2014年05月17日

『 日本は今すぐ移民の受け入れを 国力衰退する前に 』

 − 大前研一が語っています。

政府が「50年後(2060年代)に人口1億人程度を維持する」 との中長期の国家目標を設けることが3日明らかになりました。

日本の人口はこのままでは2060年に約8600万人まで減る見通しのため、2020年ごろまでに集中的に対策を進め、人口減少に歯止めをかける狙いとのことです。

相変わらず、政治家や役人はずるい表現をするものです。 「50年後」には誰も生きていないでしょうし、責任を問われることもないでしょう。ただし、政府にこのような態度を取らせてしまう責任は国民にもあります。日本が人口を維持するとなれば、計画的に移民を受け入れる以外に方法はないと私は思います。

 しかし日本人は移民の受け入れに、異常なほどマイナス感情を持っています。本来ならば、50年後といわず「数年後」と言いたいところなのでしょうが、国民感情を考えて50年後と言っているのだと思います。

 50年後と言いながら、徐々に国民に危機感を抱かせ、理解してもらうという手順を想定しているのでしょう。しかし私に言わせれば、逆にそれでは「危機感」は生まれてきません。

 50年後ではなく「5年後」と言うことで、強烈な危機感を抱かせるほうが良いと私は思います。そして、遅々として移民対策は進んでいません。政府は2012年5月から外国人受け入れの優遇制度を始めましたが、結局機能していません。

 これまで単純労働者は認めない一方、高度人材は歓迎すると説明してきましたが、実際の受け入れペースは鈍く、高度人材の認定数は今年1月までの20ヶ月間でおよそ900人、月50人程度のペースで法務省が見込んだ認定ペースの3分の1以下に留まるとのことです。

世界の外国人労働力人口の割合を見れば、米国15%、ドイツ10%程度です。英国も最近大きく割合が上がってきています。そんな中、日本はほとんどゼロに等しい状況です。

最近では、建設業界で人手不足のため一時的に外国人労働者を受け入れていますが、需要がなくなったら、再び本国に返してしまいます。これではダメなのです。

人口減少、高齢化社会、労働人口不足は「構造的な」問題だからです。「外国人=犯罪」というイメージなどが強く、日本は異常なほど外国人アレルギーを持っています。それでも移民を受け入れ、2年間の教育制度を整備して、グリーンカードを配布するなどの施策を私は20年以上前から提唱しています。

 こんなことを言えば、周りから叩かれるので誰も言いたくないのでしょうが、本当の意味で日本の将来を考えれば、やらなければいけないことです。年間30万人以上の移民を受け入れなければ間に合わないのだという事実を認識し、すぐに動き出してもらいたいと思います。

【 薄毛で悩んでいる方に朗報 − 3ヶ月、毎日つけていたら髪がふさふさ生えてきました。ミカン抽出液、イヨカン抽出液からできた自然派育毛剤です。知人から驚かれました。 ブログ著者の経験です 】

 黄金宮

posted by ヒデキ at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月11日

「週4時間」 だけ働く (2)

 「9時〜5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に住み、ニューリッチになろう」

 ティモシー・フェリス (6カ国語を話し、世界中で利用できる無線機器の多国籍企業を経営。2003年以来、プリンストン大学の客員講師として 『理想的なライフスタイルデザインと世界の変革をもたらす手段としての起業家論』 の講義を行う。) の著作である。

 「金持ち父さん、貧乏父さん」 というロバート・キヨサキの著書は有名だが、こちらの “ 「週4時間」 だけ働く” のティモシー・フェリスもなかなか面白い。

35か国語に訳されて出版され、1000万部を売り上げた驚異的な著書である。人生を楽しみながらお金を稼ぐ究極のライフスタイルをデザインしようという趣旨。

 高収益のスポーツサプリメントの販売ホームページを作成し、ぼう大な時間をシップメントや顧客対応に割いて収入を得ていたものの、オペレーションに忙殺されて死ぬ思いを経験し、一挙にプロセスを外部にアウトソーシング(業務の外注)することで、週4時間だけ働く生活を手に入れたというストーリーである。

 ドロップシッピング (製造元直送) の成功者で、 ”Brain QUICKEN” がそれだ。
http://www.bodybuilding.com/store/bq/body.html

これは一言で言うとNR ( ニューリッチ ) の手引書だ。

 “ 9時 − 5時労働からおさらばして、世界中の好きな場所に住み、ニューリッチになろう。 この不景気は、あなたを変える絶好のチャンスだ! ” と銘打ったカバー。

革新的な企業、ケンタッキーフライドチキンやマイクロソフト、ドミノ・ピザ、フェデックスといった企業は皆、不景気のあいだに生れており、物価も人件費も広告費も安い不景気は、ニュービジネスをしかける絶好の時期で、あらゆる人が楽観的なとき (好景気) なときは、これらはすべて不可能なことだと云う。

 空いた時間がふんだんにできたおかげで彼が手に入れた肩書は、

 − プリンストン大学 「ハイテク企業論」 客員講師
 − アメリカ人で史上初、タンゴのギネス世界記録保持者
 − 30人以上のプロスポーツ・オリンピック世界記録保持者のアスレチックアドバイザー
 − 雑誌 『 ワイヤード 』 の2008年の偉大なセルフプロモーター
 − 中国式キックボクシング世界選手権王者
 − 台湾MTV出演のブレイクダンサー
 
 要領の良さだけで名門プリンストン大学に入学したというティモシーは、秀才肌というよりストリート・スマートで、語り口も軽妙だ。

 本のボリュームが622ページもあり、家庭円満の秘訣、学生にとって本当に必要な人生の勉強法、CEOの経営術、プロフェッショナルな放浪術など、トピックも盛りだくさんだ。

 著書には、 "10分で200%速く読む方法" なども紹介されている。

 本をよまなくてはいけないときもあるのも事実だ。10分間でできる。ダメージは小さく、読解力はそのままに少なくとも200%読むスピードを上げる、かんたんな4つのコツがある。

1. 2分間、ペンか指で、読んでいるところをできるだけ速くなぞる。
読むことは一連のスナップショットのつながり (いわゆるサッカード “無意識の高速な眼球運動の一種”) であり、視覚的なガイドで後戻りするのを防ぐことができる。

2. 3分間、それぞれの行の最初と最後から3番目の単語に集中する。
そうすることによって、周辺の無駄な余白を見ずに済む。例えば、次の行の太字表記されている部分が業の初めと読み終わりに集中する部分である。文章全体をより少ない目の動きで読む。

Once upon “a” time, an information addict “decided” to detox.
(むかしむかし、情報依存者は、情報を排除することを決意しました。)

両側からどんどん動かしていくうちに、容易になるだろう。

3. 2分間、一度、両端から3つか4つめあたりに注目することになじんできたら、今度は各行の最初と最後の行の2ヶ所だけを素早くキャッチしてみよう。

4. 3分間、慣れたスピードで読む前に、上記3つのテクニックを使って、細かくは理解できないくらい速く5ページ読む練習をする。

これは理解力を高め、あなたの読むスピードの限界をリセットするだろう。ふつう、時速80キロは早く感じるが、約113キロで走っていたハイウェイから降りたら遅く感じるのと同じような感覚だ。

 このようにして進歩してきたら、あなたは世界でもっとも速い読み手の1%の仲間入りだ。
 
【 「週4時間」 だけ働く。 】

posted by ヒデキ at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

孫正義 リスクを成功に変える28のルール

 M&A戦略で盛んに海外企業の買収を仕掛け、2013年度の純利益が5000億円を突破したソフトバンク。一代で日本を代表する企業を作った孫正義の行動ルールを学んでみましょう。

 「仕事術−仕事の悩みは仕事で解決」から、引用します。元ソフトバンクの社長室長が書かれた本です。

 「今日できること」は今日やる!

Q:仕事がうまくいかず、夜も眠れません。どうしたらいいのでしょうか?
A:「今日の仕事」と「明日以降の仕事」に分ける

 社会人をやっていれば、一度はこんな悩みを持つときがあるもの。しかし仕事の悩みを抱えたままベッドに入っても、悪いことばかり想像して、ますますネガティブな気持ちが強まってくるだけ。ならば仕事を始めて、悩みのもとを解決する努力をした方がよい。これが孫正義氏の言う「仕事の悩みは、仕事でしか解決できない」ということだそうです。

 次にやるべきは、「今日できること」と「明日以降しかできないこと」を明確に線引きすること。そして書き上がったら、「今日できること」をどんどん実行していく。そうやってすべてを終えたら、残っているのは「明日以降しかできないこと」だけ。そこまで作業を進めれば疲れも出てきますし、さすがに眠くなるというわけです。

 孫正義氏も、深夜までミーティングを続け、詰められるところまで詰めると最後に必ず
「よし! 見えてきたな」と声に出して帰るのだとか。それは、「その日にできることはやり尽くした」という合図のようなものだといいます。

 リーダーはどんな時でも全責任を取る!

Q:リーダーシップとは何でしょうか?
A:目標を決めて役割を振って、責任を取ること

 リーダーシップのあり方はいろいろ。しかし孫正義氏を間近で見ていて、著者は気づいたことがあるそうです。それは氏が「目標を決めて役割を振って、責任を取ること」でリーダーシップを発揮しているということ。

 そして「社員に役割を振る」ことについて徹底しているのだといいます。あいまいな支持や複雑で難しい指示を社員に与えてもなかなか伝わらず、できもしない指示を出しても無意味。それぞれの社員の能力を見て、指示を与えることが大切だということです。

 重要なのは、リーダーが責任を取ること。たとえば「孫正義が責任を取る」ことは、ソフトバンクが快進撃を続けている理由のひとつでもあるといいます。(145ページより)

 段取りを組んだら考え込まないで一気にやる

Q:プレゼンテーションの準備や資料作成など仕事が遅くて困っています。どうしたらいいでしょうか?
A:難しい資料は一晩寝かせ、「1泊2日」で作る

 仕事を素早く片づける方法として著者がおすすめしているのは、「1泊2日資料作成法」。ソフトバンク時代、孫正義氏から「大至急、資料を作れ。明日の朝まで」と言われる中で編み出した方法だそうです。

 まず1日目に、荒削りでも一気に作ってしまう。この過程で全体の流れを決め、必要なデータなども洗い出す。そして2日目に、足りない資料やデータなどを集めて一気に仕上げる。これがもっとも効率的な資料の作り方だということ。

 仕事をどんどんこなしていくためには、可能な限り、その瞬間でできることはすべてやってしまい、とにかくいったん仕上げることが大切。そしてそのうえで、無駄な手戻りの原因になるような情報のインプットの時間を減らすことが重要だという考え方です。

 さらに意識すべきは、考え込まないこと。孫正義氏もよく、
「どんなことでも10秒考えればわかる。10秒考えてもわからない問題は、それ以上考えても無駄だ」と話していたのだそうです。

 何かを学ぶつもりで取り組む!

 Q:自分が「やるべきだと考える仕事」と「上から押しつけられた仕事」、どっちを優先させたほうがよいでしょうか?

 A:「押しつけられた仕事」こそ全力を注ぎ、肥やしにする

 「やるべきだと考える仕事」とは、自ら新しい企画を立てたり、その作業をしたりすること。将来への投資ともいえ、自分でやるべきだと決めた仕事だからこそ、納期も仕上がりのイメージも自分で決めることができる要素が多い。

 それに対して「上から押しつけられた仕事」は、重要度が低く、時間や手間がかかったり、失敗する可能性が高いものかもしれません。しかし、こうした仕事こそ、実はていねいにしっかりやるべきだと著者は断言しています。なぜならそういった仕事は、仕事のやり方や、他部門の考え方を学ぶよいチャンスである場合が多いから。

 地味で無駄に見える仕事でも、そこからどんなことをどれだけ学べるかは、仕事に対する姿勢次第。単に「押しつけられた」と捉えず、なにかを学ぶつもりで取り組むことが大切だというわけです。

 だからこそ、ビジネスパーソンならば、上から押しつけられた仕事をきっちり仕上げるべき。そのうえで、将来への投資になる仕事をやるべきだといいます。

 本文内では、このようなひとつひとつのことがらについて、孫正義氏がどのような結論を出したかなどが具体的に説明されています。

 特にリーダーシップについて悩んでいる方にとって、本書は大きなヒントになるのではないでしょうか。

 【 引用: 孫正義 リスクを成功に変える28のルール 】

posted by ヒデキ at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米モルガン・スタンレーが三菱UFJと連携強化へ

 米大手投資銀行、モルガン・スタンレーのジェームス・ゴーマン会長兼最高経営責任者(CEO)は日経新聞のインタビューに応じ、資本提携先の三菱UFJフィナンシャル・グループとの連携関係を「アジアや欧州、中南米など世界的に深める」と語った。

 具体的には「M&A(合併・買収)案件の共同開拓」などを挙げた。モルガンの経営状況については、財務基盤、収益力とも回復軌道に乗ったと自信を示した。

 モルガンが同業のリーマン・ブラザーズ破綻のあおりで2008年秋に経営危機に陥った際、三菱UFJは90億ドル(約9200億円)の優先株を引き受けて資本支援した。11年には保有する優先株を普通株に転換し、現在は出資比率22%の筆頭株主だ。

 ゴーマン氏は、日本では「『貯蓄から投資へ』という流れが加速するのは確実だ」と指摘。「三菱UFJの分厚い顧客基盤に我々の金融商品を提供していきたい」とし、資産運用業の拡大に期待感を示した。

 両社の関係について、ゴーマン氏は「互いの信頼感は着実に深まっている。(一時的な危機対応ではなく)数十年におよぶ戦略提携になる」と表明。「モルガンもウォール街の『保守本流』を自負している。両社の社内文化は実は似ている」と説明した。

 金融危機で深刻な打撃を受けた後、モルガンは収益がぶれやすい自己勘定取引から撤退するなどウォール街でも大胆なビジネス戦略の転換を進めた。

 ゴーマン氏は「我々の経営は安定を取り戻し、財務基盤に加えて収益力も回復軌道にのった」と成果を強調。危機の再発防止を目指す米連邦準備理事会(FRB)など米金融当局による金融規制強化策は「(金融システムの安定確保へ)いい線まできたのではないか」と分析。一段の規制追加は「効果を見るべきだろう」と注文した。

 世界経済の今後数年に期待する“成長市場”として「米国、日本、北部欧州」を列挙した。米景気は「春以降、力強さを増していく。企業収益は拡大が見込まれる」と予想。

 日本の構造改革に関連しては、「大胆な改革に取り組もうとしている安倍政権の努力を素直に評価すべきだ」と訴えた。低空飛行が続いてきた欧州経済は「ドイツだけでなく、北欧やスイスにも景気回復の流れが広がってきた」と評価した。

 ブラジルやインドなど新興国景気は投資マネーの流出など「リスクは常に存在する」と指摘しつつ、ロシア・ウクライナ情勢を含め「現時点では対処可能なリスクの範囲内にとどまっている」との認識を示した。

