2015年02月22日

伝説の経営者たち マーク・ザッカ−バーグ (5) Facebook創業者

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『  “若い間に高く上がれ”

  パソコンとインターネットの登場で世界は劇的に変わった。
 それは、フェイスブックの登場でさらに進化している。フェイスブックは世界中の人々がさまざまな問題や提案、抗議などを自由に持ち込める広場となっている。ほんの何年か前、そんなことは絶対に不可能だった。

 1955年生まれのスティーブ・ジョブズの子供時代、巨大メディアはテレビと新聞しかなかった。ジョブズはテレビを最も有害なテクノロジーだと断じ、 「テレビを見ていると、僕たちをアホウにしようとする愚民化のための手段だと感じた。」 と話している。

 それに対してコンピューターは、人類がつくり出した最高の発明品だと受け止め、創造力や思考力を育む力を予感している。それが、スティーブ・ジョブズがパソコンづくりにのめり込んだ理由になっている。

 ザッカ−バーグも、自分が若い学生だったことがフェイスブックの成功につながったと考えているようだ。

 「 僕はこんなふうに考えたんだ。みんな僕と同じ大学生だ。だから、自分に面白いものはみんなにも面白くて便利なものになるんじゃないなって。 」

 経験が多すぎるとイノベーション (新機軸) は起きにくくなると言われる。確かに、巨大な歴史的転換は、若者がになうことがしばしばだ。

 ザッカ−バーグが競合他社から大金を積まれてもフェイスブックを売らなかったのは、そんなことをすればビジネス(商売の道具)になって面白さがなくなってしまうと危惧したからだ。大切なのは、 “面白い” “クールだ” “みんなが便利がっている” “何かを変えている” という感覚だったのだ。

 やがて、面白さ、クールさの追求から少しずつ世界を変えることを意識するようになり、有用さや運営方法を考えるようになっていくのだが、それでも根底にある若さの感覚は維持されているように見える。

 ザッカ−バーグが尊敬するスティーブ・ジョブズも若い成功者であり、そのイメージを持続させているカリスマだ。

 大学も出ていない(中退)、お金も経験もない21歳の若者がわずか1,000ドルの資金で会社をつくり、巨大企業IBMの支配するコンピュータの世界で、人々の生活を一変させる “パソコン市場” をつくり、会社を上場させ、240億円を超える資産を手に入れる。

 アップルに若さ、カッコよさ、開拓者、挑戦者的なイメージが生まれるのは当然のことであり、それが “アップルはクールだ” というブランドイメージにつながっていったのだ。

 ちなみに、かつてのライバルであるマイスペースの創業者の一人、トム・アンダーソンは、弱冠14歳だった1985年に、ある銀行へのハッキングで名を馳せた人物だったという。だが、2003年にマイスペースを創業した時には、すで30代になっていた。

 にもかかわらず、アンダーソンのプロフィールには 「20代で創業した」 と謳っていた。テクノロジーの世界では、若くして創業した方がクールなのだ。
 
 “徹底的にまねれば徹底した人間になれる”

 成功した人間にはたいていロールモデルがいる。IT業界の成功者には 「孤高」 「独裁的」 といったイメージがあるが、そうとも言えない。旧世代カリスマを手本に新世代が育ち、新世代天才に学んで次世代開拓者があらわれるというサイクルがあるのだ。

 その見えないサイクルに入ることが大切だ。フェイスブックが揺るぎない地位を確立しつつあった23歳の頃、ザッカ−バーグは、シリコンバレーの若きCEOとしてどのように経営にあたっているのかと聞かれ、スティーブ・ジョブズを引きあいにこう答えた。

 「あるインタビューでジョブズが言っていた。“こんなことを続けていくには、心の底からやるんだと思い込め。そうでなければやりとげる甲斐が無い。” と。」 

 フェイスブックの発展は、道なき道の連続だった。実名主義を貫き、次々と機能を加えていく。何千万人、何億人ものユーザーを抱えていても、成長を続けなければライバルに取って代わられてしまう。

 そのストレスは20代のザッカ−バーグにとってはかなりの重圧だっただろうが、それを重荷と感じるようではやっていけない。すさまじいまでの情熱だけが頼りだ。そして情熱の手本が、ジョブズだったのだ。

