2014年03月02日

フェイスブックに2兆円で買われた男 波乱の半生

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You Tube で聞けます。http://www.youtube.com/watch?v=rCeKpzyS-sk 】

 2014年2月19日、米ワッツアップ創業者のヤン・クーム(37歳)は、同社を米フェイスブックに190億ドル(約1兆9400億円)で売却する契約に署名するのに、思い入れのある場所を選んだ。

 共同創業者のブライアン・アクトン、ベンチャー・キャピタリストのジム・ゲッツとともに赴いたのは、マウンテンビュー市にあるワッツアップの質素な本社から数ブロック先の、線路を超えたところにあるひとけのない白い建物だ。かつてノースカウンティ社会福祉事務所が入居し、生活保護受給者向けの食料配給券を受け取るためにクームが並んだ場所である。

 3人はここでスマートフォン向け人気メッセージアプリを運用する同社(とはいえ昨年の売上高はわずか2000万ドル)を、世界最大の交流サイト(SNS)に売却する合意書に署名した。

 フォーブスによると、クームはワッツアップ株の45%を保有しているとされ、今回の売却で突如として68億ドル(約6800億円、税引き後)を手に入れたことになる。

 クームはウクライナの首都キエフ郊外の小さな村で、専業主婦の母親と病院や学校の建設管理者をしていた父親の一人息子として生まれ育った。家ではお湯が使えず、両親は国による盗聴を恐れてめったに電話を使わなかった。ひどい環境のようだが、クームは今でも当時の田舎暮らしを懐かしみ、それは騒々しい広告をかたくなに拒否する大きな理由の一つとなっている。

 必死で生活費を稼いだ母と子

 16歳のとき、ウクライナでの政治的混乱と反ユダヤ主義の高まりを受けて、クームは母親とともにカリフォルニア州マウンテンビューに移住してきた。そして政府の支援を受け、寝室2間の小さなアパートに落ち着いた。父親とはとうとう合流できなかった。母親は米国で学用品を買わずに済むように、スーツケースにペンと旧ソ連製のノート20冊を詰め込んできていた。

 母親は子守、クームは食料品店の床掃除の仕事に就き、生活費を稼いだ。母親ががんと診断されると、障害者手当で生活した。クームは英語力には問題はなかったものの、米国の高校の軽薄な人間関係が嫌だった。ウクライナでは10年間、少人数の同じ顔ぶれで学校に通った。「ロシアではお互いのことを本当に深く知るんだ」

 学校では問題児だったが、18歳になるころには古書店で参考書を買い、コンピューター・ネットワーキングを独学で学んだ(使い終わった参考書はまた古書店で売った)。

 インターネット・リレーチャットEfnetで「w00w00」というハッカーグループに参加したり、シリコン・グラフィクスのサーバーに忍び込んだり、ナップスター共同創業者のショーン・ファニングとチャットをしたりしていた。

 サンノゼ州立大学に入学し、夜はアーンスト・アンド・ヤングでセキュリティー検査のアルバイトをした。1997年、広告システムの検査のためにヤフーを訪れたとき、向かい側に座っていたのがヤフー社員番号44番のアクトンだった。

 「クームがちょっと変わったヤツだというのはすぐにわかった。実務的で 『ここの規則はどんなものですか』 『ここでは何の仕事をしているんです?』 と単刀直入に聞いてきた」。

 アーンスト・アンド・ヤングの他の従業員は、ワインを差し入れするなど良好な雰囲気づくりに心を砕いていたが、「そんなことはいいから、さっさと本題に入ればいいんだ」とアクトンは語る。クームもアクトンの実務的なところが気に入った。「どちらもくだらない話をするタイプじゃないんだ」とクームは語る。

 ヤフーで出会った失意の友人

 半年後、クームはヤフーの面接を受け、インフラストラクチャー技術者として採用された。まだ大学も続けていたが、採用されて2週間後にヤフーのサーバーが1台故障した。共同創業者のデビッド・ファイロがクームの携帯に電話をかけてきて、手を貸してくれと言う。

 「今、授業中なんですが」ときまじめに答えると、「授業がどうした。そんなことより、今すぐオフィスに来い!」と怒鳴られた。ヤフーのサーバー技術者は少なく、ネコの手も借りたい状況だったのだ。「どちらにしても学校は嫌いだったから」、クームは大学を中退した。

 2000年に母親ががんで亡くなり、クームは若くして天涯孤独になった。父親はすでに1997年に他界していた。そのときアクトンが手を差し伸べてくれた、とクームは語る。「ぼくを家に招待してくれたんだ」。一緒にスキーやサッカー、アルティメット・フリスビーも楽しんだ。