 モルガンと三菱UFJはサントリー・ホールディングスによる米蒸留酒最大手ビーム社の買収など日米企業のM&A(合併・買収)支援など実績を積み上げている。共同出資で設立した証券会社は13年度に日本でM&A助言分野で首位になった。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
 ジェームス・ゴーマン氏

 豪メルボルン大(法律)卒、米コロンビア大学経営大学院修了。マッキンゼー、メリルリンチを経て2006年モルガン・スタンレーへ。07年共同社長、10年最高経営責任者、12年会長兼務。

 オーストラリア生まれでウォール街首脳では異色の経営コンサルタント出身。特に資産運用ビジネスに精通し、メリル時代に三菱UFJフィナンシャル・グループと日本で合弁会社を立ち上げた経験もある。故郷を愛し、毎年20時間かけてメルボルンに里帰りする。1男1女、55歳。

 【 外資系金融のExcel作成術 】
posted by ヒデキ at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月27日

【 一日20時間働く体力を身につける 月〜木禁酒令を発動! 】

 平日はそれこそ東京時間、ロンドン時間、ニューヨーク時間と、まわるまわる地球といっしょにグルグルとカンファレンスコール(国際電話会議)に追われ、週末もどちらかは仕事。

 30代の頃に米国投資銀行でこのような生活に身体が慣れ、40代となった今も体がぶっつぶれる寸前まで働いているわけだが、健康を損なったらそこで(雇用も)おしまい。自分の体力を増強するために最近はじめたのが酒を断つこと。

 平日は月曜日から木曜日まで断酒して、過酷な勤務にむけて体力を温存する。その代り、金曜日の夜は好きなだけ飲んでいい。このリズムに慣れてきた。先週も金曜の夜はTMEで飲み出したら、止まらなくなってしまった。。。

 ( TMEにはダイバーシティ (多様な業界の男女、多様な人がいっしょくたに集まる楽しさ)の魅力があるから、余計に酒が進む。 )

 つぎは禁煙にチャレンジしてやろうと思っている。そうして一日20時間の勤務時間で月曜日から金曜日まで働けたら、起業家になって一人で営業から開発からトレーディングから人事から経理から採用から総務からITから税務まで切り盛りしなくてはいけなくなったときにも役に立つだろう。

 自分の持つユーティリティ(効用)は、限界ギリギリまで活用するのだ。
posted by ヒデキ at 22:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

【 愚痴るのは嫌だが、愚痴りたい日だってある 】

CIMG3093.JPG

Facebookやミクシイにはみんな、美味しい料理や美しい観光地の写真が並んでいるが、平日は終電まで仕事で、土日も出社のことが多い。オフィス街以外の写真を一度くらいは掲載したいものである。週明けには大きな仕事が待ち構えていて、もう耳から内臓が飛び出そうなくらいのプレッシャー。

会社クビになったら、ウサン臭い婚活ブローカーになりたい。絶対にそっちの方が今よりも楽しい。断言する。
posted by ヒデキ at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

商社マンになるには?

 商社志望 「OB・OG訪問」 はしないとダメ?

 新卒での就活といえば、昔もいまもよく耳にするのがOB・OG訪問だ。
このOB・OG訪問、就活中の学生のあいだでは、いつの時代でもさまざまな噂が流れるものだ。

 「OB・OG訪問をしなければ採用はない。」 「そもそもうちの大学のOBがいないので、もうムリだ。あきらめよう。」 などの類である。これら時代を問わず耳にする噂は本当なのだろうか。

 「まったく事実ではない。OB・OG訪問しなくても入社した人もいる。過去、採用した社員の中にOB・OGがいない大学の卒業生でも入社した人もいる。だいたい、商社マンになろうという人が、こういうことを気にする時点でダメでしょう。

 OB・OG訪問はすればいいだけの話。卒業生にOB・OGがいなければ、その旨、会社の人事にでも話せば、なんとでもなる。」

 (総合商社、40代男性社員)

 OB・OG訪問については、かならずしも行わなければならない、というものでもない。事実、OB・OG訪問を行わずして商社に入った人も耳にする。しかし、ある20代のある若手商社マンは、つぎのように言う。

 「ほんとうに入りたいという気持ちがあれば、やはりOB・OG訪問をして話を聞いてみたいでしょう。会社側からすれば、“訪問する (訪問した会社で働きたい) 熱意” と理解するので。OB・OG訪問を行わずして入社できたというのは、よほど実力のある人。レアケースと思えばいい。」 (総合商社20代社員の話。)

 やはりOB・OG訪問はしたほうがよさそうだ。では、もしOB・OGがいない場合はどうすればよいのだろうか。

 先述した40代の総合商社の現役商社マンによると、人事課などのセクションに 「OB・OGがいないが、訪問させてほしい。」旨、連絡すれば、その訪問希望の学生と同県人、あるいは指導教授の出身校の卒業生など、その学生からみて、なんらかの縁がある社員と懇親の機会を持つなどの措置がとられるという。

 
 まずはOB・OG訪問が商社マンとなるための第一歩といっていいだろう。ただし、このOB・OG訪問の段階で採用が決まるということはない。

 「どこの会社でもOB・OG訪問で訪れた学生さんは、単なるお客様の扱い。二次面接、最終面接になって、ようやくこの学生さんは、ほかの会社には行って欲しくないな。」 と絞り込んでいくイメージらしい。
 
 ( 引用: 『商社マンのお仕事と正体がよ〜くわかる本』 )


 
posted by ヒデキ at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

改めて考える: 「働く」とは何か?

若手ビジネスマンのブログからインスピレーションあふれる文章を紹介します。就職を考えている人にとってもためになるお話です。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

私自身はいい年のオジサンなのだが、思いがけず、周囲に新入社員や就活中の学生がいたりして、彼らの言動を見ていると改めて「働く」ということを考えさせられた。


「我が経験こそ正しい」と「経験の押し売り」をするシニア世代の反論は捨ておいて粛々と自分の思うところを書きたい。私自身は大組織に勤める典型的なサラリーマンであり、自他共に?認める「社蓄」である。


会社から文字通りの月給を頂き、犯罪でも起こさない限り、(仕事と待遇を選ばなければ)直ぐにリストラにならないだろうし、逆に万一(極めて可能性は低いが)目覚しい結果を残せたとしても、一足飛びの大出世ができるわけではない。


典型的な古きよき日本のサラリーマンライフを謳歌している・・・客観的にはそういう人種だろう。
しかし、ありがたいことに周囲の友人は転職、起業をしている率の方が高いようで彼らの動きを見ているととても刺激になる。


自分のおかれている立場との相違が際立って著しいが故に自分の職業観を含めて日々、考えさせられる。
本当に奇特で義理人情に厚い友人に恵まれたものである。

さて、典型的な社蓄である私にも一応、仕事に対するポリシーがある。珍しく親に言われたことだ。
「好きなことを仕事にする」「学んだことを仕事にする」、ついでに書くと「好きなことを書いたり、話してカネがもらえるならこれ以上の仕事はない」。


私は運よく好きなことを仕事にしているし、学んだことを仕事にしている。
だから社蓄を半ば甘受している。さもなければ転職を考えていただろう。

日経新聞をはじめ就活生への指南じみた数々の記事、報道を見ると私が言う、
「好きなことを仕事にする」「学んだことを仕事にする」のは効率よく内定をもらうためには役に立たないようだ。

しかし、就活の最終目的は「自分の「仕事」をできる会社を探すこと」であって、内定社数を競うことではない。私も内定は結局一社からしかもらっていない。「内定勝者」とは程遠い実績である。


しかし、その一社で「好きな仕事」をし、「学んだことを仕事」にできればそれで人生はハッピーだと思う。
十分な企業研究、業界研究を前提にすれば挑むべき業種や企業を絞っても良い。

倍率?あなたが好きなことを仕事にし、学んだことを仕事にすれば会社はあなたを選ぶはずである。
多くの就活生、転職希望者と議論してきたことはたった三つだ。


1.あなたは何をしたいか?
2.あなたは何故、1.のことをしたいか?
3.あなたは1.をしたいがためにこれまで何をしてきたか?

凡そ就職、転職に関する面談で出てくる質問は多少の変化球があっても上記三つだけだ。
そして、私は日々、この三つの質問を自分に言い聞かせている。

「好きなことを仕事にする」「学んだことを仕事にする」というと、反論も多いかもしれない。
「好きではないことも仕事の一つだ」「大学で学んだことは実務では役に立たない」といった具合に。
しかし、私に言わせれば前時代的な、日本でしか通用しない話のように思われる。

「好きなこと」は言い換えれば「仕事のやりがい」「働き甲斐」である。
仕事というのはそれが外から見ると華やかそうな仕事であっても、99%以上は地味な作業の連続である。


好きでもない仕事であれば1%の華やかな仕事に目が向いて、99%の地味な作業は「苦行」でしかない。
そういうと「苦行こそが仕事」というシニア世代の方もいるだろう。

だが、世界を動かす、将来動かすであろうイノベーターなりエヴァンジェリストの人々は地味な作業を「苦行」と思うことなく寧ろ、「趣味」のようにやってのけてしまう。

それを「天才」というのではないか?天才は99%努力する人種だが、努力を努力と思わず、楽しめればそれは苦行ではない。世界の「天才」に対して、仕事が「苦行」でしかない人が太刀打ちできるだろうか?

私は「ライフ・ワーク・バランス」という言葉が好きではない。"No Work, No Life"であり、"Work is Life"とすら思う。「ワーク・ワーク・バランス」の世界である。何故、私は仕事が好きなのか?答えは簡単だ。

好きなことを仕事にしているからである。傍目に見て雑用でも好きでやっているから気にならない。

好きなことを仕事にして給料をもらえるし、好きなことに没頭していて夜遅くなれば残業代が出るし、休日も好きなことをして出勤すると休日出勤手当がもらえる日本企業は本当に素晴らしいと思う。

残業代をもらいすぎるとまずかろうと思って早朝サービス残業も辞さない。全ては好きなことを仕事にしているから地味なこと、普通であれば辛いことも苦にならない。

それでお客様、社会に喜んでもらえて、会社の利益になって、その一部を給料でもらえれば「三方一両得」ではないか? 「大学で学んだことは実務で役に立たない」?いやいやとんでもない。

私は大学で学んだことを日々の仕事で反芻して、追体験している。私は運がいいだけかもしれない。大学で学んだことが偶然、会社で上手く役に立てただけかもしれない。

殆どの日本の学生は大学での専攻とは関係ない仕事で、関係ない業種の仕事に就くだろう。どうせ会社が「会社で役立つ」ように「再教育」する。逆に大学で余計なことを学んで会社の方針に疑義を挟まれては困る。

だから大学では体育会やバイト、NPO、インターン等で勉強ではなく、上下関係など「組織での処世術」を身に付けた学生を優遇するのかもしれない。

しかし、ここでいう「大学」は「大学学部」での話だ。欧米に行かずともアジアに目を向けるだけでも世界の流れが分かる。アジア、中華圏一つとって見ても修士号、博士号取得者がごろごろいる。

名刺にPh.Dがついているのは不思議なことではない(MBAは名刺に載せるまでもないのだろう)。MBAを持っているという話になると「どこの大学?」と聞かれる。

日本では学位は「箔付け」に過ぎないかもしれない。しかし、アジア圏で出会った修士号、博士号ホルダーたちはアイビーリーグ出身者も稀ではなく、質問やアイディアのレベルも正直、日本よりも高いと思う。

こんな優秀な人たちが自分の給料よりも何割も安い給料で働いていると「日本人の付加価値」を強く意識せざるを得ない。「大学に入るときに就職活動のことまで考えて大学や学部を選ぶわけないだろ?」という声もあるだろう。

だからアメリカの大学では学部は"undergraduated"であり、リベラルアーツという教養を学ぶ。大学院で漸く"graduated"と認められて、専門的な内容を学ぶ。

アメリカ企業の経営陣の経歴を見ると、学部で工学部だった人がMBAやロースクールに行って弁護士資格を取るケースも少なくない。アメリカの事例で世界を語るべきではないが、アジアの状況を見ていると母国で教育を受ける人達も、留学せずとも同じような状況になりつつあると思われる。

「アジアのことなんて関係ない。どうせ日本勤務だし・・・」と思う人もいるだろう。私もそうだった。しかし、日本が島国で必要な原材料を輸入し、製品を輸出する構造を完全に放棄しない以上、本人の仕事が日本国内で終わったとしても、会社のビジネスが日本だけで完結することは少なくなる。

中小企業でも大企業でも何らかの形で日本国外の世界と関係が有る時代になっている。日本においては大学院出身者はnearly equalで「使いづらい」といわれることが多い。


だから私は大学院出身者が多そうな業界、会社を選んで今に至っている。
「大学で学んだことを仕事にする」以上は修士号以上の専門性は求められるかもしれない。


20代の大事なときに6年も勉強するのは嫌だと思う人もいるかもしれない。しかし、冷たい言い方をすれば、本当の意味で好きなことを、学んだことを仕事にするためには、相当の努力と覚悟が必要だと思う。

或いは努力を努力と思わないほどに「好きこそ物の上手なれ」の領域に達してなければ、就活で生き残っても企業人としては生き残ってはいけないだろう。逆に言えば「好きなことを仕事にする」と決めたときにはそこまで本当に好きなことであるかどうかがポイントになろう。

少し目線を変えた話をしたい。起業した友人、或いは学生時代に深く携わった企業の幹部になった友人達を見ていて一番学んでいることは「社蓄」と「社長」の違いだ。(ここでいう社長は経営者であり、CEOであり、経営判断の最高意思決定者である)


「社蓄」と「社長」の一番の違いは何か?それは「決断」すること、「決める」こと。勿論、「社蓄」にも「決める」ことはある。だが、「決められる範囲」、裁量は極めて限られている。

「社長」は組織の存続に関する全責任を負う。些細なことでも決断ミスが最終的には会社の存続に関わるかもしれない。それが故に有能な人が、高い給料をもらえるのが「社長」、経営者という仕事だと思う。


「経営者は給料がもらいすぎ」という批判が日本ではあるが、責任に見合う給料を用意できなければ責任の重さに耐えられる能力の社長が登場しない。逆に言えば「社蓄」と「社長」の差は究極的に「決める」ことだけかもしれない。


しかし、同じ年齢の「社蓄」と「社長」がいたら、私は組織の大小を問わず「社長」の方が「良い経験」をしているはずだ。「決める」ことはリスクが伴う。一度リスクが発現すれば組織の存続に関わる「修羅場」に身をおかざるを得ない。

「修羅場」で身を滅ぼして終わる人もいる。しかし、「修羅場」に勝る良い経験、良い鍛錬はない。勿論、好き好んで「修羅場」に身を置きたい人はいない。「修羅場」に巻き込まれないように必死に知恵を絞るからこそ、力もつくと思う。

「社蓄」をしていて思うのは、「社長」(社長に至らなくとも自分よりも裁量が広い高位の意思決定者)に正確に情報を伝えることを是とする仕組みが組織には備わっているということ。

私個人は「ホウレンソウ」主義者だが、「ホウレンソウ」の究極的な目的は「上司に状況を理解してもらって、自分では決められないことを決めてもらうこと」。上司が決める段階で「社蓄」である私は「決める」という重責から解放される。

上司が困れば、上司の上司に更に「決める」判断を委ねることができる。しかし、当然ながら「社長」の上には社内にもう判断を委ねられる人がいない。

マネジメントは「決める」ことだと思うし、「決められない」人はマネジメントは出来ないと自分自身に言い聞かせている。そんな経験を同じ年齢でしている「社長」には敬服する。私は「社蓄」だけあって「チキン」と言われても仕方ない。

では「社蓄」はどうすればいいか?「社蓄」は「社蓄」なりに「いい経験」をするように自分ができる範囲でのた打ち回るしかないと思う。

同じ大学を出た二人のうち、一人が欧米系投資銀行、一人が日本企業に行ったとしよう。もし、欧米系投資銀行のリストラの恐怖をかいくぐり、二人が5年後に出会ったらどちらが「経験値」が多いだろうか?