 猛烈な働き方が伝説と化しているマッキントッシュ開発プロジェクトでは、
「 週90時間、喜んで働こう 」 が合言葉だった。アップルの仲間はこう回顧している。

 「僕も含めて、開発チームの連中はみんな、あの当時が自分のキャリアの絶頂期だったと言うだろうね。僕らは毎週7日間、毎日14時間から18時間ぶっ続けで働いた。2年も3年も。仕事が生活だった。でも、みんなそれを楽しんでいた。」

 チームメンバーはジョブズに働かされているのではない。自分から働く気になっている。ジョブズのやけどしそうな熱いビジョンに伝染し、テンションが猛烈に高まっている。それが何年も続くところがすさまじい。

 もちろん、単純に熱狂していたのではない。
「 月に一度しかないコンパスを頼りにジャングルを歩くようなものだった。行く先は川なのか山なのか、蛇の巣なのか。いつか金の壺が見つかると思っていたが、それが偽物じゃない保証はどこにもなかった。」

 過酷な労働と先の見えない不安の中で、それでも前進ができたのは、情熱があったからだった。

 「 情熱がたっぷりなければ生き残れない。それがないと人はあきらめてしまう。情熱を傾けられるアイデアや問題を持とう。正したいと思う誤りでもよい。でないと、こだわり続ける忍耐力が持てない。我慢さえできれば、うまくいったも同然なのだ。 」

 ザッカ−バーグはこういう人物を尊敬し、自分のロールモデルとしていたのだ。

 “リーダーの3つの資質”

 ザッカ−バーグの師はジョブズだが、反面教師にはナップスターの共同創業者、ショーン・パーカーがいた。ザッカ−バーグとパーカーは2004年にパロアルト研究所 (PARC) で出会い、互いに強く引かれ合った。

 ザッカ−バーグは経験豊富なパーカーをフェイスブックの社長に任命し、これが企業としてのフェイスブック発展の契機になるのだ。

 だが、パーカーはすぐれたものを作りだす天才ではあったが、経営者としてはナップスター、そしてオンラインアドレスブックサービス会社のプラクソと、2度までも自分で創業した会社を追い出されている。

 パーカーは何週間も会社に泊まり込み、ぶっ続けで働いて大プロジェクトを実現する。また、素晴らしい才能を発揮して会社を立ち上げる。そこまでは天才的なのだが、いったんつくり上げてしまうと急に情熱がさめてしまうのだ。

 何日も会社に顔を出さなくなる。製品の改善や修正にも興味を示さない。当然、投資家とトラブルになる。こうしてナップスターやプラクソを追放されたのだ。

 フェイスブックでも、パーカーの気まぐれさが顔を出すようになっていた。情熱を維持できなければ、成長企業の社長を務められない。

 2005年、パーカーは社名を 「ザ・フェイスブック」 から 「フェイスブック」 に改めたのを機に、会社を去ることになった。

 とはいえ、パーカーはザッカ−バーグにさまざまなことを教え、導いた人物であり、リーダーたる資質も持ち合わせていた。

 資質の一つは、頭の中に常にロジックツリーのような複数の選択肢が存在していて、計画が狂っても 「ならばこちらを」 とすぐに対処ができたのだ。

 二つ目は、凝り深さである。フェイスブックの急成長を楽しむ一方で、一時的なブームが去ってしまわないかと冷静に見つめていたことが成功につながったという。

 “あこがれの街に明日が待つ”

 ザッカ−バーグはハーバードの学生としてボストンにいた頃、尊敬するジョブズの軌跡をたどるために 「聖地巡礼」 までしている。しかも、巡礼先がフェイスブックの本部所在地になったのだから恐れ入る。

 まず、カリフォルニア州シリコンバレーだ。2004年1月、フェイスブックを立ち上げる1か月前に初めて訪ねた。先端テクノロジー企業の多くが本拠を置く地だ。アップル、シスコ、グーグル、ヤフー、インテル、アドビシステムズ、ヒューレット・パッカード、ナショナル・セミコンダクター。国道101号線を走っていると、著名の企業が次々と目に入る。

 「 僕たちの会社をつくってやる。今回は多分無理だろう。けれど、いつの日か必ず自分の会社を立ち上げてみせる。」 テクノロジーの天才たちの聖地だったシリコンバレーに足を踏み入れた
19歳のザッカ−バーグは心に誓った。 』

【 引用: マーク・ザッカ-バーグ 史上最速の仕事術 】





posted by ヒデキ at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の経営者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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