2014年11月01日

伝説の経営者たち マーク・ザッカ−バーグ (2) Facebook創業者

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 「省略」すると「消化」が早い

  ザッカ−バーグのスピード感覚は、フェイスブックの立ち上げに発揮されただけではない。フェイスブック自体が、素早く使えるようにつくられていた。ユーザー登録が簡単だった。写真を一枚アップロードして、ちょっとしたプロフィールを載せるだけなのだ。

 ザッカ−バーグがハーバード大学の学生寮でフェイスブックをつくり始めた時に関心があったのは、うまく動くことだった。みんなが面白いと感じることだった。

 「課題は何といってもうまく動くサイトであること。見栄えとか恰好がいいとかデザイン的なものにはあまり興味がなかった。」

 誰でもたやすくアクセスできること、ストレスなく使えることを最重要視するのは、ザッカ−バーグの時間感覚のあらわれだと言える。多くの機能がごちゃごちゃ詰め込まれていては、アクセスだけでも時間を食う。そんなものは無用だった。

 「ごちゃごちゃした」 ものの一つに、ハーバード大学の上級生だったアーロン・グリーンスパンが開発した 「ハウスシステム」 がある。大学寮の学生向け情報交換サービスで、自分の写真を載せられる 「ユニバーサルフェイスブック」 という機能まである巨大システムだった。

 グリーンスパンは下級生であるザッカ−バーグと接触した時に 「僕のハウスシステムに、君のプロジェクトの何かを入れてあげるよ」 と提案した。だが、答えはノーだった。

 大切なのは機能をそぎ落とすことである。機能を追加することではない。どんなにすぐれた製品でも、使い方が煩雑で難しければ役立たない。ザッカ−バーグはそう考え、グリーンスパンとたもとを分かち、シンプルかつ最高の製品をめざしたのだ。

 フェイスブックはアイビーリーグ(米東海岸の有名7大学、東京六大学に相当) にサービスを拡げた時にもまたたく間にユーザーを得たが、その理由の一つは、説明など受けなくてもだれでも簡単に使えるシンプルさだった。

 “本当の価値は 「もう削れない」 ときにあわられる”

 製品が成功するキーワードとして「シンプルさ」 をあげる人は多い。ザッカ−バーグが大きな影響を受けたアップル創業者でCEOだったスティーブ・ジョブズがそうである。

 ジョブズがパソコンの名機マッキントッシュをつくっていた時に考えていたのは、
「本当の美しさはつけ加えるものがなくなった時ではなく、そぎ落とすものがなくなった時にあらわれる」 ということだった。

 ジョブズは自分が創業したアップルを10年あまり追放されたあと復帰するという浮沈を経験しているが、復帰後も 「集中と簡潔」 というモットーは変わらなかった。自分の不在中に製品が複雑化し、ラインナップも増え、組織も肥大化して赤字に陥っていたアップルを再建するためにやったことは、ノーを連発することだった。

 削ることで、製品をシンプルにし、ラインナップはすぐれた売れ筋製品に絞り込み、組織はフラット化する。

 こうして身軽になったアップルはスピーディに動けるようになり、短期間で復活する。そしてiPod, iPhone, iPadという世界的ヒットを生み出すのだ。

 こういうシンプルさのDNAを、ザッカ−バーグも受け継いでいるのだろう。

 “小さく始めて大きくまとめる”


 ザッカ−バーグにとって、フェイスブックは最初、たくさん手がけているプロジェクトの一つにすぎなかった。世界を透明でオープンにするという壮大なビジョンを持っていたわけではない。

 あくまでもハーバード大学学内用だった。友人たちが不満に陥ることなく交流を楽しみ、やや内気な自分も人間関係に大胆になれる。それくらいに考えていた。

 実際、ザッカ−バーグはフェイスブックの運営を行いながらも授業に出ているし、並行して音楽やビデオなどのファイル共有ソフト 「ワイヤーホグ」 も開発していた。フェイスブックが面白い展開になっているとは感じていたが、絶対に成功する確信は持てなかったからである。

  「次にやるべき大きなことが何かなんてわからない。僕のやり方は、大きなものをつくるんじゃなくて、小さなプロジェクトを積み重ねていって、最後に一緒にすることなんだ。」