私が個人的に思うのはやはり欧米系投資銀行のほうが経験値は多いと思う。こなしている案件の規模と数、潜り抜けている「修羅場」の回数は恐らく波の日本企業では太刀打ちできないだろう。

だが、それ故に耐えられない人も多い。逆に言えば耐え抜くには高い能力が必要だから給料も高いのだろう。
もっと言えば、高い給料でなければ誰も欧米形投資銀行で頑張ろうとは思わないだろう。

それはまさに社長と同じで、相応のリスクを背負うからだ。以上、長々と書いてきたが、私も今後安泰なんてことはなく、いつ何が起こるかわからない。

急にリストラの憂き目を見て、住む場所を失って、ポエムを売って生計を立てる羽目になるかもしれない。
そのときのためにポエムのセンスを磨くと共に「社長」には勝らないまでも「いい経験」をしておきたいと日々、画策している。

「いい経験」は「いい仕事」、「いい案件」という言い方でもいいかもしれない。言い方は別としても、「いい経験」は誰かに与えられるものではなく、自ら作り出すものだと思う。

そして、意外とチャンスは転がっていて、後は「伸るか反るか」、成功するかどうかは「運次第」。でも、「運」は日々の努力で「引き寄せられる」と信じてしまう私は楽観主義者だろうか?

【 何のために働くのか − 北尾吉孝、SBI証券 CEO 】


posted by ヒデキ at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

奇跡のような戦後の復興の背景

 「海賊とよばれた男」 「永遠のゼロ」 を書かれた百田尚樹の本に、戦後の驚異的な日本の復興、高度成長がなぜ成されたかという話がありましたので紹介します。

 “奇跡のような戦後の復興の背景”

世界を驚かせた日章丸事件もすごいが、出光佐三の95年間にわたる生涯も“劇的”という言葉くらいでは足りないくらいの戦いに次ぐ戦いの連続でした。一人の人間にこれほどの苦難が舞い降りるか、という厳しい状況に何度も立たされました。

それでも彼は一度も逃げず、一度もひるまず、徹底的に戦いつづけました。日本をいかに素晴らしい国にするか − そのことだけを生涯追い求めた人生だったのです。

若い人たちはこんなことを言います。
「生まれたときにはバブルは弾けていた。阪神・淡路大震災が起こり、リーマン・ショックがあり、今度は東日本大震災。私たちには希望も何もない。いいことなんか何にもない。」

とんでもない大間違いです。いま君たちが立っている地点は、決してゼロではありません。敗戦ですべてを失った先人たちが努力を積み重ねて築き上げた現在を、いったい何だと思っているのでしょうか。

あの戦争と敗戦を経験した当時の日本人が、復興に向けていかに頑張ったか。どれほど働いて働いて働きぬいたのか。私は、そうした多くの日本人の象徴として、『海賊と呼ばれた男』 で出光佐三の生涯を描きました。

彼とおなじような思いで戦後を生き、働いた無名の日本人が大勢いたからこそ、奇跡は成し遂げられたのです。

戦後の経済復興については、日本は運がよかったこともありました。ぼう大な量を産出する中東の石油そのものはタダみたいな値段で取引されており、石油の値段の大半は輸送費でした。

戦前まで世界最大の産油国だったアメリカは、戦後になって石油輸入国に転落します。アメリカも中東も石油を買う立場でした。アメリカやヨーロッパと比べて中東に近かった日本は、世界の主要国のなかで一番安い石油を買うことができました。
 
その意味でも、産油国と直接取引をする道を切り開いた日昇丸事件は、戦後復興史のエポックメイキングな出来事だったと思います。

 “当時は死ぬ気で働くことができた”

戦後の奇跡的な復興は、精神的な要因も大きかったと思います。日本は日中戦争から数えて十年以上戦争を続けてきました。生き残った兵隊たちは、シベリア、満州、東南アジア、フィリピンなどで、地獄の戦場を体験して、やっとの思いで焼け野原の祖国に戻ってきたのです。

当時の日本人は、死に物狂いで働きました。働くことの喜びを、おそらくは日本の歴史の中でいちばんもっていた人たちではなかったでしょうか。地獄の戦場で戦うことに比べれば、どんなに苦しくて辛い戦いであったとしても、死ぬことはないですから。

たとえば、タンク底の石油積み出し作業。タンクの底に潜って手作業でくみ出す文字どおりの汚れ仕事を請け負ったのが、出光興産でした。しかし、この過酷な仕事の現場でも、笑いが絶えなかったといいます。
働くことによって、自分たちは飯が食え、会社も復興する。さらには日本のためにもなる。撃たれて死ぬことがないどころか、結婚もできる。戦場とはまるきり違う!

だから当時の日本人は、死ぬ気で働いたのだと思います。そうでなければ、敗戦から20年足らずでイギリスやフランスを追い越せません。日本にはもともと、海外に売れる天然資源がないのですから、食うためには働いて稼ぐしかありません。

昭和20年代から30年代にかけての日本人の働きぶりは、いまの基準でいうと労働基準法違反だらけだったでしょう。残業手当は出ませんし、週休2日が導入されたのは1990年代です。

それまでは週休1日で、祝日も今よりもずっと少なかったのです。日本の豊かさはこうして成し遂げられたのです。最近は働かない、あるいは長時間働きたくない日本人が増えているそうですが、このまま行くと日本は終わります。

 ( 引用: 『ゼロ戦と日本刀』 百田尚樹 )





posted by ヒデキ at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

ロシア情勢

クリミアを編入したロシアを米欧は非難しているが、ハワイ、カリフォルニア、ルイジアナ州などを原住民の地から編入したアメリカがなぜ非難できるのかが分からない。

クリミア半島の人たちはロシアに編入されると、給料や年金が増えると言っている。米欧が非難しているからといって、日本まで同調して非難する必要があるのか? 相手はサハリンT、サハリンUと、(原発の止まった)日本の生命線であるLNGガスを大量に調達する貿易相手国だ。
posted by ヒデキ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月23日

ウォール街の名物男たち (4)

 さて、今回からアイバン・ボウスキーが登場します。カリフォルニア大学バークレイ校の卒業式で 
”Greed is good. Greed works (欲は良いことだ。欲は機能する)” と、80年代のM&Aに彩られた金ぴか時代の米国経済の象徴となった一幕です。また、映画 『ウォール街』 の主人公の一人、ゴードン・ゲッコーのモデルとなったM&Aサヤ取り業者です。

怒鳴り屋のアイバン・ボウスキー 「ボスは俺だ。俺には叫ぶ権利がある。」

ウェストポートに家を買ってから間もなく、マーティン・シーゲルは初めてアイバン・ボウスキーから連絡を受けている。その当時、すでにM&Aの分野で評価を高めていたシーゲルだったが、ボウスキーについてはキダー・ピーボディ証券の顧客で、サヤ取り業者 (M&A報道が出た後、買収する企業とされる企業の株価のサヤを抜いて売買する) という知識しかなかったようだ。

ところが、シーゲルはボウスキーの知識や戦略に最初から強い影響を受けることになる。ウォール街では、「親友」 というのは電話でのやり取りで出来るものなのだろう。

それからというもの、ボウスキーは戦略やらゴシップなどを何度となく話したようだが、シーゲルとしてはキダーに専門家がいないこともあって、そうした情報はすべて貴重なものになった。

伝統的にキダー・ピーボディ証券ではサヤ取りは敬遠されていた。インサイダー情報に頼りがちになるばかりか、社内で内輪もめが起こるからだ。

ところが、M&Aが盛んになるにつれ、ボウスキーのようなサヤ取り業者の存在がどうしても必要になった。サヤ取りそのものは本来、利の薄い商売だったが、すでにボウスキーからはポジションを分厚くとり、M&Aのターゲット銘柄から大儲けしていた。

サヤ取り業者の人柄はというと、絶えず脂ぎって、ぎらぎらした私欲のかたまり、俗にいう株屋みたいなところもあった。おまけに相場の寄り付きから引けまで、終始、電話や端末に向かって怒鳴り声をあげ、揚げ句に、うさ晴らしにはバーの飲み歩き、たまに大きい山を当てれば高いレストランで豪遊。それがサヤ取り業者の印象だ。

79年のある日、シーゲルはボウスキーに 「好きな女がいる」 と打ち明けている。そしてこの一件はキダーの社内でも、ちょっとしたスキャンダルの種になる。

コロンビア大学ビジネススクール出身のジェイン・ステュアートがその相手だった。才媛、ブロンドの髪、スリムな体、既婚、気品の良さ、そんな彼女が入社するや、コーポレート・ファイナンスの面々は完全にのぼせ上がった。

キダーではオフィスラブはご法度だった。それ以前にも、あるM&A担当者がトレイニ−の一人を好きになり、悪評を買っていたのだ。スチュアートが正式に離婚してから間もなく二人は深い関係になり、シーゲルは周囲の忠告など耳も貸さず、同棲を始めた。

ジェインの周囲には、無神論者のユダヤ人との結婚に反対する者もあった。なかには計算づくの逆玉の輿といぶかる友人もいたという。だが、ジェインは本気だった。そして81年に二人はゴールインし、ウェストポートに広い新居を構えることになる。

  ”暗転”

結婚後まもなく、シーゲル夫妻はボウスキーの招きで、ウェストチェスターでのホーム・ディナーに出向いている。ほかにボウスキー所有のIFBの創立期からの株主、セオドア・ファーストマンも細君を連れて、その晩、顔を出している。

この席でシーゲルは新居の間取りを披露するつもりだった。
シーゲルはマンハッタンから45分ほど北に向かい、古きニューイングランド時代を想い起こさせるベッドフォードやマウント・キスコの保守的な街を抜け、一路、ボウスキーの邸宅をめざした。

だが、目的地に到達したものの、公道に通じる迷路のようなドライブウェイからは、200エーカーもある敷地のどこに邸宅があるのか見当もつかなかった。

腰に拳銃をぶら下げたセキュリティに言われるまま、敷地の奥に向かうと、そこにはジョージア王朝風の赤レンガ造りの大邸宅が待ち構えていた。それは、以前はレブロンの創業者、チャールズ・レブロンが所有していたものだ。

ギリシャ彫刻をあしらった広大な庭。プール、スカッシュ用のインドア・コート、テニス・コートなどなど、まさに腰を抜かすほどの豪邸だ。

ブルネットの髪をしたボウスキーの細君シーマが、二人を迎えた。きれいな壁紙や品の良い美術品で飾られた部屋、庭やビリヤード・ルーム、ボウスキーのイニシャル、IFBがついたカーペット等々。

そこには、お決まりの黒のスリーピースと白のワイシャツで装いを決めたボウスキーが待ち構えていた。
「なぜ毎日、同じスーツを着るのか。」 こんな素朴な質問に、ボウスキーはこう答えている。
「Decision maker (意思決定権限者) にはこれが定番だよ。」

夕食の席ではブロンドの髪をきっちり分け、出っ張った頬骨の奥から鋭い眼光を投げかけるいつものボウスキーが、その夜だけはゆったりと客をもてなしていた。ジェインが間取りのことをもちだすと、シーマがとたんに反応した。

「キッチンは広い方がいいわ。こちらにいらっしゃい。うちのを見せてあげましょう。」
なるほど、そこはシーゲルの新居よりも広い。

ボウスキーはシーゲルが予想する以上に儲けていたようだ。彼の財産をかいま見るにつれ、富の凄さをシーゲルは印象づけられる。それを前にして、シーゲルとジェインはただ借りてきた猫のように沈黙するしかなかった。

結局、家の間取りのことは、それ以上話に上がらなかったという。

(つづく)
【 引用: ウォール街 悪の巣窟 】




posted by ヒデキ at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月21日

『アベノミクスの次なるカンフル剤には、移民政策の導入を!!』

 ”異次元の金融緩和” から早一年。株式市場、為替市場、不動産市場に活気をもたらしたのがアベノミクスと東京オリンピック決定だが、最近は消費税増税後の反動を気にしてか、元気がない。

 それはそうだ。日本の未来に対して明るい展望を持てないからだ。高齢者の数は増え、社会保障コストはそのまま若者たちの肩に重くのしかかり、成婚率、出生率には明るいきざしが見えない。

 規制の緩和や国土強靭化計画も勿論良いが、日本の経済を十年単位で成長させていくのにいちばん有効なのは移民政策の導入だ。イギリスが良い例で、年間50万人の移民をインドや中東、アフリカから入れているせいで、国内消費経済、金融業や不動産業、小売業、交通産業を大きく潤わせている。

 日本のGDPの86%は、国内消費経済だ。若者たちが結婚しなくなり、少子高齢化が避けられない以上、人口を劇的に増やして国内産業を拡大させるには、年間50万人から100万人の移民受け入れしかないだろう。

 「外国人が入ると治安が悪化する、物騒になる」 などと、いまだに江戸時代の鎖国的メンタリティを持っている人たちは、ダイバーシティ (多様性の尊重、人種、肌の色、宗教、国籍を問わず受け入れる寛容性) を学んだ方がよい。

 均一主義にこだわる風潮が、KY (空気が読めない) などの閉鎖的な人間関係や社会のビヘイビアをつくり、突破力のある画期的な商品やシステムが出てこなくなっている。

 大学生の就職活動が良い例で、1度に限られた少ない就職の機会で、同じような黒のリクルートスーツを着込み、マニュアルに書かれた模範解答を練習して就職先を得る。そこには、人とちがう経験を積んだ人や価値観を持った人、社会経験を積んでから入社しようとする特質のある人たちが入社するチャンスが無い。

 ダイバーシティ(多様性) を受け入れる寛容さが著しく欠けているから、異なる考え方、異なる開発のし方、異なるコンセプトを産み出す創造力が欠如し、今あるIT産業、電機産業の凋落をもたらしたとも言えるだろう。