 それからの9年間、2人はヤフーが幾度も山や谷を経験するのを目の当たりにしてきた。アクトンは2000年のITバブルで何百万ドルもの損失を出した。アクトンも広告を毛嫌いしていたが、2006年にはヤフーの主要広告プラットフォームで開発が遅れに遅れていた「プロジェクト・パナマ」に引っ張り込まれていた。

 「広告に関わる仕事は、気分が沈む。広告システムを改良しても、誰も幸せにはならないからね」とアクトンは語る。精神的にもすっかり疲弊していた。「廊下を歩く彼の姿を見るだけでそれがわかった」というクーム自身も、仕事が楽しくなかった。

 SNSのリンクトインのプロフィルでは、ヤフーでの最後の3年間について「あれこれやった」と投げやりな書き方をしている。

 フェイスブック転職に失敗

 2007年9月、クームとアクトンはついにヤフーを退社し、息抜きのために1年休暇をとり、南米を旅行したり、アルティメット・フリスビーをしたりして過ごした。2人ともフェイスブックに応募したが、不採用となった。「ぼくらはフェイスブック不合格組さ」とアクトンは語る。

 クームはヤフー時代に蓄えた40万ドル(約4000万円)の貯金を食いつぶし、目標もなくぶらぶらしていた。そんななか2009年1月にiPhone(アイフォーン)を購入し、まだ登場して7カ月のアップストアから新たなアプリ産業が生まれると直感した。

 ロシア人コミュニティーで発案

 クームはロシア人の友人アレックス・フィッシュマンの自宅を訪ねた。フィッシュマンはウエスト・サンノゼの自宅に毎週地元のロシア人を招いてピザと映画の夕べを開いており、ときには40人も集まるほどだった。2人はキッチンのカウンターで紅茶を飲みながら、何時間もクームのアプリのアイデアを語り合った。


 「ヤンはぼくに自分のアドレスブックを見せながら、それぞれの名前の横にステータスが表示されたらすごく楽しいじゃないか、と話していた」とフィッシュマンは振り返る。

 ステータスには電話中、バッテリー残量が少ない、あるいはジムでトレーニング中といったことが表示される。クームはプログラムのバックエンドは自分で作れるが、iPhoneのわかるデベロッパーが必要だと言うので、フィッシュマンは、フリーランスの仕事情報を提供する「RentACoder.com」で見つけたデベロッパーのイゴール・ソロメニコフを紹介した。

 クームはすぐに「ワッツアップ」という名前を決めた。英語の「What’s up(今何してる?)」と音が似ていたからだ。約1週間後、自分の誕生日だった2009年2月24日にはカリフォルニア州でワッツアップ(WhatsApp, Inc.)を設立した。

 「クームはとても用意周到なタイプだ」とフィッシュマンはいう。とはいえアプリはまだ影も形もなかった。クームは国際電話用の各国の国番号が書かれたウィキペディアのページを参考にしながら、数日かけてアプリが世界中のどんな電話番号でも同期できるようにバックエンド・コードを書いた。

 それからさらに何カ月もかけて、何百という地域別の特殊番号に対応するという腹立たしいくらい根気の要る作業に取り組んだ。

 アップルのプッシュ通知が追い風に

 初期のワッツアップは頻繁にクラッシュあるいはフリーズした。フィッシュマンが自分のiPhoneにインストールしたときには、アドレスブックの数百人いる友人(ほとんどが地元のロシア人)のうち、わずか数人しかダウンロードしていなかった。

 人気レストラン「トニー・ローマ」でリブステーキを食べながら、フィッシュマンは気づいた問題を次々と挙げていき、クームは旧ソ連製のノートにメモを取った。移住するときに持ってきた例の残りで、ここぞというプロジェクトのため大切にとっておいたものだ。

 その翌月、アクトンとアルティメット・フリスビーをしたとき、クームはもう事業をたたんで、職探しをすべきかもしれないと打ち明けた。アクトンは怒鳴った。「今辞めるなんて大バカだ。あと何カ月かがんばってみろよ」。

 追い風となったのが、アップルが2009年6月に導入したプッシュ通知だ。この結果、デベロッパーはユーザーがアプリを使っていないときでも情報を通知できるようになった。

 クームはワッツアップをアップデートし、誰かが「ジムにいるから、今は話せないよ」などとステータスを変更するたびに、ネットワークの全員に通知されるようにした。フィッシュマンのロシア人仲間にも利用が広がり、「寝坊しちゃった」「今そっちに向かってる」などふざけたステータスを通知しあうようになった。

 「ある段階でワッツアップはインスタント・メッセージのようなサービスになった。『やあ、どうしてる?』みたいな質問を投げると、相手が返信する、といった具合に」とフィッシュマンは語る。