 “勝負は走り始めてから。”

 確かに、大きなことをなしとげた人は、みんながみんな最初から壮大なビジョンを目指していたわけではない。やっていることが未来にどんな結果をもたらすかなど、そう簡単にわかるものではないのだ。

 ただ、彼らがすごいのは、小さなところからあと先かまわずスタートしても、ある時期に 「これはいける」 「すごいものになる」 と感じた瞬間から一直線に突き進むところだ。

 感じる瞬間が人よりはるかに早く、感じたら猛烈にギアチェンジすることが、成功者の共通点である。

 それまでは単に周囲をハラハラさせるだけの人間だと言えるかもしれない。たとえば、アップル共同創業者の一人、スティーブ・ウォズニアックがそうだ。

 歴史的なパソコンであるアップルTをつくっていた時も、ジョブズと同様に、コンピュータオタクに何百台か売れればいいくらいに考えていて周囲をやきもきさせた。

 パソコン市場を創造したと言えるアップルUの開発中も、ウォズニアックがあまりにマーケティングに無知なのにあきれたベンチャーキャピタリストが、CEO候補を必死で探して紹介したりしている。

 ザッカ−バーグも、当初はワイヤーホグが完成すればフェイスブックにつなぐつもりだった。しかし、やがてワイヤーホグなどの小さなプロジェクトをやめ、フェイスブックに本気で取り組むようになっている。

 心境の変化は、そう劇的でもなかったようだ。

 共同創業者のダスティン・モコヴィッツが 「あたらしい大学を開拓したよ」 と報告すると 「よし、次を開拓しよう。」 と考え、別の大学で別のSNSサービスの提供が始まると聞けば、 「阻止しよう」 と乗り出すなど現場で動いていく中で、自分のやっていることのすごさに徐々に気づいたのが実情だ。

 ただし、いったん目覚めると、「ならば世界を変えよう」 とビジョンを高め、猛烈に集中し、急成長させた。

 たぶん、それがスピードの本質だ。最初からエンジン全開の成功話など神話にすぎない。

 “普通なら休む時も、普通に歩こう”

 何かをなしとげた人間には二つの生き方が用意されている。一つは成功に満足し、ゆっくり休む生き方だ。次の展開は、腰を落ち着けて模索すればいい。この道を選ぶ人は、人生を楽しめるだろう。しかし、世の中は甘くない。休養中に忘れ去られ、復活はおぼつかない例が多い。

 もう一つは、成功に甘んじることなく、次を目ざしてさらに加速して生きる生き方だ。この道はけわしい。しかし、選ぶ人は、世界を変えられる可能性がある。

 ザッカ−バーグはもちろん後者である。高校時代につくった 「シナプス」 に100万ドルの値がついたのを皮切りに、フェイスブックを立ち上げてからも、ザッカ−バーグのもとにはさまざまな買収話が持ちかけられた。乗れば莫大なお金が得られ、若くして生涯を保証された自由気ままな生活を手にすることも可能だった。

 しかし、ザッカ−バーグはどんな提案にも乗ることはなかった。2004年のフェイスブック誕生から4か月後には、早くもある投資家が1,000万ドルという金額を提示している。だが、何の関心も示さなかった。

 2005年には、MTVやパラマウント映画を擁する米国のメディアグループ、バイアコムが7,500万ドル(約75億円)での買収を提案した。当時のフェイスブックの売上は、わずか100万ドル(約1億円)。破格中の破格と言えたが、これも蹴っている。

 2006年にはヤフーが何と10億ドル(約1,000億円)での買収をオファーするが、これにも応じなかった。もちろん、買収ではなく投資なら当然受け入れる。

 2005年にベンチャー・キャピタルのアクセル・パートナーズが、フェイスブックの評価額を9,800万ドル(約98億円)と算出し、1,270万ドルの投資を提案した時は乗っている。2007年にマイクロソフトが2億4,000万ドルを出資した時もそうだ。