 均一主義にこだわる大多数の保守的な日本人に、外部から文化的な衝撃(Impact)をもたらしてくれるのも移民の良いところだ。

 多種多様な人種、宗教、肌の色、異なる考え方を受け入れる寛容性を日本人が持つことで、単に国内経済の拡大だけでなく、画期的な製品の開発や、革新的な企業を多く産み出す絶好の機会が来るのではないだろうか。
posted by ヒデキ at 21:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『日本の経常赤字の定着は良いこと、悪いこと?』

  − 経済の先行きに不安を持つ方が多い中、大事なのは ”あくまで、経常収支の動向は中長期的な国際的資金フローの変化をとらえるべき” との考え方。
 (丸紅経済研究所のレポートより)

 3月10日に発表された2014年1月分の国際収支統計では、経常赤字が過去最大の1兆5890億円(原計数)と、大幅な赤字を記録したとして注目を浴びた。経常赤字自体は初めてではないものの、直近では4か月連続の赤字となっており、「日本にも経常赤字が定着するのか?」といった漠然とした不透明感が漂っていると言えよう。そこで、「経常赤字」というのはどういう状態なのかを整理してみたい。経常収支を考える際に、その内訳をみると、

  経常収支=貿易・サービス収支+所得収支+経常移転収支と言うのが基本的な枠組みである。

 そして、近年の経常赤字は、・高水準にある燃料輸入、円安による輸入額のかさ上げ、景気回復に伴う輸入増加(輸入サイド)・輸出企業の海外移転や海外製品との競合による輸出の伸び悩み(輸出サイド)等の理由により、「貿易・サービス収支」の赤字が継続、拡大していることが経常赤字の要因となっているとはご承知の通りであろう。

 一方、経常収支のもう一つの大きな構成要素である「所得収支」は、直接投資や証券投資といった海外への投資からもたらされる投資収益がメインであり、収益の源泉となる対外資産(2012年末時点で約660兆円)が積みあがっている日本においては安定的に黒字を記録している。

 そのため、経常収支の先行きについては、「貿易赤字が続く以上、早晩経常赤字に転じる」と言う見方もあれば、「対外資産からの配当である所得収支が安定的に黒字であるため、短期的に経常赤字に陥る可能性は低い」という考え方もあり、見方が分かれるところである。

 また国際収支統計は、「一定期間における一国のあらゆる対外経済取引」が複式簿記の原理によって記録されており、経常収支+資本収支+外貨準備増減+誤差脱漏=0

 という恒等式が成り立つようになっている。しばしば、「経常収支と資本収支は表裏一体」と言われるように、経常収支が赤字の場合、その赤字額は資本収支でファイナンスされていると考えられる。

 「赤字」という響きに対し日本人はネガティブな印象を持ちがちであるが、「経常収支赤字」自体は海外からの投資による資金流入や海外資産の取り崩しによる資金の手当てが行われる以上、問題とは言えない。

 あくまで、経常収支の動向は中長期的な国際的資金フローの変化をとらえるべきであり、一時的な「貿易赤字」や「経常赤字」に踊らされる必要はないであろう。

 ただし、昨夏以来の新興国の通貨不安を巡る局面では、恒常的な経常赤字国において、米国の金融緩和縮小観測と縮小開始により、流入していた資金が逆流する事態が発生した。その結果、外貨準備の減少や、貿易収支や所得収支の支払い能力に対する不安が高まったことが通貨下落の背景にある。

 恒常的な経常赤字国において資本の流入が止まった場合、
「モノ、サービス、投資収益等に対する支払超過」⇒「支払いのため、外貨調達の必要性」⇒「自国通貨売り」⇒「自国通貨安」といった発想により、通貨の下落が生じうる。

 ただし経常赤字であっても、外貨準備残高が潤沢であったり、構造改革により赤字縮小に努めていれば、資金繰りの不安は低いと言えるため(注4)、各国のファンダメンタルズや、政策動向も踏まえ、経常収支の経済に与えるインパクトを判断していくべきであろう。

次に、2014年1月から国際収支統計は、IMF国際収支マニュアル第6版に沿って作成・発表されることとなったため、ここでその概要を紹介したい。マニュアル内容の詳細については、統計を作成する日本銀行の解説等を参照頂きたいが、今回の作成方法変更の特徴として、・対外資産負債残高、金融・資本関連統計の重視

 ・SNA(国民経済計算)との整合性強化
 ・グローバル化した企業構造や生産体制、金融取引の高度化等を的確に把握する
といった点が挙げられる。

 その結果、「所得収支」、「投資収支」と言った耳なじみのある項目が、それぞれ「第一次所得収支」、「金融収支」と、SNAに準拠すべく名称変更されている。

 また、経常収支、貿易・サービス収支を見る上で留意したいのは、・「財貨の加工・修理」⇒従来「貿易収支」に計上されていたが、「サービス収支」に計上
・「仲介貿易」⇒従来「サービス収支」に計上されていたが、「貿易収支」に計上

 といった項目の組み換えが行われた点である。

 この「貿易収支」、「サービス収支」間における項目の組み換えに関して、2013年実績で見ると、『財貨の加工・修理』は約7,500億円の赤字、一方、『仲介貿易』は約1兆2000億円の黒字となっている。

 このため、これらの項目がそれぞれ「サービス収支」、「貿易収支」に組み入れられたことにより、第6版マニュアルに則って作成された2013年実績は従来の作成手法に比べ、通年で約2兆円程度貿易収支の黒字が押し上げられたことになる。

 実際、旧マニュアル(第5版)と新マニュアル(第6版)の「貿易収支」、「サービス収支」動向を並べてみると、のような値の差が見られている。(ただし項目の入れ替えであるため、「貿易収支」と「サービス収支」を合わせた「貿易・サービス収支」合計では変化せず。)

 また、発生主義の採用により、「第一次所得収支」(旧所得収支)の内訳にある「再投資収益」が、年次改訂の際に遡及して調整されることとなった点も大きな変更点の一つである。(注6)

 これらの変更は、分類方法や計上時期が変わるだけであるため、当然、経常収支の実態や経済のトレンドそのものに影響を及ぼすわけでは無い。ただし、過去の実績データを比較する際や、年次改訂前後においては、若干数字の見え方が変わりうる点には今後留意しておく必要があるだろう。
posted by ヒデキ at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

商社ウーマンの仕事  ”育児と仕事を両立、20人を束ねるリーダー”   

 − 住友商事、電力事業第一部 吉岡友江

 商社は男性社会。吉岡友江は、そんな思い込みをしなやかに覆してくれる。入社は1991年。いわゆる最後のバブル入社組だ。職種は事務職 (一般職にあたる)。当時はまだ女性の活躍する場が限られ、住商でも女性基幹職(総合職)の採用は一けた。事務職採用のほうが圧倒的に多かった。

 「雇用機会均等法があっても、結婚退職が当たり前の時代。わたしも住商にいるのは3年くらいかな、なんてぼんやり考えていました。だから、今、ここにいるのがすごく不思議なんです。」

 現在は基幹職として、20人の部下を束ねるチームリーダーだ。電力事業プロジェクトを経営的視点から支えるアセットマネジメントを担当する。

 「周囲に助けられ、気づいたら今の自分になった。」 商社の輸出業務は最前線に直結する仕事が多い。事務職として電力プロジェクトの部署に配属され、新人時代から資材調達や外国為替の許認可業務など、対外交渉を任されることも多かった。

 少人数の部署だったこともあり、仕事を覚えれば覚えるほど、任される範囲が広がった。基幹職やメーカーの担当者と一緒に出張に行くこともあった。

 “基幹職への職掌転換が転機”

 転機は97年に訪れた。職掌転換制度を利用して基幹職へ換わることを上司から勧められたのだ。悩み、一度は断った。自分には荷が重いと思ったからだ。

 「でも、事務職のままだと、いずれ今までやってきた仕事は他の人の担当になってしまう。電力の仕事が面白かっただけに、離れたくなかった。日々の成長を止めたくないし、挑戦するしかないと考え直し、上司からの強い勧めもあり決意しました。」

 職掌転換制度はとまどいもあった。責任も重くなる。基幹職の同期が歩んできたキャリアが違うため、知識や経験が不足しているハンディもあった。

 「自学もしたし、後輩に混ざって研修も受けました。でも、今思えば業務が一番の教材でしたね。つらいと思ったことはもちろんありますけど、結局はそれを乗り越えるか、自分に負けるか。負けるのも悔しいじゃないですか。それに、上司も同僚もいつも助けてくれました。」

 強みもあった。事務職経験者として、担当や事務職にどのように業務を説明すれば働きやすいかを熟知していた。事務職のメンバーが能力を発揮できるよう、さりげなく気を配った。

 人の縁を大切にする。その気持ちが表情に現れるのだろう。話していると、不思議と心がほぐれ、温かい気持ちになる。

 昨年6月、上司の推薦を受け、チームリーダーに昇格した。「みんなのお母さん的な調整役」 と、いかに部下たちが働きやすい環境をつくるかに心を配る。「このまま仕事一筋かな。」 と感じ始めていた2008年には結婚。子供も出産した。

 育児と仕事をマイペースで両立させている。

 「住友商事は良くも悪くも平等な会社。女性だからダメということはない代わりに、優遇もしてくれません。でも、助けてくれる人はたくさんいます。これからも周囲に助けられながら、次の時代のビジネスモデルを作り上げていきたいですね。」

 (引用: 『住友商事 by AERA』)


(NHKドラマの名作、 『ザ・商社』 山崎務主演 )


posted by ヒデキ at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

『 Born to be wild 』 ワイルドに行こうぜ!

 金曜日の夜は23時過ぎまでニューヨークとのカンファレンス・コールに追われ、ゆっくりする時間も無かった。体力勝負の毎日。

 現実から逃避するいちばん手っ取り早い方法として、映画 ”イージー・ライダー” を借りてきて、60年代のアリゾナ州をハーレー・ダビッドソンにまたがり荒野を駆けまわるPeter FondaとDennis Hopper のヒッピーな姿とBGMの ”ボーン・トウビイ・ワイルド” に酔いしれた。

 69年にアカデミー賞で助演男優賞と脚本賞にノミネートされたこの映画は、衝撃的な結末で知られている。
劇中に登場するバイクは、1965年型ハーレー・ダビッドソンでエンジンはパンヘッドと呼ばれるタイプ、排気量は1200ccである。

 フレームはリジッドでサスペンションが無い。ワイアットが乗っているチョッパーは、前輪ブレーキが装備されていない。劇中で登場していたマリファナは本物を使用していた。

 メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(キャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレー・ダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるニューオリンズ目指して旅に出る。

 農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーを拾って彼らのコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける2人。しかし旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを咎められ留置場に入れられる。そこで二人は弁護士ハンセンと出会い、意気投合する。

 そして、ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にニューオリンズに向けての旅を続ける。しかし、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面し、驚きのフィナーレを迎える。

 彼らの破天荒な生きざまと、この音楽がぴったりフィットして、とても元気が出る。
 ♪ Born to be wild ~ ♪ (ワイルドに行こうぜ)
 
 なんと、You Tubeでもこの曲と名シーンが見られます ! (音が出ますのでご注意を)
http://www.youtube.com/watch?v=rMbATaj7Il8

 
posted by ヒデキ at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月16日

週末出勤の良さ

CIMG3092.JPG

昨日はあろうことか、東急東横線が全面止まるという前代未聞の椿事が起き、横浜・日吉に足止めされた。今日はやっと雪も去り、お日さまに恵まれて、オフィスに出社した。

家からジャンパーを2枚持ち込み、エアコンの切れたオフィスで重ね着しながら仕事するというスタイルが定着した。身体は凍てつくような寒さだが、週末出勤には良いところがある。

一週間のあいだにたまった仕事を、ぐあ〜〜〜〜〜っと一気に片付けることができ、月曜日の朝をフレッシュな気分で迎え、人から頼まれた仕事の処理、 Reactive(受動的)な仕事ではなく、Proactive(能動的)な仕事ができるからだ。自分から仕掛けていく仕事だ。

人から言われた仕事だけをやっているのは単なる事務員 (Clerk)であり、月給取りの仕事だ。会社のために新事業を創ったり、コストを下げたり、新しいシステムや仕組みを創り、同僚を感動の渦に包み込むのがBusinessman (商売人) の仕事ではないか?

週末に寒いオフィスで凍えながら残務を片付けると、月曜日の朝にはキャンティーンで淹れたイタリアン・ローストコーヒーの味を楽しみながら、新しい仕掛け、仕組みを創造する仕事に没頭できる。
これぞCreative People (創造的なビジネスマン) のスタイルだ、ということに、最近気づいた。

でも、やっぱり体は芯から凍え、夜8時には、東京駅前にある新丸ビルの地下のレストラン街で、生ビールを一気にあおり、人間の心に戻った (笑)。
posted by ヒデキ at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月15日

就活ラプソディ − ITと金融の熱狂を思い出しつつ-

 年の離れた若手金融マンの友人がブログにアップした記事を、本人の承諾を得て掲載します。就職活動をしている学生さん、頑張れ〜!!

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

 全員お揃いのリクルートスーツで都心を闊歩する就活生。もはや大学は「就職予備校」になり、「就職偏差値」に一喜一憂する学生と企業。就活生は「ブラック企業」を見抜き、企業側は「ミスマッチ」を防ぐのに一生懸命。エントリーシートはもはやセンター試験と同じく「共通化」に向けて動き出しているという。

 「就職塾」らしきビジネスも立ち上がっているようで、私も今の職を失ったら是非、トライしてみたいと思っている(笑)。

 今日はそんな就活狂想曲を聴きながら思い出した昔話をつらつらと書いていきたい。
誰か(個人、企業、業界)を攻撃するするつもりはないが、きつい書き方でお気を悪くされる方もいるだろう。最初にお詫び申し上げておきたい。

私の学生時代はIT革命・ITバブルの余熱がまだ残っていた頃だと思う。大学に入った頃にADSLによる常時接続が一般化した。在学中にホリエモン事件が起きた。私は元々パソコンが好きだったので自然とITビジネスの授業を受け続けることになった。

当時の授業でも「この授業で学んでいることは数年後には何ら意味を成さなくなる」と言われたが、その通りだった。今で言うスマホらしいものが開発中であることはうっすら知っていたが、ここまで早く実現するとは思わなかった。

そういえば、大学院の頃にWeb2.0が流行っていたなぁ、今はWebのVersionは幾つなんだろう? 社会人(OB)講義が花開き、インターンという言葉が一般化したのもこの頃からではないだろうか?

大学院の頃、とあるITビジネスの授業のアシスタントらしきものをやったこともある。学生時代の長い期間でITビジネスを学んだが、私の結論は一つだった。「IT産業、IT企業には就職しない」・・・今でも正解だと思っている。

その結論を導き出しただけでも、多くの授業を受けた甲斐があったと思う。
ただ、生憎、企業人になり、少なくとも仕事ではIT業界とは疎遠になってしまい、授業の内容は殆ど忘れてしまったけれども。

学生時代の前半は、「IT病」であり、「ベンチャー病」と内心名付けている事態に数多く遭遇した。
IT業界に携わる社会人講師の中には、「IT良いとこ、来たらお金持ちになれるかも!」と明に暗に仰る方もいた。

その言葉を真に受けて、ベンチャーに学生時代を奉げた同輩、後輩を沢山見てきた。
成功した人もいたが、正直、大半が失敗だったのではないかと勘繰っている。

私にとって、「良いビジネスモデルさえあればお金はついてくる」というのは嘘にしか聞こえなかった。
学生も学生だったと思う。誰でもベンチャーという言葉に酔い、誰でも金持ちになれるチャンスがあると錯覚していたのではないかと思う。

ベンチャーという言葉が「ファッショナブル」に聞こえて仕方なかった。
ビジネスは生死を賭けた戦いであって、「ファッション」ではない。私はそう思っていた。

ただ、多くの社長にお会いできたのは本当に幸運だった。お恥ずかしながらITのIの字も覚えていない。
でも、多くの「経営者」にお会いできて、沢山話を伺えたのはどんな講義よりも役に立った。そのありがたみに気付けたのは20代も後半になってからで若いときの苦労は何も考えずに受けるべきと思った。

実というと私の今のキャリアプランを考えるにあたっての「ロールモデル」もこのIT関係の方々と語らう中で見出したりもしている。

学生時代の後半は金融ブームだった。失われた10(15)年が終わり、景気が上向いていた。
今思えば、小泉改革で景気回復に向かい、リーマンショック前のつかの間の、しかし、最大級のバブルだった頃の話だ。

日系金融機関が不良債権問題で力を失って、優秀な人材は外資系(欧米系)投資銀行、当時のリーマン・ブラザーズ証券を含むバルジ・ブラケット(名門投資銀行)とマッキンゼー、BCG、ベインといった外資系コンサルティングファームに殺到した。

さながら「外資でなければ人でなし」の感、大学でも自然と「一流外資、二流邦銀、三流メーカー」といわんばかりの「序列」が形成されつつあった。

でも、私はおかしいと思った。「何故、(高学歴と言っても)「普通の学生」なのに初任給が1000万円なのか?」
「こんなことが長続きするわけがない」と正直、思っていた。一部学生の「外資でなければ人でなし」のあからさまな態度に苛立ち、「逆張り」を打った。

結果的に、そのときに外資系金融機関に旅立った人間で生き残った人間は極僅からしいという風の噂を聞いた。

 実は、当時、日系企業の中でも総合商社は格別の人気だった。リーマンショック前は資源価格が高騰し、総合商社株は資源株として人気だった。過去最高益を叩き出していた。私も総合商社に憧れる人間の一人だったが、縁が無かった。

  私の「逆張り」は思わぬ結果になった。図らずも「御社が第一志望です」の「逆張り」をした。第三志望ですと方言した会社と縁があり、今に至っている。

 今もって思う。当時は絶対におかしかった。これをバブルと呼ばずして、何と呼ぶのか?

 私の就活当時、一番の花形は先述の通り、外資系投資銀行、更には「M&Aアドバイザリー(IBD)」、外資系コンサルティングファーム、総合商社だった。

「 就職偏差値 」 という言葉が出てきたのは私が就活を始めた頃からだと思う。不思議と当時の偏差値ランキングと足元のランキングに大きな差がないから面白い。私は普通の学生が初任給1000万円というのはおかしいと思っていたから彼らが目指した「M&Aアドバイザー」の仕事はやるまいと思っていた。

(一部省略)

「 君、投資銀行業務に向いているよ 」 と言われたのを今も忘れない。

でも、今でさえ、恥ずかしくて会社の面談で 「投資銀行業務、M&Aアドバイザリーを生業に、夜通しバリバリ仕事をしてバルジブラケットに一矢報いてやりたいんですよ」 なんて口が裂けても言えない(笑)。一体、どこまでもイタイ奴である。きっと上記の台詞を言うのは会社を辞める前のわがままを言う場面だろうな。

結果的にIT業界に縁遠い仕事になってしまったが、ITの経営者の方に言われた言葉は今も忘れない。
幾つか書いてみると、「Howを尋ねるなんてレベルが低い、Whyを尋ねてこそ一流だ」(みたいなこと)。

「金融業界?ろくでもない業界だから行かない方が良い!」(結果的にお世話になっております)

「金融とITは相性がいい。情報を取り扱う点では一緒だからね。」(これは核心を衝いていた!)

そう、金融とITは実は近かった。学生時代、奇しくも二つの業界にご縁を頂いたのは正解だった。

季節は幾度と巡って、再び私は金融とITの交差点を目の前にしている。
だが、私はどうもベンチャーという言葉が 「ファッショナブル」 な聞こえ方がして仕方ない。
「アントレプレナーシップ」 と言われると、いよいよ 「何をかぶれているんだよ」 と思ってしまう。

ベンチャーで成功した人を見ると 「圧倒的な競争優位」 と 「絶対的に追随不可能」 なビジネスモデルを持っている人だけだと思う。そんな 「魔法のようなビジネスモデル」  「錬金術じみた事業モデル」 に出会える人はよほどのラッキーだ。

  他方、金融業は表立ってはルネサンスの時代から、シェークスピアが 「ヴェニスの商人」 に書いているような感じで長く存在している仕事だ。企業審査だってその根底にはキャラバンと貿易船の利益処分に通じるところがあると思う。私は対して才能に恵まれない人間だ。だから「魔法のようなビジネスモデル」を閃くことは出来ない。

 もう一つ、私は高校から大学時代、鴻上尚史の戯曲を愛読していた。「スナフキンの手紙」が大好きだ。ピルグリムかハッシャバイか忘れてしまったが、こんな一節があったように思う。
「作家という仕事が好きだ。色々な人生が見られるからね。」

 矛盾しているが、今の仕事以外にやりたい仕事が作家である。

 でも、専業作家になれるほどの文才はないらしい。だから実業の世界で、あたかも作家のように、色々な人生、つまり色々な企業人人生を疑似体験できる仕事をしたかったのかもしれない。

 話が拡散したが、結局最後は「好きこそ物の上手なれ」だと思う。だから私は「好きなこと」「やりたいこと」「学んだこと」を仕事にすればいいと思う。それがITでも、商社でも、金融でも何でも良いじゃないか。

 好きなこと、やりたいことなら多少辛くても耐えられるだろう。学んだことを仕事にするならゼロから学ぶよりは効率的に仕事を覚えられるかもしれない。

 そんなスタンスでは、今時、内定は勝ち取れないのだろうか?だとすれば日本はきっと寂しい国に成り下がってしまうだろう。





 【 広告 】
 友人の依頼につき、広告を掲載します。
日本の電力危機を救うのに有効な太陽光発電に協力して頂ける方を探しています。
太陽光発電の用地を探しています。空いた土地を紹介して頂き、設置に至れば紹介料を差し上げます。

事業会社が用地レンタル料単価を100円〜500円で探しています。
現在、売電価格がkw当たり37.8円ですので(2月22日まで)、有効な土地活用となります。
土地を貸して頂けるだけで収入につながります。施行は当社で行います。

応募方法: コメント欄にハンドルネームと連絡先Eメールを記入して下さい。Eメールは管理人しか見られません。連絡後にコメント欄は削除致します。
posted by ヒデキ at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メリルリンチ日本証券社長にラティモア氏

 メリルリンチ日本証券は2014年1月20日にコーポレートバンキング本部長のティモシー・ラティモア氏(49歳)が社長に昇格する人事を内定した。

 就任は2月1日付。瀬口二郎社長(50)は親会社であるバンク・オブ・アメリカのアジア太平洋地域の投資銀行・企業金融部門のトップに就くことが決まっている。

 (引用: 日本経済新聞) 

 【 巨大投資銀行 】

posted by ヒデキ at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

商社マンになるには? (1)

単なる学校秀才ではダメ。勉強は出来て当然。遊び上手で情報のアンテナを高く!

どうしたら7大商社に就職できるのでしょうか? 7回シリーズで連載します。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 

 いつの時代でも学生の就職ランキングでトップにくるのが総合商社。ただ商社は、おなじく就職難易度の高い銀行や証券とは異なり、単なる学校秀才タイプでは落とされるという、敷居の高い業界なのだ。

 「筆記試験、大学時代の成績も重視される銀行、これは学校秀才であればまず、入れます。公務員も学業成績で決まるから同じ。しかし総合商社は違う。学業成績は良くて当たり前、という感じ。それプラスの魅力がないと入れない。」 (就職コンサルタント)

  たしかに日本企業の中ではテレビ局と並んで最も社員の平均年収の高い商社マン(社員の平均年収1,200〜1,400万円)は、世間ではキレ者+αのなにかがあると思うものだ。この+αの部分が重視されるのが商社マンといえよう。

 「 商社志望の学生はとくに “外国語が堪能です” “体力あります” “協調性あります” とOB・OG訪問でも話す人が多い。こちらからすると、そんなのできて当たり前。そこから何が出来るのか、もしくは何がしたいのかを語れなければ商社マンとしての素質はない。」 (40代の商社マン)

 もっともOB・OG訪問の段階から、具体的なビジネスプランを語れるようでいなければダメというわけではない。そんなものは商社側も、学生相手に期待してはいない。商社が採用時に学生を見ているのは、あくまでも “商社マンとしての資質” である。

 「どういう考え方をしているか。どういう生き方をしているか。そしてどう商社を通じて社会に貢献したいのか。この3点を見ている。いまは就活準備が前倒しになっているせいか、整い過ぎた人が多い。そんなタイプは商社ではちょっと難しいかもしれない。」(40代、商社マン)

 では、採用に至るのが厳しいという 「整い過ぎたタイプ」 というのはどんな学生なのだろうか。

 「大学時代から、ずっと商社志望で “やれ外国語を身につけた、いま英検1級、TOEICは何点” だの、 “簿記は何級です” と、自分の大学生活は商社に入るためだけに過ごしてきた、とアピールする人です。これはもう面接の段階でアウト。

 あとは就職講座での受け売りというか、無難な応答ばかりする学生。もしくはその逆で、ウケ狙いというか、とっぴな意見を言う学生。人事もプロですから、それが本当の自分を語っているのかどうか、簡単に見破ります。

 偽りの自分を出して仕事する人って、嫌でしょう。そういう人は採用に至らないのです。」
(40代、商社マン) 

 7大商社と呼ばれる商社マンの話を総合すると、商社マンになる人とは基本、学生時代に勉強はガリ勉しなくても出来る。スポーツも出来る。そして学級委員とかをやってリーダーを務めた。もちろん話が面白くて人気者、協調性もあり。と、絵に描いたような万能タイプの優等生が多い。

 銀行や公務員がおとなしい学校秀才ならば、商社に来る人はやんちゃな優等生タイプが多いのです。

 (つづく) 

 【 引用: 商社マンのお仕事と正体がよ〜くわかる本 】


posted by ヒデキ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月08日

ウォール街の名物男たち (3)

ハーバード・ビジネススクールを出て、キダー・ピーボディ証券のM&A部門で働きはじめた美男のマーティン・シーゲルは、週に100時間も働く日もあった。先輩でアル・ゴードンの息子、ジョン・ゴードンを尊敬していたシーゲルは、フィットネスにも夢中になり、腕立て伏せを1分間で50回やってみせると豪語した。

これを聞きつけたゴードンや元レスラーのクリスティーを前にして、彼は細身の体で妙技を披露したのだ。かくしてシーゲルはキダー・ピーボディ証券の秘蔵っ子になる。アルファロメオのコンパーチブルに続いて、ロングアイランドの海辺に別荘まで手に入れている。

こうして社交の面でもシーゲルは洗練されていった。キダー・ピーボディ証券の最高幹部、デナンチオはと言うと、これが精彩を欠く冴えない男で、直感的にシーゲルの機敏さを悟ったことであろう。そこでシーゲルをバイス・プレジデントに昇格させ、直属の部下として抱えることになる。

1974年のことだ。そして翌年のクリスマスの頃にグールド社がバブル・メーカーの買収に動くと、早くもシーゲルにこの買収を担当させている。しかも被買収側の担当は、あのラザール・フレール証券の伝説的なインベストメント・バンカー、フェリックス・ロハティンである。

この相手には、シーゲルも蛇ににらまれたカエルのようだったという。ところが、ロハティンが打ち合わせの最中に、「ちょっと失礼」 と言ってトイレに立ったのを見てシーゲルの気分もほぐれた。
「あいつも人の子なんだ。あいつが金融界の伝説なら、俺が伝説になったってなんの不思議もない。」

シーゲルはそう思ったと後で語っている。

1976年、マーティン・シーゲルはM&Aのプロフェッショナルであるジョセフ・フロムの招きで、「乗っ取り先の見分け方」 というセミナーにパネリストとして出席している。その道のスペシャリストになるには、さほど時間がかかるとは思わなかったようだが、この大役にはシーゲルも興奮を隠せなかった。

しかも、参加者の顔ぶれの凄さにも驚かされたようだ。まだ駆け出しのシーゲルにすれば、とんでもない大物ぞろいだったからだ。

アイラ・ハリス(ソロモン・ブラザーズ証券)、ロバート・ルービン(ゴールドマン・サックス証券、後の米財務長官)、ジョン・シャド(EFハットン証券、後のSEC委員長)、アーサー・ロング(弁護士)、セオドア・レビン(SEC捜査官)、アーサー・フライシャー(フリード・フランク法律事務所弁護士)、マーティン・リプトン(ワッチェル・リプトン法律事務所) など、そうそうたるものだ。

当時、“コーポレート・アメリカ(アメリカ株式会社)” はまさに敵対的M&Aの最盛期を迎えようとしていた。企業は生き残りをかけて統廃合に活路を見出そうとしていたのだ。しかも、多角化のためには強気な相場環境のうちにM&Aを急ぐ必要があった。

話が進むうち、マーティン・リプトンが猛烈な勢いでメモを取っているのをシーゲルは察知した。ソロモンのハリスが話す番になると、リプトンはその前にノートを差し出した。しかもハリスは、それをただ読み上げるだけだった。
「そうか、これが仲間内のつきあいというものなんだ。」

28歳のシーゲルは、金融界のルールを悟った。リプトンとフロムは互いのクライアントを介して慣れ合いの関係を築き上げ、相互に多額の報酬が得られるように仕組んでいた。そのため、両者のクライアントが敵対的なM&Aで対峙することもなかった。しかもクライアントもそれを望んだ。

シーゲルもこの考えに染まる。そしてこのパネルディスカッションを通じて、M&Aが本格化するものと確信するようになる。モルガンやソロモンなどのビッグ・プレーヤーはM&Aを仕掛ける側として評価を高めつつあった。そこでシーゲルは、M&Aを防衛するディフェンス側に回れば活路が見いだせると思うようになる。

