2014年01月26日

伝説の経営者たち − ドナルド・トランプ、アメリカの不動産王 (8)

 
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直感に従って進め!

 あなたに優れた能力と頭脳が備わっているなら、直感のままに突き進めばいい。ただし、あなたは流れに乗るのではなく、流れに逆らって進む必要がある。わたしがまとめた会心の取引のいくつかは、常識の逆を行くことで成功に結びついた。

 そう、わたしの行動は多分に反常識的なのだ。不動産業に参入してから最初の5年間、わたしは父とともに、ニューヨークの下町地区で住宅の売買と修繕に打ち込んだ。

その地域でかなりの成功を収めていた父は、決してマンハッタンの物件には手を出さなかったが、わたしは第一線のマンハッタンで不動産開発に取り組みたいと望んでいた。

 周りはみんな反対した。マンハッタンには手を出すな。絶対にうまくいかないぞ、と。資金の余裕はなかったものの、当時、事業は軌道に乗りはじめていた。マンハッタン進出のネックは、現地にコネが全くないことだった。

 1973年の夏、ペン・セントラル鉄道が破産を申請した。セントラル鉄道が整理する資産の中には、西60丁目から西30丁目にかけての廃操車場も含まれていた。わたしは以前からマンハッタンのウォーターフロント地区に着目しており、この広さ40万平米の未開発地区にはとてつもない潜在力を感じていた。

 当時そのあたりは治安が悪かった。木賃宿がひしめき、麻薬ディーラーがうろうろしていたため、住むには危険な場所であるとみなされていたのだ。しかし、わたしの目から見ると、状況の改善はそれほどむずかしくはなかった。

じっさい、数ブロックしか離れていない西48丁目には、壮麗な褐色砂岩の高級住宅が立ち並んでおり、廃操車場の資産価値が高騰するのは時間の問題だった。

 あの土地の再開発がうまくいくわけがないと、さまざまな人がわたしに忠告してきた。まともな頭を持った連中は、廃操車場には見向きもしなかった。当時、市当局は財政難にあえいでおり、開発業者にとっても多難な時代だった。何よりもきつかったのは、新規の建設許可がなかなか下りなかったことだ。

 しかし、わたしは自分の信じる道を突き進んだ。 “わたしの直感は、でっかいことが起こるぞと告げていた。”

どっちにしろ、試してみて損はない。わたしはセントラル鉄道の資産売却の責任者に会い、あの手この手で開発計画を売り込んだ。都市計画法上の認可をとりつけ、地元の住民代表と戦い、市の都市計画委員会と財政監査委員会にも出頭した。

 あとは歴史に残るとおりだ。並行して進めていたコモドール・ホテルの改築プロジェクトも、のどから手が出るほど欲しかった実績をわたしにもたらしてくれた。1974年7月29日、わたしはウォーターフロントの二区画をセントラル鉄道から買い取る権利を獲得した。

 買い取り価格は6,200万ドル (現在の約120億円) 、手付金はゼロという条件だ。この取引が成功した原因は、直感に従って行動したことと、決してあきらめない姿勢を貫いたことだった。 

 次は、“40ウォールストリート” に関する話だ。この72階建ての高層ビルは、1931年にクライスラービルとエンパイアステートビルが完成するまで、世界一の高層ビルの座を守り続けてきた。また、1972年に世界貿易センタービルが完成するまでは、ニューヨークのダウンタウン一の高層ビルの座を守り続けてきた。

 世界貿易センタービルの崩壊によってふたたびダウンタウン一の高層ビルに返り咲いたことは、遺憾というしかない。

 1993年は不況の真っただ中で、“40ウォールストリート” の売値はわずか100万ドル。最近、このビルを5億3500万ドルで買いたいというオファーを断ったばかりだから、とてつもなく安い買い物だったわけだ。とはいえ、この買い物はわたしにかなりのリスクを強いた。

 当時の財政状況では、100万ドルかき集めることも困難だった。さらに、ビルの運営費も修繕費もバカにならない金額だった。

 100万ドルを調達できない、というのは悲しい状況だ。当時のわたしはすっからかんだった。だから、ニューヨークでも指折りの切れ者同業者4,5人に共同出資を呼びかけた。しかし、彼らは “40ウォールストリート” を失敗作とみなし、取引には乗ってこなかった。

 わたしは大手の不動産会社をいくつか回り、提案した。
「 投資額は半々でいい。こっちも50万ドル負担する。 」 彼らにとって50万ドルははした金だったが、それでも提案を受け入れる者はいなかった。

「 あのビルは金食い虫だ。 」 と言う同業者もいた。
「 こんなひどい取引を持ちかけられたのは初めてだ。」 と言う同業者もいた。

 しかし、“40ウォールストリート” は金食い虫どころか、私にとっては金の成る木となってくれた。もしも、彼らに流れに逆らう価値があり、あのときに50万ドルを投資していれば、2億7000万ドル以上の富を手にできたのだ!

 わたしの提案に快く応じたのは、テュッシュマン−スパイヤー不動産のジェリー・スパイヤーただ一人だった。

 だれに何と言われようと、わたしは儲ける自信があった。“40ウォールストリート” は72階建てで総床面積が13万平米。ウォール街に面した店舗スペースを埋めるだけでも元が取れるのだから、勝負に負けようがないのだ。

 しかし、当時その地区の物件はイメージが悪く、 “40ウォールストリート” の真の価値を見抜ける者はいなかった。わたしは自分の直感に従って、なんとか100万ドルを工面した。そして、リスクの対価を手にした。

 私は流れに逆らうのが好きだ。自分に才能があると思っているなら、あなたも直感に従い、流れに逆らってみるがいい。
 
( つづく ) 
 ( 引用: 『 でっかく考えて、でっかく儲けろ 』
 Think Big and Kick Ass in Business and Life )
 

posted by ヒデキ at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の経営者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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