 要するにザッカ−バーグは会社を売る気などないのだ。こう言明している。

 「会社を手放すほど仕事に退屈していない。僕が退屈するのは、まだまだ先のことだよ。」
 そして、フェイスブックを始めた動機について、こう語っている。

 「僕はまだほんの子供にすぎない。だからすぐに退屈してしまう。でも、コンピュータには熱くなれる。」

 フェイスブックは心底熱くなれる生涯最高のアイデアなのだ。手放して富を手に入れ、自由気ままという名の退屈な人生を送るなどばかばかしい。退屈する暇もないほど仕事に没頭したいのがザッカ−バーグという人間なのである。

“つくる人にこそツキは来る”

 ザッカ−バーグが早熟の天才だったことは疑いない。父親エドワードが歯科医、母親カレンが元精神科医という家庭に育った彼は、幼少期からコンピュータの才能を発揮した。

 息子の才能のすさまじさに驚いた両親は、あるソフトウェア開発者を家庭教師として雇い、週一回のレッスンを受けさせた。その家庭教師は、当時11歳だったザッカ−バーグを 「まさに神童だった。」 と回顧している。

 父親はまた、近所にある大学院生向けコンピュータ講座にザッカ−バーグを連れていったりもした。講師は最初、「お子さん連れですか? うるさくされると困るんですが。」と難色を示したが、講義を受けるのが父親ではなく、まだ幼い子供だと知って卒倒しそうになった。

 やがてザッカ−バーグはプログラミングの技術を身につける。同時にさまざまなものをつくり始めた。中学生の頃には父親の歯科医院のために、患者の来院を告げるソフトを開発した。自宅と病院をつなぐ 「ザックネット」 というもので、当時を振り返ってこう話している。

 「ものをつくることが大好きだった。で、プログラムに強くなれば、もっとソフトを書けることに気がついたんだ。」 

 天才にもタイプがある。早熟の天才と、徐々に天才を発揮していくタイプだ。物理学者のアインシュタインなどは後者である。幼い頃はむしろ愚鈍で、ギナジウム(ドイツの教育機関) は中退、意に沿わぬ特許局勤務を余儀なくされる。

 しかし “奇跡の年” と呼ばれる1905年、26歳のときに特殊相対性理論を含む3つの論文を立て続けに発表、それまでの物理学の体系を一瞬で変えてしまうのである。

 アインシュタインのように理論を構築する分野では、天与の才の発揮までにある程度の時間を要するのだ。
 それに対してザッカ−バーグの才能はプログラミングにある。いわば、ものをつくる分野である。多くの天才芸術家が幼い頃から神童ぶりを示すように、早熟なのは当然だったかもしれない。

 “ものをつくればお金はついて来る”

 ザッカ−バーグは、友人たちに 「こんなものがほしい」 と言われると、要望に応じて、実際に使える複雑なゲームをつくり上げたりもしている。たとえば、「ローマ帝国時代の対戦ゲーム」 といったものだ。

 自分でそのゲームをして、自分でつくったキャラクター、ユリウス・カエサルに連敗したりしているのが面白い。

 こうしたものづくりの延長として、高校時代には友人アダム・ダンジェロと音楽再生ソフト 「シナプス」 を立ち上げている。マイクロソフトなどが100万ドルの値をつけたといわれるほど完成度の高い製品だった。

 だが、お金にさほど興味のないザッカ−バーグは、そういうビジネスには反応しなかった。お金よりも
「次におもしろいことは?」 という方向に進むのが天才の天才たるゆえんでもある。

 人が喜ぶ面白いことを追い求めるのは、ザッカ−バーグの資質の一つだ。ハーバード大学に入ってすぐにつくった講義情報ソフト 「コースマッチ」 や、物議をかもした「フェイスマッシュ」、ほかの10種類にも及ぶプロジェクトも、ビジネスではなく趣味だった。

 そして趣味とは、人を喜ばせることだった。小さなサービスを提供して、人と人とをつなげて楽しむわけだ。そんなことが手軽にできるのは、自分でつくれるからである。構想し、人を説得し、資金を集め、設計図を書いてもらい、試作品をつくってもらい・・・といった手順を踏んでいくのではスピード化は困難だ。

 望ましいのは、ザッカ−バーグのように自分でつくってしまうことである。パソコンは、それが自由にできる最高の舞台だった。

 (つづく)

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 【 引用: マーク・ザッカ-バーグ 史上最速の仕事術 】




posted by ヒデキ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の経営者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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