で “やれ外国語を身につけた、いま英検1級、TOEICは何点” だの、 “簿記は何級です” と、自分の大学生活は商社に入るためだけに過ごしてきた、とアピールする人です。これはもう面接の段階でアウト。

 あとは就職講座での受け売りというか、無難な応答ばかりする学生。もしくはその逆で、ウケ狙いというか、とっぴな意見を言う学生。人事もプロですから、それが本当の自分を語っているのかどうか、簡単に見破ります。

 偽りの自分を出して仕事する人って、嫌でしょう。そういう人は採用に至らないのです。」
(40代、商社マン) 

 7大商社と呼ばれる商社マンの話を総合すると、商社マンになる人とは基本、学生時代に勉強はガリ勉しなくても出来る。スポーツも出来る。そして学級委員とかをやってリーダーを務めた。もちろん話が面白くて人気者、協調性もあり。と、絵に描いたような万能タイプの優等生が多い。

 銀行や公務員がおとなしい学校秀才ならば、商社に来る人はやんちゃな優等生タイプが多いのです。

 (つづく) 

 【 引用: 商社マンのお仕事と正体がよ〜くわかる本 】


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2014年02月08日

ウォール街の名物男たち (3)

ハーバード・ビジネススクールを出て、キダー・ピーボディ証券のM&A部門で働きはじめた美男のマーティン・シーゲルは、週に100時間も働く日もあった。先輩でアル・ゴードンの息子、ジョン・ゴードンを尊敬していたシーゲルは、フィットネスにも夢中になり、腕立て伏せを1分間で50回やってみせると豪語した。

これを聞きつけたゴードンや元レスラーのクリスティーを前にして、彼は細身の体で妙技を披露したのだ。かくしてシーゲルはキダー・ピーボディ証券の秘蔵っ子になる。アルファロメオのコンパーチブルに続いて、ロングアイランドの海辺に別荘まで手に入れている。

こうして社交の面でもシーゲルは洗練されていった。キダー・ピーボディ証券の最高幹部、デナンチオはと言うと、これが精彩を欠く冴えない男で、直感的にシーゲルの機敏さを悟ったことであろう。そこでシーゲルをバイス・プレジデントに昇格させ、直属の部下として抱えることになる。

1974年のことだ。そして翌年のクリスマスの頃にグールド社がバブル・メーカーの買収に動くと、早くもシーゲルにこの買収を担当させている。しかも被買収側の担当は、あのラザール・フレール証券の伝説的なインベストメント・バンカー、フェリックス・ロハティンである。

この相手には、シーゲルも蛇ににらまれたカエルのようだったという。ところが、ロハティンが打ち合わせの最中に、「ちょっと失礼」 と言ってトイレに立ったのを見てシーゲルの気分もほぐれた。
「あいつも人の子なんだ。あいつが金融界の伝説なら、俺が伝説になったってなんの不思議もない。」

シーゲルはそう思ったと後で語っている。

1976年、マーティン・シーゲルはM&Aのプロフェッショナルであるジョセフ・フロムの招きで、「乗っ取り先の見分け方」 というセミナーにパネリストとして出席している。その道のスペシャリストになるには、さほど時間がかかるとは思わなかったようだが、この大役にはシーゲルも興奮を隠せなかった。

しかも、参加者の顔ぶれの凄さにも驚かされたようだ。まだ駆け出しのシーゲルにすれば、とんでもない大物ぞろいだったからだ。

アイラ・ハリス(ソロモン・ブラザーズ証券)、ロバート・ルービン(ゴールドマン・サックス証券、後の米財務長官)、ジョン・シャド(EFハットン証券、後のSEC委員長)、アーサー・ロング(弁護士)、セオドア・レビン(SEC捜査官)、アーサー・フライシャー(フリード・フランク法律事務所弁護士)、マーティン・リプトン(ワッチェル・リプトン法律事務所) など、そうそうたるものだ。

当時、“コーポレート・アメリカ(アメリカ株式会社)” はまさに敵対的M&Aの最盛期を迎えようとしていた。企業は生き残りをかけて統廃合に活路を見出そうとしていたのだ。しかも、多角化のためには強気な相場環境のうちにM&Aを急ぐ必要があった。

話が進むうち、マーティン・リプトンが猛烈な勢いでメモを取っているのをシーゲルは察知した。ソロモンのハリスが話す番になると、リプトンはその前にノートを差し出した。しかもハリスは、それをただ読み上げるだけだった。
「そうか、これが仲間内のつきあいというものなんだ。」

28歳のシーゲルは、金融界のルールを悟った。リプトンとフロムは互いのクライアントを介して慣れ合いの関係を築き上げ、相互に多額の報酬が得られるように仕組んでいた。そのため、両者のクライアントが敵対的なM&Aで対峙することもなかった。しかもクライアントもそれを望んだ。

シーゲルもこの考えに染まる。そしてこのパネルディスカッションを通じて、M&Aが本格化するものと確信するようになる。モルガンやソロモンなどのビッグ・プレーヤーはM&Aを仕掛ける側として評価を高めつつあった。そこでシーゲルは、M&Aを防衛するディフェンス側に回れば活路が見いだせると思うようになる。

シーゲルがディフェンス側( 企業買収の防衛側 ) のプロとして脚光を浴びるようになるのは1977年からだ。シーゲルのターゲットは、年商1億ドルから3億ドル程度で、大手証券の手あかがついていないところになる。この作戦はまんまと当たる。そしてついには約3,600万円以上のフィーを手にすることになる。

最大のライバルはゴールドマン・サックスだった。だが、それから間もなくゴールドマンを出し抜くのに成功する。西海岸で医療機器の製造を営む日系人、スティーブ・サトーはコルゲート・パルモーリブのターゲットになっていた。彼を前にして、ただ会社の自慢話をするゴールドマンとは違い、シーゲルはサトーの話を熱心に聞き、しかもサトーと一緒にはじめての寿司を口にしているのだ。

ゴールドマンとでは勝負にならず、実際に乗っ取られた会社もあったが、顧客の中にはシーゲルの良心的な態度が通じるところもあった。

1977年にシーゲルはM&Aの世界で画期的な手法を開発する。かの有名な「ゴールデン・パラシュート」 だ。簡単に言うと、乗っ取りに備えて破格の退職金を役員に用意するというものだ。こうしておけば買収金額は大幅に吊り上り、乗っ取りも難しくなる。

ところが、実際には単なる企業防衛策にとどまらず、役員報酬の高騰を招いてしまうのだが。

シーゲルは若干28歳にして、年収7,000万円の収入を手にすることになる。しかもキダー・ピーボディ証券創立以来の最小年役員の地位まで手にする。これには実質的に会社を支配していたラルフ・デナンチオも警戒感を強めていく。

そしてある日、シーゲルを部屋に呼んだデナンチオはこう切り出している。

「 マーティ、君はまだ独身なんだ。アルファロメオも別荘も、君にはまだ贅沢だ。グリニッジ・ビレッジにある私の家の向かいが、いま売りに出されている。」 グリニッジ・ビレッジといえば、まがいもなくワスプ(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の街だ。排他的で、格式を重んじる街だ。

シーゲルはこの申し出を丁重に断った。その後、シーゲルは、海岸沿いに各段に豪華な邸宅を購入し、ウェストポートにあった別荘は、CBSのニュースキャスターだったダン・ラザーに売っている。

(つづく)

 【 引用: ウォール街 悪の巣窟 】




posted by ヒデキ at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする