2013年04月28日

いじめられている君へ − 死にたくなったときにどうするか (13)

いじめられている君へ 
“自分をささえる足の声、聞いて”  − 作家、高史明

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 一日に約2千人の視聴者の皆さまに読んで頂いているこのブログは、単なるブログではなく、
 『 社会の公共財 』 として広く社会を活気づけ、ビジネスマン、学生さんにとって刺激や競争力の根源になる 『 無料のインフラ 』 にしようという目標があります。

 インターネットで語句検索されてこのブログにたどり着かれる方がたには、 ”自殺” や ”死” などの語句から検索してこのブログにたどり着かれるケースも増えています。

 学校でいじめられ、悩んでいる子供に聞いてほしいお話を紹介します。連載記事はカテゴリー欄からご覧になれます。

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 ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから


 31年前、ひとり息子の真史は、人知れず詩を書きためた手帳の最後にこう書いて、自死しました。12歳でした。

 「なぜ?」 という自問をくりかえしながら、息子が残した詩を妻とともに
『ぼくは12歳』 という詩集にまとめました。読者から多くの手紙が届き、訪ねてくる中高生も後を絶ちませんでした。

 ある日、玄関先にあらわれた女子中学生は、見るからに落ち込んだ様子でした。
「死にたいって、君のどこが言っているんだい。ここかい?」

 と頭を指すと、こくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいました。

 でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。

 数ヵ月後、彼女からの手紙には大きく足の裏の線が描かれ、
「 足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました。 」 と書かれてありました。
 
 思えば、真史が最後までこだわった 「じぶんじしん」 とは、足の裏で支えられた自分ではなかった。そのことに気づかせてあげていれば。。。。

 彼も学校でいじめなどのトラブルにあっていました。いじめは許されない。しかし、それと向き合うことで、人は今より強い自分になれます。

 命は一つだから大切なのではなく、君が家族や友人たちと、その足がふみしめる大地でつながっている存在だから貴重なのです。切羽つまった時こそ、足の裏の声に耳を傾けてみてください。

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 1932年、山口県生まれ。在日朝鮮人として、子供時代から貧しさと差別の中で生きてきた。1971年、 『夜がときの歩みを暗くするとき』 で作家となる。長男の死を契機に親鸞の思想と出会い、思索を深める。『少年の闇』 『生きることの意味』 ほか著書多数。

( 引用: 『 いじめられている君へ いじめている君へ 』 )

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高史明(コサミョン)の言葉―いのちは自分のものではない (「生きる言葉」シリーズ)

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