2013年05月19日

シリコンバレーのIT企業家 (14)

 オラクルの創業者、ラリー・エリソンの伝記をお届けします。
連載は 『伝説の経営者たち』 のカテゴリーからご覧下さい。

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 SDLの設立1周年を祝ったちょうどその頃、エリソンはあるものを失った。1978年7月、2人目の妻が結婚からわずか8か月でエリソンのもとを去り、サンマテオ郡裁判所に離婚届を出した。

 このとき、エリソンが頼りにしたのが最初の妻、アダ・クインだった。
「 彼は、嘘じゃなく、毎日のように電話をよこして、なぜうまくいかなかったのか、自分のどこに落ち度があって破局に至ったのか、延々としゃべり続けました。 」

 元妻の弁護士が用意した書類に目を通し、サインをしたエリソンは、ウッドサイドの家とオリンダに建築中の家をとった。離婚から1年間は毎月の慰謝料500ドル、2年目は400ドルといったように、月額が100ドルになるまで慰謝料の支払いを続けることに同意した。二人に子供はいなかった。

 二人に共通する資産にはSDLの株もあったが、当時のSDLにはまだ資産らしい資産もなく、妻のナンシーが株の半分は自分のものだと主張すればそれもできたのだが、裕福な出のナンシーはしなかった。

 仮にしたとすると、後にナンシーが手にした資産は数十億ドルにものぼる。

  プレシジョン・インスツルメンツとの仕事に決着をつけたラリー・エリソンのささやかな会社は、つぎの事業に打って出る潮時を迎えていた。1978年12月、SDLはサンタクララにある緒メックスの社屋を出て、シリコンバレーの心臓部、メンロパークの複合ビルに移転する。

 株式ブローカー、保険業者、ベンチャーキャピタリストが多くを占めるビルへの引っ越しは、首をかしげてみたくなる。ベンチャーキャピタリストから又借りした新興のテナントもあるにはあったが、それを除けば、この建物には設立まもない会社は皆無だった。家賃が高いからである。

 しかし、アダ・クインが言うように 「ビールを飲むお金しかないのに、シャンパンを飲みたがる」 エリソンは、おかまいなしに金を使った。

 SDLにはオメックスから支払われた金がふんだんにあった。しかも、エリソンは羽振りのいい連中がお気に入りだし、ここにいればステータスにもなる。建物はシリコンバレーの緑の丘陵地帯を縫って走る、景色のいいインターステイト208のすぐそばにあり、サンフランシスコから通勤するボブ・マイナーにとってはうってつけだった。

 エリソンは3000平方フィートのスペースを借りたが、そこは、社員が5人で売るべき製品を持たない会社にしては広すぎた。毎度のことだが、エリソンの計画は遠大だった。

 引っ越してから社名もRSI (リレーショナル・ソフトウェア・インク) と変えた。

 「パッケージソフトウェアをつくって、ドーナツみたいに売る。一つの製品を何度も繰りかえし売る。」 という考えに基づき、最初の顧客にCIA (Central Intelligence of Agancy: 中央情報局)だった。

 70年代の半ばにCIAはリレーショナルデータベースを実体験させようと、職員をIBMに派遣した。リレーショナルデータベースを使えば、諜報活動に使う情報分析はもっと早くなるはずだった。

 CIAをはじめとするアメリカのさまざまな情報機関は、テッド・コッドの論文が公にされてから、リレーショナル技術のその後の進展を見守っていたのだ。

 IBMのデモンストレーションを見て目を見張ったCIAは、コンピューターの専門家でもないのに、データベースから情報を引き出せるなんてすごい、とリレーショナルデータベースの購入を決めた。しかし、IBMはまだ出荷の体制が整っていなかった。

 CIAのデイブ・ロバーツはRSIというちっぽけな会社がお目当ての製品を開発中と聞きつけ、さっそく電話を入れると、前職の上司だったボブ・マイナーが出てきたので腰を抜かさんばかりに驚いた。やがてCIAは、リレーショナルデータベース管理システムをRSIに発注し、製品 ≪オラクル≫ 最初の顧客となる。

 CIAと契約を交わしてまもなく、エリソンは IBMバージョンを書くためのメインフレームコンピュータを買いに出かけた。書きかえはIBMマシンに詳しいスチュワート・フェイガンが担当することになっていた。しかし、すぐさまエリソンの前に障害がたちはだかった。IBMマシンを購入するには数か月待たなくてはならなかったのだ。

 救いの手を差し伸べたのはCIAだった。CIAの口添えで、国防に関わる業務の請負業者となったRSIは優遇された。注文の4331はすぐさま到着した。 「どうしてやりくりしたのか見当もつかない」 とフェイガンは語る。

 コンピュータルームに運ばれた新しいマシンは、その後長いあいだ、ほこりをかぶったままとなった。
「まるで肉を保管する冷凍庫みたいでした。ただそこにあるだけでした。」 とある社員は語る。

 IBM4331は 「シリコンバレーにあるもっとも高価なコーヒーテーブルになった。」とべつの社員は打ち明ける。4331が使われなかったのは、≪オラクル≫ の書き換え作業にてんてこまいしていたからだった。実際、書き換えはフォードのキャブレターをシボレーのエンジンに押し込むようなものだった。

 エリソンもマイナーも、こんな応急措置を続けていては ≪オラクル≫ も先が長くないのは知っていた。
≪オラクル≫ が成功するためには、多くのコンピュータが理解できる言語に書き直す必要があったのだ。そして彼らはいくつかの理由から、C言語を選ぶ。

 まず、C言語には各種のコンピュータに対応するコンパイラ (C のような人間が使う言語に近い表現の高級言語をコンピュータが理解可能な機械語に翻訳する働きをするプログラム) が存在する。そして、Cコンパイラは安上がりだった。RSIはここまでは順調に来たが、金のことには慎重を要した。

 ボブ・マイナーとスコットは、バージョン3をC言語だけで書き上げた。そして思わぬ成果を得たのである。いくつものコンピュータ上で走るソフトウェアが誕生したのである。

 「私たちはどんな注文にも応じるつもりだった」 と言うエリソンは、ポータブル (移植可能) なソフトウェアの実用化にはじめて成功したのである。

 ポータブル (移植可能) なソフトウェアづくりを思い立ったのは、そもそもラリー・エリソンではなかったのかもしれない。だが、とことんそれにこだわった彼の手腕は天才的だった。エリソンは ≪オラクル≫ を万能ソフトウェアとして売り込んだ。

 どんなコンピュータをお使いでも ≪オラクル≫ なら大丈夫ですよ、とエリソンは胸を張った。

  ( つづく ) 

 ( 引用: 『 カリスマ、ラリー・エリソン 』 )

posted by ヒデキ at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説の経営者たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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