シーゲルがディフェンス側( 企業買収の防衛側 ) のプロとして脚光を浴びるようになるのは1977年からだ。シーゲルのターゲットは、年商1億ドルから3億ドル程度で、大手証券の手あかがついていないところになる。この作戦はまんまと当たる。そしてついには約3,600万円以上のフィーを手にすることになる。

最大のライバルはゴールドマン・サックスだった。だが、それから間もなくゴールドマンを出し抜くのに成功する。西海岸で医療機器の製造を営む日系人、スティーブ・サトーはコルゲート・パルモーリブのターゲットになっていた。彼を前にして、ただ会社の自慢話をするゴールドマンとは違い、シーゲルはサトーの話を熱心に聞き、しかもサトーと一緒にはじめての寿司を口にしているのだ。

ゴールドマンとでは勝負にならず、実際に乗っ取られた会社もあったが、顧客の中にはシーゲルの良心的な態度が通じるところもあった。

1977年にシーゲルはM&Aの世界で画期的な手法を開発する。かの有名な「ゴールデン・パラシュート」 だ。簡単に言うと、乗っ取りに備えて破格の退職金を役員に用意するというものだ。こうしておけば買収金額は大幅に吊り上り、乗っ取りも難しくなる。

ところが、実際には単なる企業防衛策にとどまらず、役員報酬の高騰を招いてしまうのだが。

シーゲルは若干28歳にして、年収7,000万円の収入を手にすることになる。しかもキダー・ピーボディ証券創立以来の最小年役員の地位まで手にする。これには実質的に会社を支配していたラルフ・デナンチオも警戒感を強めていく。

そしてある日、シーゲルを部屋に呼んだデナンチオはこう切り出している。

「 マーティ、君はまだ独身なんだ。アルファロメオも別荘も、君にはまだ贅沢だ。グリニッジ・ビレッジにある私の家の向かいが、いま売りに出されている。」 グリニッジ・ビレッジといえば、まがいもなくワスプ(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の街だ。排他的で、格式を重んじる街だ。

シーゲルはこの申し出を丁重に断った。その後、シーゲルは、海岸沿いに各段に豪華な邸宅を購入し、ウェストポートにあった別荘は、CBSのニュースキャスターだったダン・ラザーに売っている。

(つづく)

 【 引用: ウォール街 悪の巣窟 】




posted by ヒデキ at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月02日

Facebookよりミクシイの方がだんぜん楽しい!

池尻大橋の夜_220258.jpg

 先週土曜日の夜は、ミクシイつながりの友人が飲み会に誘ってくれて、池尻大橋(東急田園都市線)のこじんまりした居酒屋で10人と飲んできた。

ミクシイ友達が2人と、そこから発展して知り合いになった2名など、完全にオフのつながりで、色んな職業の男女が集まってとても楽しかった。関西の人も来ていた。

Facebookと、Mixiのどちらが良いかと言われれば、僕はだんぜんMixiを取る。
Facebookは旧知の知り合いの集まった、いわば同窓会みたいなもので、新たな人脈と出会う機会が無いからだ。

ビジネス系、就職系、学校系、趣味系、スポーツ系、ご近所系、恋愛系、不倫系、と、もう何千種類ものコミュニティがあって、好きなコミュニティで自由に友人をつくれるのも、ミクシイにはあってFacebookには無いものだ。

特に婚活、恋活をしている男女には、Facebookをするよりはミクシイに時間を費やす方が、多くの出会いに恵まれるし、コストもかからない。

Facebookは、旧知の知人と旧交をあたためる過去の人脈だが、ミクシイは見知らぬ人たちと知り合える未来の人脈サイトだ。

たとえば、こんなに豊富なコミュニティが、何千人規模でつながっていて、新しい友人を作れる。

30代、40代の恋活、婚活友の会
既婚者だって。。。
日本電産社長 永守 重信
☆東京駅周辺で働く人の会☆
東京駅周辺のランチ会
大前研一
三井物産の内定がほしい
住友商事の内定がほしい
I love 三河弁 
心霊・怖い話・体験談情報
Around40/アラフォーAround 40才
交流会・イベントin関東
自分の口座でFX
外資系
外資系金融に友だちが欲しい
外資系金融業界への道(就職)
努力すればエリートを越えられる
40歳以上の大人の会 (8826人)
40代以上の方マイミクになろうよ (12622人)

新しい人脈をつくり、そこから刺激やヤル気、ネットワークを得るには、ミクシイの方が優れている。

プライベートで楽しいコミュニティをつくるのはとても刺激的だ。

posted by ヒデキ at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月26日

商社ウーマンの仕事 “商社の自由度に毎日が刺激的” 

 住友商事 ライフスタイル・リテイル事業本部 河野純子

 前職は女性向けの転職情報誌の編集長。仕事は楽しかった。女性の活躍する場が広がっていくのを肌で感じることができた。だが、それだけでいいのか。

 「女性には結婚、出産というライフスタイルの変化があります。仕事の情報だけでは応援しきれない。そう感じていたときに、声をかけていただいたのです。」

 住友商事にはメディア・生活関連事業部門がある。河野が転職した2008年にはネット通販が拡大していた頃。通販と顧客のニーズをきめ細かく組み合わせれば、忙しい女性たちをもっとサポートできるはず。

 そう考えて、新しい世界への転職を決めた。ファッション誌と通販を直結させた新規事業の立ち上げに携わった。プロジェクトは成功、売上は順調に拡大した。

 2011年、次の転機を迎える。住商の役割は終えたとしてプロジェクトを売却することになった。

 「次はどうしようか。新しい事業をするためにリサーチし、アイデアをまとめる時間が欲しかった。3か月間時間が欲しいと申し出たら、OKをもらえたんです。住商という会社の度量の大きさを感じました。」

 そこでリサーチを開始したのが教育事業だ。その1年前、住友商事では、次の100年に向けて 「ありたい姿」 とそこへの成長ストーリーを可視化しようとする全社的なプロジェクトがあった。河野もメンバーとして加わったそのプロジェクトで着目した分野の一つが教育だった。

 「キーワードはグローバル教育でした。これからは確実な英語力と自ら考える力を持つ人材が必要です。でも、その人材を育てる教育サービスが不足している。グローバル教育に住商が取り組むのは、次の100年を考えた事業計画にふさわしいのではと考えたのです。」

 “アイデアと本気度に投資”

 教育カリキュラムを開発するパートナーは、国際バカロレア機構の認定校、東京インターナショナルスクールだ。代表の坪谷ニュウエル郁子と、会ったその日に意気投合した。

 「 “英語を学ぶ” ではなく、“英語で学ぶ”。英語を習得するために必要な2千時間を、子供の好奇心を刺激する時間として提供する。子供の教育に不安を持つ女性たちが求めているものだと思いました。 」

 住商は東京インターナショナルスクールのグループ企業に50%を出資。現在、都内に2校、幼稚園と、小学校対象の学童保育を兼ねたアフタースクールのモデル校がある。授業はすべて英語。ネイティブの教師が独自のテーマ探求型カリキュラムで教える。

 開校は2013年4月。募集枠はすぐに埋まった。十分な手応えを得て、来年度からはモデル校で開発したカリキュラムをフランチャイズ形式で全国に展開する。

 「よいカリキュラムをできるだけ多くの人にという思いははじめからありました。非英語圏のアジアの国々からの問い合わせも入っています。オンラインの力も利用していきたい。」
視野は常に“世界”。そのスケール感が商社で働く醍醐味だ。

「 住商はフィールドが広い。面白いアイデアがあり当時者が本気であれば、投資してもらえます。人材も豊富で、アイデアをさまざまな視点から磨いて事業化していく環境が揃っている。毎日が刺激的です。 」
河野の刺激に満ちた挑戦の日々はつづく。
 
( 引用: 住友商事 by AERA 全力世界 )

posted by ヒデキ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月13日

『言葉の通じないボリビア、過酷な環境も与えられたチャンス!』

商社ウーマンの仕事 住友商事、崎濱弘子

 空港に降りて面食らった。降り立ったボリビアの首都・ラパスの空港は、標高4千メートルの地にあった。空気が薄い。レンガ建ての家々、路上でパンを売る人々。初赴任先は、貧しく、過酷な環境の国だった。

自ら手を挙げた海外プロジェクト。入社して約10年間を東京で、資源エネルギー開発の事業に注ぎ、「せっかく商社にいるのだから」 と、志願して海外行きの切符をつかんだ。

 2010年3月から3年半、住友商事が100%出資する子会社、ミネラ・サンクリストバル社(以下、MSC) で働いた。サンクリストバル鉱山で亜鉛や鉛、銀などの鉱物を採掘、輸出する。

 役割は、上司となる財務責任者の補佐だが、実は崎濱の赴任にあわせてつくられた“即席ポスト”で、責任者になりたての上司を当初はあまり構ってくれなかった。

 初めての外国人の上司。もどかしさに拍車をかけたのが言語の問題。扱うのは万国共通の数字だが、会話はスペイン語。赴任したときには一言も話せず、上司との距離は広がった。

 “カタコトでも直接会話”

 そこで、とった策が 「メールをやめること」だった。
できるだけスペイン語で、はじめは英語交じりだったが、1日に4回も5回も、上司の部屋のドアをノックし、進言した。

 意見を直接伝えたら、反応はきちんと返ってきた。スペイン語はもちろん勉強したが、内容を正しく伝えることと同じくらい、「話したい」 という姿勢を伝えることが大切だった。

 「文化が違っても、ベースにあるのは人と人の関係だと分かりました。」
事務所も自宅も高地にあり、酸素濃度は平地の約6割。ふとした瞬間に苦しくなる。眠りも浅い。

 「健康管理も仕事のうち」と、生活を見直した。平日は朝5時半に起き、ジムで1時間半の運動をこなし、寝るときは酸素濃度を高める器具を使う。土日はゴルフで汗を流し、リフレッシュする。

 残業や夜の飲み会は「当たり前」 だと思っていたが、そうではなかった。

 “自分の事業”のつもりで

 自らの役割もあえて高い場所に据えた。ボリビアのこの地域の豊富な資源は地中に眠ったままだったが、出向先のMSCは2007年8月から商業生産を開始。資源を採掘し、税収と雇用をボリビアでも最大の鉱山プロジェクトだ。

 財務を担当していた崎濱は、「利益体質」をつくることを重視した。集計で手いっぱいの経理マンにも 「なぜ今月の利益が低迷したのか」 を分析し、説明した。事業が長く続くこと、利益をもたらすことが、国のためになることも説いた。

 「売り手と買い手をつなぐ商社にとって、“自分の事業” だと思える仕事は少ない。でも自分が当事者になり、主体的に関わることができてうれしかった。」

 上司とも、やがて1日の半分を会話に費やすようになり、3年半後には二人三脚の関係に。MSCはボリビア最大の民間企業にして、最も外貨を稼ぐ企業に成長したが、崎濱は身近なところに喜びを感じている。

 「初めて海外に住み、初めて異文化のなかで仕事をしたのに、とてもハッピーな気持ちで帰国できたことがうれしい。」

 まずは、身を投じてみること。喜びはそこから生まれるのだ。

◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
 
  崎濱弘子、1999年に住友商事入社。風力発電の事業開発、油田買収などの投資案件に従事したのち、2009年、サンクリストバル・プロジェクトに志願。2010年3月にラパス赴任。2013年9月に帰国。

 ( 引用: 就活生必読! 住友商事 by AERA 全力世界 )


 
 住友商事が “全力世界” を掲げ採用活動を開始
http://www.advertimes.com/20131204/article137535/

 『焼きそば生活』 − 住友商事の就活PR考えた人、頭いいわー。
http://yakisoba.blog.jp/archives/34660100.html
posted by ヒデキ at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

商社ウーマンの仕事 「フェアトレードへの関心から、経済を通じて世界を変えたい」

 住友商事 糖質・飲料原料部、村林瑠美

 今、住商が輸入する酒類原料のすべてを担当している。ビール原料の麦芽やホップを中心にウイスキーやブランデー、各種原酒などを買い付け、国内の酒類メーカーに販売している。

 例えば、麦芽における住商の国内シェアは10%前後。 海外の調達先・国内の販売先とともに長いつきあいのもと、比較的安定した取引が続いている。村林には、まずは調達先から販売先までのデリバリーが滞りなく、期日通りに行われることが求められる。

 簡単そうに思えるが、商社のデリバリーは扱う量がトン単位。先物取引で調達する場合もあり、為替レートも影響する。輸送時の事故やトラブルにも気を遣う。業務は幅広く、複雑だ。綿密な計画を立てて調整しなければ、取引先とのミスマッチが起きてしまう。

 「最初は分からないことばかりでした。私が受注を勘違いしたことから、納期に間に合わないという大失敗も。上司といっしょにもう平謝りでした。」

 知識と経験の不足を痛感し、落ち込んだことは数知れず。でも、ひきずらないように気持ちを奮い立たせた。食料関係の輸入業務は入社以来、やりたいと願い続けてきたことだからだ。

 “世界の貧困問題に関心”

 大学時代はコーヒーのフェアトレードを研究するゼミで学んだ。スタディーツアーなどを通じて、海外とかかわる仕事がしたい、世界の貧困問題にかかわりたい、と考えるようになった。

 「JICAなどの国際機関で働くことも考えましたが、経済活動を通じて社会貢献をすることもできることに気づきました。」

 そう志を抱いて商社に入ったが、配属されたのは人事部。人事部の仕事は面白かったし、居心地もよかった。しかし、やはり商取引の現場で働いてみたかった。入社5年目、社内公募に思い切って応募。希望がかない、異動となった。

  “商社では世界が職場”

 それまでとは畑違いの食料事業本部。業務内容はもちろん、上司や同僚も知らない人ばかりで新入社員に戻ったようだった。

 「仕事を覚えないと、一人前とは思ってもらえない。」
そんな思いから、自分の業務に集中した。会議でも、まずは周囲の言葉に耳を傾けた。すると、ある日、部長に言われた。

 「会議で発言しなかったのは、おまえだけだ。」 ハッとした。
自信がないからといって、目立たないようにしていてはダメだ。自分から積極的に仕事に取り組む姿勢も、商社ウーマンには必要なんだ。

 「最近は若者のビール離れなどもあり、日本のビール消費量が落ちています。どうしたらお酒を飲んでもらえるか、メーカーさんの考えを伺って原料を探したり、逆にサプライヤーから聞いたり役に立ちそうな情報を伝えて作戦を立てたりしています。提案することも商社の仕事の一つなんですよね。」

 2010年に結婚したが、「実は結婚してから一度も一緒に暮らしたことがないんです。」と笑う。中国で働く夫の日本出張の機会と、週末の中国訪問をあわせて平均月1回は会えているが、キャリアとライフプランの両立が目下の課題だ。

 「商社で働く良さは、世界が職場になること。住友商事には女性が働きやすい制度が整っているので、やりたいことにはどんどん取り組んでいきたいです。」 と、目を輝かせた。