 サンタクララの自宅でMacMiniを開いてユーザーのステータス変化を見守っていたクームは、自分が意図せずにメッセージング・サービスを開発したことに気づいた。「地球の裏側にいる相手に瞬時に、それも常に持ち歩いているデバイスでメッセージを送れるというのは、とても魅力的だった」とクームは語る。

 当時存在していた無料のテキストメッセージング・サービスはカナダのブラックベリーのBBMだけで、それもブラックベリーユーザーの間でしか使えなかった。グーグルの「Gトーク」やスカイプは存在していたが、ワッツアップがユニークだったのは自分の電話番号でログインできたことだ。

 クームがメッセージング機能を搭載したワッツアップ2.0を公開したところ、アクティブユーザーは一気に25万人に膨らんだ。そこでクームは、まだ失業中でどうにもならない起業アイデアを抱え込んでいたアクトンに会いに行った。

 2人はキッチン・テーブルに腰をおろし、互いにワッツアップでメッセージを送り合った。相手の電話がメッセージを受け取ったことを示す、有名な2つのチェックマークもすでに搭載されていた。

 アクトンはワッツアップが従来のものよりはるかに充実したショートメッセージ・サービス(SMS)であり、写真を送るいわゆる「マルチメディア・メッセージング・サービス(MMS)」よりも効率的で、期待ほどの働きをしない他のメディアと比べても優れていることに気づいた。「インターネットの無限に広がる世界が、すべて攻略対象だった」とアクトンは語る。

 出資受けアプリ改善に没頭

 2人はマウンテンビューのカリフォルニア通りとブライアント通りの角にある、ベンチャー企業創業者の集まる「レッドロック・カフェ」を仕事場にした。この店の2階では今も、大勢の起業家がグラグラするテーブルでノートパソコンを開き、黙々とコードを書いている。2人もしょっちゅう2階に陣取り、アクトンがノートに書きつけたものをクームがタイピングしていった。

 10月にはアクトンがヤフー時代の5人の同僚から総額25万ドルの出資を集め、共同創業者の地位と持ち株を与えられた。正式な入社は11月1日だ(共同創業者2人でまだ60%以上の株式を保有している。これはハイテクベンチャーではかなり高い数字だ。

 アクトンが入社する9カ月前にアイデアを形にしたクームのほうが持ち株比率は高いとされる。初期に入社した社員も1%近い株を保有しているとされるが、クームはこの点についてコメントしない)。

 2人の元には、iPhoneユーザーから山のようなメールが届いた。海外へ無料でテキストメッセージが送れる可能性に胸を躍らせる一方、ノキアやブラックベリーの端末を使っている友人にもワッツアップでメッセージを送りたいと訴えていた。

 当時グーグルのアンドロイドOS(基本ソフト)はまだ取るに足らない存在だったため、クームはロサンゼルスに住んでいた旧友のクリス・ファイファーを採用し、ブラックベリー版ワッツアップを作らせることにした。

 「最初は懐疑的だったよ。すでにショートメッセージはあるじゃないか、と」とファイファーは語る。テキストメッセージは国境の壁で分断されている、とクームは説明した。「ショートメッセージはひどいものさ。70年代の遺物であるファクスのような過去の技術で、通信会社の利益のためだけに存在しているんだ」。ワッツアップの驚異的なユーザーの増加ぶりを見たファイファーは入社を決めた。

 エバーノートと同じビルに入居

 クームらはヤフー時代の人脈を通じて、エブリンアベニューの倉庫を改造し、事務所スペースをサブリース(転貸)していたベンチャー企業を見つけた。倉庫の残り半分を占拠していたのは、クラウド型情報整理サービスを開発していたエバーノートで、その後成長にともなって建物全体を使う必要が生じたため、ワッツアップの面々は追い出されるはめになった。

 ワッツアップのスタッフは身体に毛布を巻いて寒さをこらえ、イケアで購入した安い作業テーブルで仕事をした。当時も事務所にはワッツアップの看板はなかった。

 「最初に面接に呼ばれたときには 『エバーノートの建物を見つけて裏にまわり、看板の出ていないドアをノックしてくれ』 と言われた」。初期にブラックベリー担当エンジニアとして入社したマイケル・ドノヒューは振り返る。

 最初の数年を無報酬で働いていたクームとアクトンにとって、初期の最も大きなコストはユーザーに確認メッセージを送る費用だった。ワッツアップはクリックアテルなど最先端のSMS会社を使っており、米国内には1通2セントで送れたが、中東地域には1通65セントかかった。

 今日では確認メールの費用は月50万ドル(約5000万円)にのぼる。当時はこれほどの金額ではなかったが、それでもクームの蓄えは急速に目減りしていった。幸い徐々に収入が入ってくるようになり、2010年初頭には会社の収入は月5000ドルあまり。コストをまかなうことができた。