 ( 引用: 就活生必読!  住友商事 by AERA  − 全力世界)


 
 住友商事が “全力世界” を掲げ採用活動を開始
http://www.advertimes.com/20131204/article137535/
posted by ヒデキ at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月01日

2014年の目標は3つ

 @ 『起業家並みの活力(バイタリティ)で仕事する』
 A 『超高速取引で毎日を回していく TSE東京証券取引所並みのスピード』
 B 『日本の金融業界の天才をめざす (仕事量も、完成度も、知識も) 』

 昨年、ミクシイやFacebook、またはリアルな仕事関係でご一緒させて頂いたさまざまな業界の起業家の人たちは、一様にエネルギッシュで、平日は朝から夜遅くまで、どうしてこんなハードなスケジュールでまわっていくのかと、不思議に思うくらいの仕事をされていた。

 また、週末も皆さん、仕事に出ていらっしゃる。量が多いから週末も出社するという受動的な働き方ではなく、 「仕事がワクワクして仕方がないから土日も働いている。」という人がほとんどだ。そして、決して疲労困憊してダウンする様子もなく、自分の好奇心のおもむくところ、上手に脱線してはプライベートも満喫していらっしゃる。

 要するに、『時間管理の仕方が上手』 なのだ。すき間時間をスマホで紛らわし、LINEのメッセ交換に追っかけまわされたり、ガンホーのパズドラで無為な時間を過ごすことなど無いのである。読書もするし、新しい知識の吸収にもどん欲なところは起業家に共通している。

 こういった起業家の人たちが、日本の雇用を増やし、経済を拡大されている。“雇われ人” のサラリーマンとは、活力(バイタリティ)の度合いが違うのだ。

  秋に転職活動していたとき、ある外資系金融企業のJD (Job Description) に、『起業家並みの活力をお持ちの方』 という条件が書いてあった。実に説得力のある言葉だ。

平日は馬車馬のように働き、土日も自ら新しいビジョンにうなされるような情熱をもって仕事にでかける。そんな人になりたい。

A 『 超高速取引で一日を回していく。TSE 東京証券取引所並みのスピード 』

普通の人は、1日は24時間しかないと思っている。夜寝る時間の8を差し引いた残りの16時間が、自分の使える賞味時間だと思っている。この16時間を、どうしたら有効に活用できるかと考えるのが、普通の人だ。

ところが、1日は、本人の猛烈なヤル気や意欲、時間管理技術次第で、36時間くらいには平気で拡大できるのである。

外資系証券マンや外資系銀行マンは、世界の経済と一体になって仕事をしているから、東京時間だけでなく、夕方のロンドン時間や深夜のニューヨーク時間まで働くことが、ざらにある。

そして、決して体力が疲労困憊しないように、上手に自分なりの時間管理術を開発している。自分の趣味やくつろぎの時間も入るように、上手な工夫をされている。

僕が日々、自分のOut put (生産量) を上げるためにとりくんでいる努力が、“超高速取引” である。TSEやTMEがすでに導入している。

板寄せ = TSE東京証券取引所が、朝8時から9時までの間に、世界中の機関投資家や個人投資家、証券会社自己売買部門や年金基金、政府系ファンドから、10億株にも達するぼう大な株の売り手と買い手を、超大型コンピュータをつかって猛烈なスピードでマッチングさせる超高速オペレーション。

TME東京マッチング・エクスチェンジが行っている板寄せ。
交流会開催日までの間に、都心のシングル男性、シングル女性にブログやMIXI, Facebook, ツイッターなどあらゆる手段を使って、男女が同数になるまで行う超高速オペレーション。

頭の回転速度を極大化して、一日にたったの2秒もムダな時間を過ごさないように心がければ、一日は36時間に拡大できるのだ。

丸の内の地下通路を歩きながら、単行本を読む。横断歩道の赤信号は、99%無視して渡る。ただし、対向車が来なければ。風呂場の湯船の中では、読みかけの本を読書する。書斎でパソコンをするときには、You Tubeでビジネス英語を耳で聞きながら、画面上では仕事をする。

Learning(専門知識の習得) を自分の生活のすき間時間に組み込んでしまう。

一日の時間は世の中すべて24時間でも、頭の回転を速くすることで一日を36時間に拡大できるのだ。ささいな努力かもしれないが、3年、5年とつづけるうちに、周囲と大きな差がつくだろう。

C  『日本の金融業界の天才をめざす (仕事量も、完成度も、知識も) 』

またこんな気宇壮大なことを言うと、 「頭がイカれてる。」 「救いようのないバカだ。」 とか言われるのがオチだが、このくらいの目標を持って、ぼう大な仕事量に立ち向かっていかないと、いずれは勤め先の会社を 『キリンの缶コーヒー (ファイヤー!)』 になってしまうのである。

外資系金融は、とてもキビシイ。
「クビにならない程度に仕事を頑張ろう。」 などと、意欲の無いことを言っていると、本当にクビになってしまう。

そのための具体的なベンチマークとしては、個人の達成する仕事量もトップクラスであれば、完成度もトップクラス、知識もトップクラスに引き上げて行けば、会社の中でも成功するし、万が一、外人上司とウマがあわなくても、東京都内のヘッドハンターからバンバン、引き抜きの話が持ちかけられるだろう。

志が高いことは良いことだ。

ソフトバンクの孫正義氏が20代のときに、カリフォルニア大学バークレイ校から帰国して、福岡市内で起業準備をはじめたとき、6畳の狭いアパートにアルバイトも入れて3人で仕事をしていたそうだ。

夏の蒸し暑い日に、まだエアコンを買う金も無かったので、扇風機を回しなら、孫氏はミカン箱の上に立ち、 「我々の会社は将来、豆腐を数えるように、1兆、2兆円規模の売上を誇る会社にする。」 と檄を入れたところ、 「この人は頭がおかしい。」と、バイト生2人が翌日、会社を辞めてしまったそうだ。

それから30年。2013年の年末、東証の上場企業の時価総額ランキングで、ソフトバンクと、その関連会社、ヤフーが、堂々と2位と20位に入っている。30年の努力を経て、この日本を代表する新興企業が、大手自動車メーカーや国内メガバンクと同等の時価総額を誇るまでに成長したのだ。

起業家の “狂気” とまで言えるほどの志の高さが、この偉業を達成したのだ。目標は、現実的なレベルでは意味がない。手を伸ばせば達成できる程度の目標ならば、がむしゃらに取り組むことは無いだろう。

目標は決して簡単には達成できないくらいに高いところに設定したほうが、自分の熱狂的なヤル気が湧いてくるのだ。

そんな無茶苦茶な目標とともに、2014年は全軍突撃 (笑)するのである!

(引用)  “2013年年末時点での東証時価総額トップ企業ランキング”

1位 トヨタ      22兆1千億円
2位 ソフトバンク  11兆円
3位 三菱UFJ     9兆8千億円
4位 ホンダ       7兆6千億円
5位 三井住友FG   7兆5千億円
20位 ヤフー     3兆3千億円

 【 あんぽん 孫正義伝 】

posted by ヒデキ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月31日

Best wishes for a wonderful 2014 for you!!

CIMG3097.JPG

CIMG3099.JPG

From Nagano Prefecture, "Yatsugatake" mountains where we are visiting for family ski trip. My second son can now ski much better than I.

May I wish you a wonderful new year 2014!!
Let's believe in "MIGHTY JAPAN" (強い日本経済)" !!
「BUY MY ABENOMICS」

BULLISH !! No Doubt !

 音楽プレーやから流れてくるジャズギター、ラリー・カールトンの "Smiles and smiles to go" のメロディが美しい。心から安らぎを感じる。 それでは皆さん、素晴らしい一年をお過ごし下さい!!

 年が明けたら、 ”全軍突撃” で行きましょう(笑)!

(You Tubeからも聞けます。)
http://www.youtube.com/watch?v=cKibb-0lH1o

 【 Larry Carlton from "The Very Best of Smooth Jazz Guitar" 】



posted by ヒデキ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月28日

新天地へ !! 米金融業界に復活 !

皆さんこんばんは! 今日はお知らせがあります。

 米金融業界に復活します。実は、10月から転職活動をしていましたが、欧州系金融と米系金融2社から内定を頂き、僕の大好きな米金融業界に戻ることにしました。

 新卒からずっと外資系金融でキャリアを磨き、米系証券会社、米系銀行が長かったので、やっぱり米系金融業界がいちばん好きです。極度の緊張感、スピード、スピード、またスピード!! そして英語漬けの仕事。

 金融業界の仕事が大好きです。

 能力が無かったり、外人との相性が合わなければクビになる、とても厳しい世界。日本の労働法が適用されない世界です。クビにならないように必死で頑張ります(笑)。今からもうビクビクしていますが(笑)。。。

 ご存知の方も多いのですが、僕は昨年7月に丸の内の米銀をリストラされ、当時はギリシャショックのさなかで外資系金融にオープンポジションが全くなく、事業会社への転出を余儀なくされたのですが、再び米金融業界に復活できて嬉しいです。

 【 メイクマネー! 年収1億円 私は米国投資銀行のトレーダーだった 】


 
 
posted by ヒデキ at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

商社マンの仕事 “シェールガスに夢をかけた男たち”− 住友商事

 かつては鉄鋼産業を中心に工業都市として栄えた米国東部のペンシルバニア州ピッツバーグ。いまこの街は、廃れた鉄鋼産業に代わる新たな成長エンジンを備えようとしている。それが同市周辺に広がるマーセラス・シェールの存在だ。

 トウモロコシ畑の真ん中に約20台の巨大な作業車が現れる。住友商事が、米国の独立系石油ガス開発会社レックス・エナジーと共同で開発を進めるシェールガス田の一角だ。

 「ここは、もう間もなく生産段階に入れそうだ。」 住友商事の内池源(1995年入社)は指揮車のなかで複数のモニターを見ながらそう話した。

 ずらりと並んだ作業者の多くはポンプ車だ。太いホースで中央の機器に連結され、この機器が生産用パイプへと延びる。技術的、経済的に不可能と言われてきたシェール(頁岩)層に眠る天然ガスや石油の取り出しは、水圧破砕(フラッキング)という新技術で採掘が可能になった。

 3台のコンテナ車に積まれた種類の異なる砂と水を混ぜ合わせ、地下約2キロの地点より水平に1〜2キロ掘られた穴から、シェール層に向かって高圧で流し込む。すると岩盤に毛細血管のような割れ目ができ、そこから天然ガスが取り出せる。

 住友商事がこのプロジェクトに参画するために支払った権益取得対価は、約175億円。2010年から約10年かけて、一帯に1,100本以上の井戸を掘る。

 「共同事業者として、生産量を増やすための技術やコスト削減のノウハウを高め、知見を蓄積し、事業を発展させる。そのことが、資源の少ない日本のためになると考えています。」 (内池) 

 “400年後も尽きない”

 住友商事は400年後も尽きないと推測されているシェールガス開発に、日本企業として最も早く参画している。原動力となったひとりが、エネルギー開発部シェール事業統括チーム長の上砂卓也だった。

 米国現地法人の社長を務めていた上砂は2008年に帰国の内示を受け、ヒューストンのオフィスで悔し涙を流した。2006年に赴任したのは、メキシコ湾の海上油田プロジェクトを担うため。ところが、想定どおりの生産量が確保できておらず、仕事は撤退戦。上砂は当時の悔しさを隠さない。

 だがそんな中でも、次の一手を探していた。目についたのがシェールガス。2007年に本社にシェール開発への参入を提案するも、認知度はほとんどなく、提案は採用されなかった。

 再び機会が巡ってきたのが2009年春。リーマンショック後、米国内の天然ガス価格が低迷したことなどで、米国の石油ガス開発会社で資金需要が発生していた。独立系石油ガス開発会社から打診を受けた。

 「一緒にやらないか。」 メールをもらい、上砂はヒューストンに向かった。権益の持ち分や取得額などを半年かけて交渉した末、カリゾー社がテキサス州バーネットに持つシェールガス開発権益の12.5%を取得。

 並行して、米国進出の足がかりとなるSDRを設立した。日本企業初のシェールガス開発への参画となった。業界内で「上流権益」事業と称されるこうしたプロジェクトへの参画は、熾烈な陣取り合戦となっている。

 そんな戦場に身を置くのが、内池や入社3年目でSDRに赴任してきた福岡史明だ。福岡がヒューストンに着任したのは2013年7月、社内結婚をした直後の単身赴任だ。

 “資源開発にあこがれ入社”

 全米各地で毎日のように掘り進められている井戸の技術的な分析が福岡の任務だ。米国人技術者らとデータを読み解き、議論する。慣れない単身での生活に、専門用語が飛び交う英語での議論。だが、資源開発に憧れて入社した福岡には楽しくて仕方がない。

 「日々の分析作業が、事業の将来を左右する。米国人の技術者から学んだことを糧に、事業に貢献していきたい。」

 開発現場をより近くで見ているのがSDRピッツバーグ事業所の渡辺考だ。マーセラスのシェールガス田に頻繁に足を運び、掘削や生産の状況を確認する。現場の様子をこまめに写真に撮り、ヒューストンや日本に報告する。

 契約書や販売の管理、現場での人間関係構築などやるべきことは多い。地域特性や新たな規制の勉強も必要だ。現場の変化を、真っ先にとらえるのが任務だからだ。

 渡部は直前までインドネシアの部品関連企業に出向しており、自身を “エネルギー分野の素人” と言う。

 「数十年にわたりエネルギー事業を営んできた米国のプロたちを相手に、今の自分がどんな価値を創造・提供できるのか、常に自問自答しています。ただ、世界を変えると言われるエネルギー革命の真っただ中にいられるのは幸せです。」

 シェールガス革命は、日本経済や日本人の生活をも変える可能性がある。その起爆剤が、シェール革命で天然ガス輸出国になる米国からのLNG(液化天然ガス) 輸出プロジェクトだ。

 LNGは、日本国内の火力発電の燃料の多くを占める。福島第一原発事故以来、LNGの輸入量は増大し、貿易赤字の主因にもなっている。

 米国から新たにLNGの安定供給が確約される意味は大きい。現在、米国の天然ガス価格は100万BTUあたり4ドル以下まで下落している。

 一方、日本のLNG輸入価格は、同15ドル以上で高止まりしている。この輸入価格は、売り主からは “アジアプレミアム” と呼ばれている。

 2013年、米エネルギー省はコーブポイントLNG基地(メリーランド州) のプロジェクトに輸出の許可を出した。住友商事が取り組んできたプロジェクトだ。

 ヒューストン中心部から北へ車で30分も走ると、緑の森におおわれた町、ザ・ウッドランズに至る。ミッチェル社の創業者、シェールガスの産みの親、故ジョージ・ミッチェルが中心となってつくり上げた 「シェールゆかりの地」 だ。

 「私らの執念ディールですよ。」 この街で住友商事の北米LNG事業を統括するPSEの社長、林和利はそう語る。石油事業などに比べるとLNG事業は参入障壁が高く、先輩たちの苦労を見てきた。