 アップストアでトップランキング入り

 2人の創業者はときどきアプリを無料から有料に切り替え、ユーザーが急激に増えすぎるのを防いだ。2009年12月にiPhone用のワッツアップをアップデートし、写真を送れるようにしたときには、1ドルという価格を徴収していたにもかかわらずユーザーの伸びが加速し、衝撃を受けたという。「ずっと有料でいけるかもしれない」とアクトンはクームに言った。

 2011年初頭には、ワッツアップは米国のアップストアで、全アプリの中で堂々とトップ20の仲間入りを果たした。スタッフとの飲茶ランチの席で、なぜメディアにこの事実を売り込まないのかと誰かがたずねた。 「マーケティングや広報活動をするとホコリが舞い上がる。それが目に入ると、製品に集中できなくなるんだ」 とクームは答えた。

 ベンチャー・キャピタリストのラブコール

 ただメディアが取り上げなくても、ベンチャー・キャピタリストにはワッツアップが急速に普及していることはわかっていた。クームとアクトンは面会の依頼をすべて断っていた。アクトンがベンチャー・キャピタルの資金は、困った起業を救済するためにあると考えていたからだ。

 だがセコイア・キャピタルのパートナー、ジム・ゲッツは粘り強く、8カ月にわたって様々な人脈を駆使して創業者のどちらかと接触しようとした。メッセージング業界では、ピンガー、タンゴ、バルーガなど10社以上を見てきたが、ワッツアップが主導権を握っているのは明らかだった。

 ゲッツが驚いたのは、ワッツアップがすでに法人所得税を支払っていたことだ。「長年ベンチャー・キャピタル業界にいるが、そんな例は初めてだった」。

 最終的にゲッツはレッドロック・カフェで2人の創業者と面会し、矢のような質問を受け、広告モデルを強要しないこと、そして戦略アドバイザーという立場にとどまることを約束した。その結果、両者は、共同創業者が当初集めた出資金25万ドルに加えて、セコイアが800万ドル(約8億円)を出資することで合意した。

 2年後の2013年2月、ワッツアップのユーザーベースが拡大してアクティブユーザーが約2億人に達したうえ、スタッフが50人になったことから、アクトンとクームは追加で資金調達をすべきだと判断した。

 「保険として資金が欲しかった。人件費が払えなくなるような事態は絶対に避けたい」とアクトンは語る。運送会社を営んでいた母親が、人件費の工面に苦しんで眠れない夜を過ごしていたのを覚えているからだ。

 2回目の資金調達もひそかに行うことにした。セコイアはワッツアップの時価を15億ドル(約1500億円)と評価し、さらに5000万ドル(約50億円)を出資することにした。このときアクトンは、ワッツアップの銀行口座残高のスクリーンショットをゲッツに送っている。そこには825万7000ドルとある。何年も前に集めた資本金を上回る金額が、まだ口座に残っていたわけだ。

 出資を受けて口座残高がさらに膨らんだことから、アクトンは近所で真新しい3階建ての建物を貸し出そうとしていたオーナーに会いに行った。オーナーはワッツアップのことは知らなかったが、資金力がモノを言った。新たな建物は現在建設中で、ワッツアップは社員が100人に倍増する今夏に移転を予定している。

 「 一つのことをきちんとやりたい 」

 2014年2月初頭、クームは愛車のポルシェでこの新本社ビルを通り過ぎ、ボクシングのレッスンに向かった。レッスンには行けないことも多く、この日も遅刻していた。新本社ではついにワッツアップの看板を掲げるのだろうか。「なぜ看板が必要か、わからない。そんなものはエゴを満たすためにあるんだ。ぼくらはみな、職場がどこかわかっているからね」。

 それからサンノゼの目立たない建物の前に車を止めると、カバンを手に薄暗いジムに入っていった。プライベートレッスンの相手はチューインガムをかんでいる小柄なコーチで、その隣の大型のラジカセからは大音量でラップが流れている。

 「ヤンはカニエ・ウエストが好きなんだ」とコーチは微笑みながら言う。コーチが2つのミットを構えると、クームが速くはないが重いパンチを打ちこんでいく。数分おきに休憩をとって座り込み、グローブをはずすと、ワッツアップのサーバーの状態を知らせるアクトンからのメッセージを確認する。

 クームのボクシングスタイルは目的がとてもはっきりしているとコーチは話す。大方の生徒のようにキックボクシングをやりたいとは言わず、ただ正しいパンチが打てるようになることを目標にしている。できるだけわかりやすいメッセージング・サービスを目指すのも、同じことかもしれない。そう聞くと、クームは靴下と靴を履きながら上気した顔で答えた。「そのとおり。ぼくは一つのことを、きちんとやりたいんだ」

( 引用: 日本経済新聞 )

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posted by ヒデキ at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の経営者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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