 「皆、夢をもって取り組んできた。その夢を私はかなえたい。」

 ( 引用: 就活生必読!  住友商事 by AERA  − 全力世界)


 

  住友商事が “全力世界” を掲げ採用活動を開始
http://www.advertimes.com/20131204/article137535/
posted by ヒデキ at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

アメリカ金融界の名物男たち (2) 

 以前、掲載しました ”ウォール街 悪の巣窟 (1)” を改題し、アメリカ金融界の名物男たちをシリーズで連載していきます。 

 1986年、ウォール街がM&Aブームで狂乱景気の時代だった頃、米金融界のスタープレーヤーたちがインサイダー取引で次々と投獄された時期がありました。

 栄光と暗転のドラマがダイナミックに繰り広げられたウォール街。マイケル・ダグラス主演の映画 『ウォール街』 がブームとなったのもこの頃です。

 マーティン・シーゲル − キダー・ピーボディ証券の看板的存在で、ウォール街きってのM&Aプレーヤー、ハーバード・ビジネススクールを出た後、二流証券の向こう見ずな利益至上主義のもと、M&Aのスタープレイヤーとしてディールを動かす。ドレクセル・バーナムに移籍したのち、インサイダー取引に走る。

 デニス・レビン − リーマン・ブラザーズ証券からドレクセル・バーナム・ランベール証券に移り、がつがつした割には能無しと称されたユダヤ人のレビンは、どこか間の抜けたところがあった。シティカレッジしか出ておらず、学歴こそないが二流ビジネスマンの情熱でM&Aのスタープレイヤーに喰いこんでいくものの、インサイダー取引で真っ先に捕まる。

 マイケル・ミルケン − ドレクセル・バーナム・ランベール証券常務。ペンシルバニア州立大ウォートン校(MBA)でジャンク債 (低格付けの高利回り企業債券)の研究をきっかけにアメリカにジャンク債市場を創設し、 ”国力の源“ とまで呼ばれる。当時としては全米最高の年収600億円を誇るものの、インサイダー取引で投獄される。

 アイバン・ボウスキー − 映画 『ウォール街』のモデルとなった人物。カリフォルニア大学バークレイ校の卒業式で 「Greed is right (どん欲は正義だ)」 の名セリフを吐いた。M&Aのサヤ取り業者で、部下を怒鳴りちらし、過酷な労働を課しながらIFBコープを経営するも、最後はインサイダー取引で投獄される。

 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 
 

 すべて1986年5月11日のことだった。キダー・ピーボディ証券からドレクセル・バーナム・ランベール証券に移ったマーチン・シーゲルは、ワシントンのナショナル空港の電話ボックスにかけこんだ。

 電話ボックスは彼にとってオフィスそのもので、おまけに仕事にかまけて女房や子供とも、しばらくご無沙汰だったようだ。それでも、アメリカきってのM&Aスペシャリストということで、強烈なプレッシャーだけは人一倍感じながらも、しっかり稼いでいたことは確かだ。

 ドレクセル、この会社もパワフルなジャンク債の帝国になっていた。ここを足がかりにシーゲルは、もっと大きなスターの座を手中にするはずだった。

電話で相場の動きを打診すると、秘書のキャシーがニュースのヘッドラインを読み上げる。

 『 SEC、インサイダー取引でドレクセル・バーナムの役員を告発。 』
 「 ひどい! デニスだわ! デニス・レビンじゃないの! 逮捕されたなんて! 」
 とキャシーは電話口で叫んだ。

 それを聞いて、自分のほぼ完ぺきな世界が崩れ去っていくのをシーゲルは感じた。彼が人生のすべてをかけて築き上げてきたもの、そのすべてが、いままさに崩れていこうとしていた。

 キダー・ピーボディ証券から転身して得た8億4千万円の給与、4億8千万円のボーナス、コネティカットに買ったビーチ沿いの家、専用のテニス・コート、プール、マンハッタンの広いアパート、ヘリコプターでの通勤、新聞をにぎわせるほどの実績。。。

 濡れ手にアワのようなM&Aの世界、そこで蓄積したノウハウをマイケル・ミルケンのジャンク債帝国で発揮するはずだった。サヤ取り (M&Aのニュースが発表された後、買収される側の会社の株を買い、買収する側の会社の株を売ってサヤを稼ぐ取引) のプロフェッショナル、アイバン・ボウスキーの顔が頭に浮かぶ。

 シーゲルにとっての良き友人、そしてなにより世間の注目を集めた男だ。恐怖感が体に走る。奴に殺されていたかもしれない、と思ったからだ。

 デニス・レビンは隣の部屋の同僚だ。「彼が逮捕された。」 汗がどっと噴き出してくる。銃口が目の前にあり、その銃口が頭に当てられる。。。だが、幸運にも弾はそれて、レビンに当たる。

 肥満で欲が深く、がつがつしている割には能無しのレビンに。

 “ その日のマイケル・ミルケン ”

 場面は変わって、ドレクセル・バーナム・ランベール証券のビバリーヒルズ支店。ちょうど正午前で、トレーディング・フロアもあわただしい雰囲気だった。そこにはマイケル・ミルケンの姿があった。

 彼の代名詞ともいえるX形をしたトレーディング・デスクの中央にミルケンが座り、放射状に広がる形で部下が取り囲んでいた。彼はスクリーンを調べたかと思うと、一度に二台の電話機に手を伸ばし、受話器を取った。

 そこはまさしくミルケンが築き上げたジャンク・ボンド帝国の本丸であった。その数週間前、デニス・レビンは大成功をおさめたジャンク債のセミナー 「プレデターズ・ボール」 で、午前中のM&Aのセッションのホスト役を務めていた。

 ミルケンはニュース速報をいちべつすると、何事もなかったかのように再び仕事に取りかかったという。

 “ (2) その日のアイバン・ボウスキー”

 こちらはお馴染みのアイバン・ボウスキーだ。映画 『ウォール街』のモデルとなった人物。カリフォルニア大学バークレイ校の卒業式で 「Greed is right (どん欲は正義だ)」 の名セリフを吐いた、ガツガツしたM&Aのサヤ取り業者(企業のM&A買収・合併のニュースで割安にされた株を買い、割高の方の株を売る)。

 ニューヨーク、5番街のオフィスで開かれた記者会見を終えたボウスキーは、部下数名をひき連れてホールを抜けるところだった。そこにトレーダーの一人がニュースの紙切れを振りながらかけつけ、ボウスキーに向かって叫んだ。

 「デニス・レビンが逮捕された。」 「デニス? 誰のことだ。」 「レビンだよ、ほら、ここに奴の記事がある。」 それをさっと読みあげたボウスキーは、紙きれをつきかえし、こう言ったという。

 「さあ、聞いたことがないね。」そして、また軽快な足取りに戻ると、その場を去ったという。

 デニス・レビンは小物だ。インサイダー取引で儲けたといっても、その額は12億6千万円程度だ。これに対してアイバン・ボウスキーは、罰金と没収額だけでも100億円を超えている。それまでいったいどれだけ儲けていたのだろうか?

 マイケル・ミルケンの罪は複雑怪奇で単なるインサイダー取引の域をこえている。1986年の彼の年収は、ウォール街一の600億円だったのだ。最終的にミルケンは5件の訴因を認め、600億円の支払いに合意している。

 そして、ここに出てくるゴールデン・エイティーズ (ウォール街の黄金時代)の主役たちは、全員がグルとなっている。

 “ウォール街の主役たち – 美青年マーティン・シーゲル”

 1971年といえばベトナム北爆がまっ盛りで、ピースニックの若者たちが体制派を相手に荒れ狂っていた頃だ。優秀な学生のなかでウォール街やビジネススクール(経営大学院)に目を向ける若者などいなかった。

 マーティン・シーゲルは違っていた。ハーバード・ビジネススクールをトップクラスの成績で卒業したシーゲルは、大手証券22社の求人に応募した。そして全社が彼に関心を示した。完全な売り手市場だ。一流中の一流、ソロモン・ブラザーズ証券、ファースト・ボストン、モルガン・スタンレー、メリル・リンチ。シーゲルほどの人材なら、どんな会社も採用したいと思うに違いない。

 その当時、依然としてユダヤ系に対する風当たりは金融界では良くなかった。だが、次第にゴールドマン・サックス証券やクーン・ローブなどのユダヤ系証券会社がウォール街でも認知されるようになり、証券界はユダヤ系とワスプ系 (White Anglo Saxon Protestant; 白人・英米系・プロテスタント教徒) に分かれていく。

 彼は選択肢をゴールドマン、シェアソン、キダー・ピーボディ証券の3社に絞った。シェアソンが示した初任給の半分しかなく、一流の後塵を拝していたキダー・ピーボディを選ぶことになる。

 しかも、法人金融部門ではキダー創立以来初のユダヤ人となる。

 二流証券にもそれなりの良さがあった。というより、二番煎じの割には、そのハイクラスで貴族的なイメージ、クライアントの質の好さ、そして、二番煎じだからこそ、トップに登りつめるのだって夢ではない。

 そんな野心がシーゲルに芽生えたのだ。

 マーティン・シーゲルの家は裕福ではなかった。彼の父親は貧しい靴屋で、1970年頃には大手チェーン店につぶされかかっていた。ボストンの郊外、ナディックという街で育った彼は、馬車馬のように働く父の後ろ姿を見て育っている。

 スポーツも不得意でひ弱だったシーゲルは、高校に入る頃からめきめきと頭角をあらわし、家族の中で初めて学士となる。そして、化学の修士をめざすものの、無名の化学者で終わる貧乏くさい職歴に見切りをつけ、ハーバード大ビジネススクールに進路を転換する。

 シーゲルがキダー・ピーボディ証券に就職すると、M&Aの仕事に就く。そしてまもなく、ワスプ系の証券会社の多くがユダヤ人に仕事を振ってくるようになる。最初の仕事は株主保護の新しい条項を盛り込んだウィリアムズ法が成立してからだ。

 この仕事でシーゲルは男を上げ、社内用にM&Aの入門書を書きあげる頃には周囲の注目を集め、AVP (アシスタント・バイス・プレジデント) となる。入社してわずか2年目のことだ。

 こうしてシーゲルの出世ははじまる。だが、相変わらず父親の商売はジリ貧で、シーゲルもほぼ毎週、ボストンに帰郷し、父親の面倒を見ていた。47歳にして文無しになった父親は、その後、自宅の修繕業をはじめ、最後にはシアーズ店舗でスレート売りをするところまで落ちぶれる。

 悪いことは重なるもので、女房のジャニスとの関係も、この頃から悪くなる。オペラで成功を収めたジャニスは、音楽の道を追い求めることになり、二人は結局、別離を選択することになる。

 父親が味わった不幸が自分の身にもふりかかるかもしれない。そんな悪い予感がシーゲルにつきまとった。 「一文無しになってたまるか。」そう彼は誓った。

 ボロボロになった境遇をバネに、シーゲルは仕事に没頭していった。週100時間働くことも始終あった。

 (つづく) 

お見合いパーティー・婚活パーティー・合コン・街コン・楽しいイベント盛りだくさん!


 【 引用: ウォール街 悪の巣窟 】

posted by ヒデキ at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

『 2014年、中国経済の抱えるリスクについて 』

 皆さんこんばんは! 経済調査部門からのお知らせです! 

  2013年に世界中を騒がせ、土壇場で解決した米国の債務上限引き上げ問題(アメリカによる借金踏み倒し騒動) は、来年度もソフトランディングできるメドがついたということが市場関係者のあいだで織り込まれました。

 来年に入って世界の金融市場に大きな影響をもたらす可能性が高いのが中国経済の抱える爆弾です。焦点を主に3点にしぼると;

 @ 中国政府から出てくる経済統計、GDP伸び率、電力消費、消費者動向指数などがいっこうに伸びない。不動産バブルの後始末で、一層の経済成長など、臨む余裕がない。

 A 政治リスク。中国共産党政府は、地方の少数民族の暴動をコントロールできるのか。『天安門事件』級の国際問題に発展しないのか。外国資本がいっせいに逃げ出す兆候が出てこないか。

 B 環境汚染問題の悪化とともに、外国資本の逃避がじわじわとボディブローのように効き、実体経済の規模を縮小させないか。(すでにドイツ系企業は駐在員の海外逃避をはじめている。)また、市民の消費マインド減退により国内消費経済の縮小につながらないか。

  これら要因の1つないし2つが重なると、ある日どこかのタイミングで突然、為替市場や株式市場が変調をきたし、ドル高、円高、NYダウ暴落、日本株の暴落など、金融市場のかく乱要因になりかねません。

 市場関係者は、中国から出てくるニュースを慎重に見たほうが良いでしょう。市場変調の第一報は、為替レートの変動にまず現れますから、為替相場をウォッチすることで兆候をつかむことができるかもしれません。

 本日、大前研一が中国の動向に関するリポートを出しておりますので、下記にシェアします。 

 “ 中国が抱える問題。汚染大国、汚職大国としての中国 ”

 中国中央気象台の公式サイトによると中国・中央気象台の公式サイトによると、12月に入って、中国の中・東部地域は広範囲にわたってスモッグが発生。

 濃霧注意報を出した4日には、多くの地域で汚染レベルが4〜5級。局地的に6級という最重度汚染のレベルに達したとのこと。今週はソウルでも視界が500メートル以下になり、上海、南京、広州でもPM2.5の影響でかなりひどい事態になっています。

 韓国は遠慮していて、中国に強く文句を言っていない様子に見えます。いずれにせよ、今の中国は1970年代の日本と同様、完全に汚染国家なのです。

 中国共産党中央政治局常務委員会の前のメンバーで、石油閥の重鎮・周永康氏について、習近平指導部が汚職などの容疑で本人と周辺への調査に乗り出したことが、7日明らかになりました。

 中国共産党には、政治局常務委員の経験者は摘発しないという不文律がありましたが、今後周氏への本格追求を公にした場合、党の権威が失墜し、権力闘争に再び火をつけかねないことから指導部は事件の取り扱いと公表の是非を慎重に判断するとのことです。

 これは完全に権力闘争です。軍、鉄道、エネルギー、石油などの利権を持つ江沢民一派への対抗です。

 習近平氏は、すでに鉄道利権についてはメスを入れて、1兆円規模の汚職を明らかにしました。そこから、さらに石油利権も引き剥がしにかかっているのでしょう。

 汚職の規模は大きなものでしょうから、上手く国民に伝えることができれば、支持を得られると思いますが、気をつけなければいけないのは、返す刀で自らも切られるリスクがあるということです。

 習近平氏にしても、李克強氏にしても、誰もが脛に傷がある存在です。推進するのなら、迅速に行うことが重要だと思います。薄熙来氏も、胡錦濤氏なども情報源としていち早く抑えられたのだと 私は見ています。ここから先は、それほど時間的な猶予はないでしょう。

( 引用: 大前研一ニュースレター) 
posted by ヒデキ at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする